Wearable Ideas RLL

仕込み杖の抜きどころ

失業しました。
仕込み杖を抜いてしまいました。

失業の顛末を文字にするのももどかしいのでショートフィルムにしました。ハーポ部長初監督作品『う』。部長監督って役職重ね。

この作品は高円寺周辺の素人に映画を撮らせるためにニューヨークからやって来た謎の映画プロデューサー、Jeremy Harleyの日本初個展『う』のために作られたものです。

ある日突然ケータイに「ぶちょーさん、うをつくってくれないかな?」と暗号のようなメールがきて作るはめになりました。個展の最終日に上映するのでよかったら観にきてください。この問題作(?)を観るチャンスはこの一度しかありません。

●6/26(土)~7/2(金)

場所:素人の乱12号店 エンジョイ☆きたなかホール(仮)
http://trio4.nobody.jp/keita/shop/index.html

 Jeremy Harley初個展!! 『う』を開催!!!!!
 内容はヒミツ
 時間:平日18:00~0:00
    土日14:00~22:00


7/2(金) 21:30~ 上映会

上映作品

「う」(岩佐浩樹)
「う」(ISHIKAWA Haruka)
「う」(小杉衛蔵)
「う」(諏訪部貴士)
「う」(ハーポ部長)



『う』の上映の前日、契約上正式に失業者となるので記念講演会します。講演時間はだいたい5分くらいですが、テレビ版座頭市のドープなやつ、二本上映します。もちろん主演は勝新で、勝新以外の座頭市は座頭市じゃないと主張するためのイベントです。テレビ版がおもしろいのは座頭市はあくまで狂言回しの役回りで、ゲストを立てる勝新のホスト術が見ものです。

座頭市(フランス).jpg


ハーポ部長再失業記念講演
「仕込み杖の抜きどころ」

日時:7月1日 (木) 21:00 ~ 23:30
場所:素人の乱12号店 エンジョイ☆きたなかホール(仮)
http://trio4.nobody.jp/keita/shop/index.html


●上映作品
21:00『座頭市物語9話 二人座頭市』
(植木等出演 勝プロダクション製作 1974年テレビ放送)
22:00『新座頭市12話 金が身を食う地獄坂』
(緒形拳出演 勝プロダクション製作、1976年テレビ放送)


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  • By harpobucho / Jul 01, 2010 1:31 pm

あの人に魅せたいシネマ

最近、ドミューンを観てしまうせいか家で映画を観るって習慣がなくなってしまった。映画は映画館へっての理想だけどお金もかかるし・・・・ということで仲間うちで好きな映画を上映しまくろうと素人の乱12号店で映画会をやることになりました。題して「あの人に魅せたいシネマ」。

グっとくる映画を観終わったときに「あーこれをあの人に魅せたい!」と思ったことがあると思います。映画によるラブレター。記念すべき第1回目は言いだしっぺのボクから近所のガイジンこと、ジェレミー(from NY)に。

日本人も観たことのないような大昔の日本映画とか観てるシネフィルなのに、川島映画を観たことがないというので、これはまずい!と川島雄三の魅力を伝えます。同時に若尾文子と小沢昭一の魅力も。

『しとやかな獣』を観るジェレミーを観にどなたも参加できます!
ドミューンのない金曜夜は映画をともに。
(菊地×大谷×エルメート・パスコアールがあることに今気付く)


『あの人に魅せたいシネマ』

6/25(金) 21:00~
       
ハーポ部長→ジェレミー
『しとやかな獣』(川島雄三監督)

場所:素人の乱12号店 エンジョイ北中ホール(仮)

第2回目はジェレミーが誰かに何かを魅せる。その発表は上映会の最後に。その場で相手のケータイに電話してアポとるってのがテレホンショッキングみたいでいいね。


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  • By harpobucho / Jun 24, 2010 7:45 pm

失業軽茶と菓子

天気がいい。しかも仕事は休みだ。有給休暇を1ヶ月に10日使うという暴挙の最後の日。昨日のクボタケシ@dommuneのDJが素晴らしく、その余韻もあってサルサを聴きながらモノを探している。あまりに多くの時間をモノを探すのに費やしている気がしてる。まあ、いい。

ドアをノックする音がする。うちにはチャイムがないのでしょうがないがノックの音はいつも暴力的でびびる。しつこいので仕方なく出る。「和久井」と名乗るおばちゃんが「地球を破滅させるモノを破滅させる布教活動をしています」」とまるで回覧板をもってきたかのような気軽な節回しで言ってきた。ボクは「間に合ってます」と反射的に常套句を使ってしまったのだが、すぐに地球を破滅させるモノを破滅させることが間に合っているというのはなんだかおかしいなと思いなおし、とりあえず「応援はしてます。頑張ってください」と言っておいた。これが和久井さんの仕事なのだ。

そう言い放った後に頑張るのはボクのほうじゃないかと思いはじめた。明日仕事に行くとそれからは無職なのだ。再び失業生活がはじまる。

職場は去り方が肝心だ。ほっぺたが落ちるような美味しいお菓子を職場のみんなに配りたい。美味しいモノのイメージとボクのイメージを残る方たちの記憶の中に結びつけて消え去りたい。



模索舎の月報に歌舞伎座追悼の意味も込めてこんな文章を書いたのが悪かった。最近、人生に影響を与える文章を書いていると自負している。読者ではなくて書いた本人の人生を変えてしまう文章ってことだが・・・・

弁天小僧菊之助(歌川豊国).jpg

「失業カルチャーを生きる」

高く伸びるためには、根は野蛮の底まで沈んでいなければならない。  
きだみのる

気付くと界隈は失業者だらけ。これではまるでゆるやかなストライキだ。失業常態時代の幕開である。どうせ正社員になってもロクなことない。あと何十年もこの会社で過ごすなんて考えるだけでゾっとする。しかも正社員だからといって一生安泰なんて保証はどこにもないんだから。このご時世、いつ会社が潰れるかわからないし、それより先に激務であなたが潰れるかもしれないし。会社にしがみついて生きることは一見安全のように見えるけど、実はすごく危険なことなのだ。何があるかわからない激動の時代を身動きせずに一本の収入源に絞って生きるなんてまったく危機意識が低すぎる。これからは、高みを目指す植物のように複数の絡み合った根を地中深くにぶちこんであらゆる手段で養分を吸収していかなくちゃ。失業者の生活に求められるのはこのような野蛮な「向上心」である。正直働いている暇なんてないのだ。真の暇人は根を張り巡らせるのに実に忙しいのだから。

失業から生まれる文化というものがある。いまや日本伝統芸能の花形面している歌舞伎だってもともとは失業カルチャーである。関ヶ原の戦いを最後に失業した武士たちは、しょぼくれた生活なんて選ばず、その有り余るエネルギーを傾くことに注いだ。カブキ者の誕生である。カブキ者の時代は踊りの時代でもあった。16世紀初めにリリースされた歌謡集『閑吟集』には「生真面目にしかつめらしく暮らしていて、何の役に立つのか。人間の一生なんて、どうせ夢のようなはかないものではないか。ただただ踊り狂って生きるがよい」というメッセージソングが収められており、この「憂世」から「浮世」への大転換が日本における最初のサマー・オブ・ラブだといわれている。そのムーブメントの中から出雲のお国という河原者の大スターが生まれ、彼女のカブキ踊りが現代の歌舞伎のルーツになったのである。

失業カルチャーという側面から歌舞伎を見るときに「ヤツシ」という概念は重要だ。身分を降格させて、本来の生活状況とは違う生活状況に生きる人物のことを「ヤツシ」という。ヤツシにとって大切な点は単に下降した生を生きるということだけではなく、下降した生を生きながらも、本来の生を保持していることである。気高き失業者は現代のヤツシ者だといえよう。ボクは自らを「河原貴族」と称して失業生活を楽しんだ。


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  • By harpobucho / Jun 24, 2010 7:36 pm

昭一の穴

こんなところにも昭一の穴の入口が。

小沢昭一の手.JPG

失礼にも「昭一」だなんて呼び捨てにしちゃってますが、なんとあの小沢昭一さんの特集号にエッセーを書かせていただきました。ふざけた名前が大山脈、山口昌男先生と並んでしまってなんだか恐縮でニヤけてしまいます。

KAWADE夢ムック 小沢昭一 芸能者的こころ

夢ムック小沢昭一.jpg

本のなか.JPG

ぜひ書店で見かけたら手にとってみてください~



やりすぎ!時間ない!と紅白のプロデューサーを激怒させたという小沢昭一の美空ひばり礼賛。


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  • By harpobucho / Jun 20, 2010 11:16 pm

朝のつぶやき集6

朝の慌しい中、一気に書きなぐるスタイルがなかなか気にいっている。だがトラブルが起きると日記など書いている暇などなくなる。

厠噺は職場でのトイレの気まずさを克服するために、トイレを茶室に見立てて、普段話す機会のない職場の人とフルチンなこころの交流をしていくというドラマのはずだったが頓挫してしまった。すべては蚊のせい。


厠噺(の枕) 2010年06月08日09:02

廓噺じゃなくてね。

最近朝出勤前に日記を書いているので、「よく朝から書くことあるね」などと会った人に言われるのだが、思考がシンプルな朝のほうがいい感じなのである。朝のシャキとした空気と小鳥の軽快なさえずりとコーヒーの深いアロマの香りがなかなかいいセッティングなのである。夜はいろいろと考えることが複雑過ぎるので、思考を停止して何も考えずになるべくエンタメに過ごしたい。

澁澤龍彦が誰かがエッセイなんてものは湯上りにサラっと書くものだ、と言っていて、なるほどそうだよな、と腑に落ちた覚えがある。エッセイには脱力力がいるのだ。最近うれしいことに尊敬する芸能者に関するエッセイと創刊号から愛読している雑誌のためのエッセイを書かせていただいたのだが、憧れが強すぎて力みで苦戦してしまった。深夜1時ぐらいの闇鍋みたいにいろんなものを煮込みすぎてしまったのだ。mixi日記はどうでもいいことをどうでもいい気持ちで書けるから楽チンだ。

でここまでが厠噺の枕で、男子なら誰でも経験したことがあるであろう放尿と脱力の噺をこれから書くつもりだったのだが、残念ながらそろそろ出勤の準備をしないといけない時間になってしまった。また明日、セイムタイム・セイムダイアリーで。


厠噺 前編 2010年06月09日09:05

桂枝雀は「緊張の緩和」が笑いを生むとする独自の落語理論を唱えていたが、放尿理論も同じことである。尿意を悟られまいと平常心を演じながら堪えている緊張状態からの解放が、あの綺麗な放射線を描くわけである。

しかし、トイレに駆け込んでも緊張が抜けない状況がある。尿意マックスなのに何か栓が詰まっているんじゃないかと思うときがある。今日書きたいことは職場の厠噺である。

ボクの職場は女性職場なので男性トイレの待遇がよくない。小便用トイレが狭い空間に二つしかない。基本的に職場ではあまり心を開いていないので、人と一緒になるととても気まずい。

お互い息子を握り締めながら密に横並びにいる非日常的な状況は大変バッドである。特に無愛想な同僚や苦手な上司がお相手の場合はなおさらで、緊張の高ぶりがとまらない。これではいかん、と息子が強いられている緊張状態を緩和させるべく親心が働く。必要なのはリラックスした会話だ。

「昨晩のドミューンやばかったっすねえ」などと共通の話題があれば楽チンなのだが、そうは問屋が卸さない。何か当たり障りのない気の利いた言葉を探る。言葉が見つからずさらに緊張が高まる。その緊張が相手に伝わり相手も緊張する。相手を緊張させてしまっているのではないかという緊張感が・・・・悪循環の枝雀的状況である。

「いやーなんかこういう状況って緊張しますねえ、まったく何をしゃべっていいかわかんなくて」などと「いま」「ここ」の正直な感想を話してみると、相手も同じ環境に身をおいているので、その言葉待ってました!とばかり意外なほどに共感の言葉が返ってくる。その瞬間、互いの緊張は緩和され、ジャー(ラスタファーライ!と心の中でつぶやく)というありがたい音が同時に聴こえてくるのである。

オフィスのトイレは茶室説を書こうとしたが出勤の準備の時間が。また明日セイムタイム、セイムダイアリーで。


緊急事態発生につき 2010年06月10日09:12

おもわずつぶやいてしまったのだが、大惨事がおきたのでセイムタイム、セイムダイアリー中止。

両足の裏を蚊に刺されるというマヌケな緊急事態で歩行が困難なんで今から家を出ます! 出勤準備はばっちり。

両足とも小指の裏側を刺され晴れ上がっているので自然と重心が内側に。内股っぽい歩きが尿意を我慢してるみたいってことで明日に繋ぎます。

すべて蚊のせい  2010年06月11日09:16

ベランダの植物の成長と窓から見える猫の気持ちよさそうな朝寝を観察してたら時間があっという間に過ぎてしまった。いったんリズムが崩れるとセイムタイムセイムダイアリーは難しくなる。

昨日からだいぶボクの活動力は奪わてるので蚊はなかなか侮れない。両足へのダメージと同時に首を寝違えたので歩行がとてもちぐはぐでモンティパイソンってホント悪い奴らだよなあ、と思いながら駅まで15分かけて歩行。


サムライの憂鬱 2010年06月15日09:09

日記ってのはリズムが肝心だ。朝起きる。窓を開ける。メダカにエサを、植物に水を、自分に陽光をあたえる。今日はブラジル戦だな、とコーヒー豆をその日の気分でセレクトして儀式のように心落ち着かせ淹れる。それを飲みながら、朝の連続ドラマ小説を見る。その流れで毎朝日記を書こうという魂胆なのだが、蚊に刺されたり、サッカー日本代表の勝利映像を見て心乱れリズムが狂ってしまう。

オフィスの厠は茶室説を書くことがもはやどうでもよくなってきて、ナショナリズムがからんだサッカーの熱狂について今は考えている。

岡倉天心の『茶の本』を改めて読んでみたわけだが、無知な欧米人に東洋の叡智を知らしめる意気込みが迫力あり。

アルコールの酩酊とサッカーの勝敗の熱狂とは違う静かな熱狂というものもある。とにかくサムライが苦手だ。


「武士道が武士や兵士をして喜び勇んで自己犠牲に走らせる「死の術」です。一方、茶道は毎日を生きる「生の術」について多くを教えてくれるものなのです。」

「しばしの間、世のはかなさに思いをはせ、あまり意味はなくても美しいものの中をさ迷いながら、静かな時の流れに身を任せてみたらどうでしょうか。乱れた世の中にあっては、何が真実かもわかりません。そのようときには、ちょっと身を引いてみることが必要です。そうすれば客観的に世の動きを観察することができ、真実もよく見えてきます。」

「お茶の木がツバキ科に属しているといことからお茶を「ツバキの女王」と名付け、酒の神や戦いの神ではなくツバキの女王に身を捧げてみるのも悪くないでしょう。お茶の世界に入ることによって、ツバキの女王の祭壇から湧き出てくる温かい流れともいうべき人間同士の共感の感じられる雰囲気の中で、夢中に騒いでみたらどうでしょう。」

岡倉天心『茶の本』より


坂口恭平×中沢新一 2010年06月16日06:50
今日は2時間早く家を出る。2時間早く仕事を終えてドミューン見学に行くために。

http://www.dommune.com/

今夜のドミューンは坂口恭平×中沢新一対談。スタジオ予約が一瞬で埋まったらしいけど、ボクは善行したので招待で入れる。ラッキー。

前回の「都市型狩猟採集生活」で坂口恭平がなんのコネもないのに「次回のゲストは文化人類学者の中沢新一さんです」と吹いたのがそもそもこの対談のはじまりである。やりたいことはとりあえず言ってみるものだね。誰かが実現のために動いてくれるかもしれないから。

『茶の本』より

「チャールズ・ラムはお茶の愛好家であると公言している人で、自分の知っている最大の楽しみは、こっそりとよいことをして、それがふとしたことで人の目に留まる点にあると書いていますが、それはまさに茶道の神髄です。茶道は美を後で見つけられるようなかたちで隠したり、暗示するだけで進んで見せることをしなかったりする術だからです。それは、静かにしかし心ゆくまで自分自身を客観的に見て「笑う」極意であり、それも程度の高い極意ですから、まさにユーモアそのものです。人生に対する哲学のほほえみといってもよいかもしれません。」


インタビューあそび 2010年06月17日09:05

昨日はドミューンに余裕を持っていくために16時半には仕事を終えたんだけど、19時までには時間があるので暇をつぶすことに。退屈は死ぬほど嫌いだが、暇は生き生きしてしまうほど好きな時間だ。

今後の人生の参考に上野のハローワークをちょっと覗いて建物を出ると撮影クルーが獲物を見つけた動物のような動きをしはじめたので、捕獲されることにした。

ちょっとインタビューいいですか、と本気撮影クルーに囲まれてしまい、暇をつぶすにはなかなか贅沢な趣向だなあ、と思ってるうちに強引に撮影開始。「派遣法改正が見送られましたけど、どう思いますか?」
という派遣社員について考え抜いたボクのための質問がきた。さあ、なんて答えよう。

「えー、別に興味ないっすね。まあ、政治には何も期待してないっすよ。もう勝手に生きるしかないんじゃないっすか。」

なんてテレ朝の報道ステーションであることに直前に気付いたのでテレビに映ると何かと不都合だなと思い、しかし撮影はじまってるし、採用されないコメントを、と思ったんだけど、これだったら政治に無関心ないまどきの若者ってことで逆に採用されちゃうかも、と途中で転向。

「現状には不満しかありません。国家に期待するのはベーシック・インカムだけです。必要最低限の生存権を保障できなきゃ国家が存在する意味ないでしょ。派遣にも正社員にも未来なんてないですよ。働かないでも生きていける仕組みを早急に作って欲しいですねえ。」

現状に不満はありませんか?
正社員になりたいとは思いませんか?

なんてボクを刺激する質問をあびせられておもわず勢いよく答えてしまったのだが、テレビの規格外のことをいえば安心だと思ったのだが、いや、実はテレビはいまこういうコメントを求めているんじゃないかと勘ぐりはじめ、今夜放送されたら明日どんな面で職場に行けばいいんだろう、と急に不安になってきた。

が、そんなことは思い過ごしで報道ステーションに出てきた街頭インタビューは当たり障りのない派遣女子のテレビ的コメントだったというを友人が教えてくれた。なんか残念。


ラブコメを観る 2010年06月18日09:03

ボクのお昼の憩いの場、松葉寿司の向かいに無駄にお洒落な花屋がすごいスピードで完成した。すぐ近くに花屋があるのになぜここに、と思ったら撮影機材も増えてきてどうやら映画のロケのためのセットらしい。

松葉寿司のおばちゃんから撮影協力の通知を見せてもらったんだけど、今夏公開の『ラブコメ』という映画の撮影だという。出演者は香里奈、北乃きい、田中圭、渡部篤郎。

昨日は、オカマの役なのか、お尻をぷりぷり振りながら花屋に駆け込む渡部篤郎を観察していたのだが、ボクが見たいのは香里奈か北乃きいであることは言うまでもない。今日、遭遇できることを芸能の神に祈る。

ロケの現場は、乞胸と呼ばれる元祖芸能人が江戸時代に下谷山崎町(職場のあるところ)を追い出された後に住み着いた門前町。テレビにはもはや興味ないけど町中で見る芸能人は好き。



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  • By harpobucho / Jun 20, 2010 10:30 pm

朝のつぶやき集5

気付くと一ヶ月近くブログを書いていない!
mixi日記をtwitterな気軽さでさらっと書いてそのまま放置が続いてしまった。
ちょっとここにまとめてみよう。

悩と脳 2010年06月02日09:10

なんだか最近すごく悩ましい。

別に落ち込んでいるわけではなく、相変わらず楽観的な思考スタイルなのだが、人生で一番悩ましい季節を迎えている気がしてならない。友人と少しでもトークを深めると悩ましい話題に移行せざるをえず、ボクは密かにこの治療法を「友人セラピー」と呼んでいる。逆に相手の相談にのっていると自分の悩みを相対化できるので、友人セラピーは互酬性があってよい。セラピーDiYのすすめ。

「悩殺」という言葉があるように「悩ましい」という響きにはどこか官能的なものがあり、やみつきになる。「悩みがないのが悩み」と嘯いていたスーダラ時代がかつてあったが、脳内ではいまや毎日のように長時間の自分会議が開かれている。

会議中の脳みそを活性化させようと昨日映画の日にギャスパー・ノエの新作を観に行ったら悩みはさらに官能的に深まったのだった。「2010年SEXとマジック・マッシュルームの旅」と宣伝は映画の見世物性を前面に出している。しかも映画の中にLSDやDMTは出てくるけどMMは出てこない。なんともいかがわしい映画。舞台はTOKYOで欧米人のエキゾ趣味全開である(「チベット死者の書」とか出てくる)。

『エンター・ザ・ボイド』
http://www.enter-the-void.jp/


環境を変える 2010年06月03日09:03

ソフトバンクのケータイを持っていると、なんでiphoneにしないの?と問いつめられることが重なり、ついに意を決して機種変更しにソフトバンクのショップに。

長年ソフトバンクを使っているのでポイントがたまっており、月々に支払う額はあまり今までと変らないのだが、頭金5250円払えといわれやめてしまった。ショップによってシステムはまちまちで、頭金がかからないとこもあるというのでそこで契約しよう。どこがいいのか。やはり量販店か。

基本ケータイでネットをやらないんだけど、移動中にドミューンを聴きたい。平日の夜、部屋に縛られているのはやはりよくない。ケータイをもって町へ出よう。

環境に大変作用されやすい性質なんで、悩ましいときにはまず環境を変える。とりあえず情報環境から。次は労働環境。この話はちゃんと書かなければなるまい。


朝の間 2010年06月04日09:03

最近は朝起きて窓を開ける瞬間が一日の中で一番好きな間だ。天気のいい日はなおさら。東からの斜光で木々の緑がキラキラしている。

窓を開けたら、まず空気を肺いっぱいに吸い込む。そしてメダカに餌をあげ、植物に水をあげ、小鳥のさえずりに耳を傾ける。コーヒーを飲みながら、ゲゲゲの女房を見る。貸本~漫画雑誌初期の赤貧時代。水木サンの名言「才能と収入は別なんですよ」という言葉を思い出す。

チャーリー・パーカー(バード!)を聴きながら、mixiの日記を書く。窓の外から聴こえる鳥の鳴き声とのジャムセッション。この前、窓からめじろが部屋の中に飛び込んできて5周ほど天井をぐるぐるまわって飛び立っていった。残していったものは糞尿! しかも真っ白い襖を汚していきやがったのだが、よくよく糞尿痕を見てみるとクールな日本画みたいに見えて結構気に入っている。なんでも見方次第である。

筆がのってくるころには出発の時間が迫っている。社会人としての準備をまったくしていないことに気付き、日記をたたみ、モードを切り替える。あわただしいのなんの。さっきまで優雅に大空を飛び回っていためじろが狭い部屋の中に迷い込んだ途端、見苦しくバタついているかのごとく。


朝の間はあっという間。


夕の魔 2010年06月05日09:14

夕暮れの散歩が大好きだ。特に平日の。川の水や草木の緑を照らす西からの射光が大変美しい。

失業時代の最大の楽しみを今振り返ってみると、裏庭(と勝手に呼んでいる)の和田堀公園の夕暮れ散歩の間だったかもしれない。この一帯が「杉並のチベット」という呼ばれ方があるのを最近知ったが(誰も呼んでないかもしれないけど)、「カフェ・タンジール」という自宅カフェをやっていたので、個人的にはモロッコがある一帯の呼び名「マグリブ」に見立てるほうが気にいっている。アラビア語で「日が没するところ」という意味で、日本の美称「日出ずる国」の反対だから賛成なのだ。

永福図書館の裏にあるパンザマストに設置されたスピーカーから流れる「夕焼け小焼け」の響きがタンジールで聞いたアザーンの響きに似ているもんだから、散歩途中の図書館観覧がボクにとってはモスク礼拝、なんてこと書くとムスリムの方に怒られそうだが、図書館には確かに信仰すべきカミがいた。

夕暮れ時は「逢魔が時」(おうがまどき)などと呼ばれ、人間の時間が退潮し魔性のモノたちが出没し始める境界の時間だと昔の人は考えていた。今でもそのフィーリングは生きていて、その間の魔を感じるためにボクは散歩を繰り返していたである。

「俺が昔、夕焼けだった頃、弟は小焼けだった。父さんが胸やけで、母さんが霜やけだった。わっかるかなァ~? わっかんねぇだろうなァ~…」

夕暮れ散歩を繰り返すと、この松鶴家千とせのギャグのサイケデリックの先にある深いブルースがわかってくる。

わっかるかなァ~?



つづく





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  • By harpobucho / Jun 20, 2010 10:11 pm

自主メディアの可能性~”セカイ”のコミュニケーションと”政治”

模索舎さんには恩も義理もありますから、がむばります!
でもハーポ部長ファンや∞+∞=∞マニアの方は残念です、ペダンチックdis好きな方おいでませ、おいらintellipunkのみ登壇っす。
途中で企画意図が変わったんで、とくに何にも考えてませんが、身近な人たちのアクションについてでもレペゼンすりゃいいかな。
あのbeefについては話さない方がいいですかね?>企画者殿。




<模索舎40周年企画>
自主メディアの可能性〜”セカイ”のコミュニケーションと”政治”

「ストリート系」現代思想と「オタク系」現代思想の話や、『ロスジェネ』や『フリーターズフリー』の今後の話、東京と地方のメディア環境の違いや、同人誌市場の話など、様々な文化圏からお越しいただいたゲストの方々と新しい言論空間の生成を目指します!

今後の文化状況を考える重要なイベントとなると思います。

ぜひ、ご来場ください!よろしくです!!


日時:6月3日(木) OPEN18:30/START19:30

場所:阿佐ヶ谷ロフトA 
東京都杉並区阿佐谷南1−36−16ーB1
電話:03-5929-3445
http://www.loft-prj.co.jp/lofta/index.html

前売:¥1,500/当日¥1,600(共に飲食代別)
※前売チケットのお問い合わせは阿佐ヶ谷ロフトAまで  
http://www.loft-prj.co.jp/lofta/reservation/reservation.php?show_number=387

<出演>
イルコモンズ(元・現代美術家、元・作家)
http://illcomm.exblog.jp/
インテリパンク(RLL)
仲俣暁生(フリー編集者、「マガジン航」編集人)
http://www.dotbook.jp/magazine-k/
根来祐(映像作家)
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/3479/
栗田隆子(有限責任事業組合フリーターズフリー組合員)
http://www.h7.dion.ne.jp/~ryu007/
雑賀壱(ゼロアカ道場参加者、同人誌作家)
http://www.myspace.com/1004739845
天野邊(作家)
http://spherecom.blog75.fc2.com/

特別ゲスト:佐々木敦(音楽批評家)
http://expoexpo.exblog.jp/

主催:イベント実行委員会/
模索舎
http://www.mosakusha.com/voice_of_the_staff/
イベントスペースあかね
http://www.geocities.jp/akane_waseda21/
未来回路製作所
http://d.hatena.ne.jp/inside-rivers/


模索舎は今年で創立40周年を迎えました。1970年に「スナックシコシコ・情報センターへの模索舎」として設立され、これまで存続してこられたのも、皆様の温かいご支援の賜物です。謹んで感謝申し上げます。

模索舎は通常の書店とは異なり、取次(卸業者)を経由せず、出版社や制作者の方々と直接取引し、一般書店では置かれない少部数の出版物やミニコミを、原則無審査で店頭に置いています。小流通と無審査にこだわるのは、商業的な流通システムから弾かれる出版物も貴重な知的財産であり、表現の自由を保障する場であることを、その理念に掲げているからです。

第一回コミックマーケットが1975年、第一回文学フリマが2002年、いわゆる”オタク的”"サブカル的”ミニコミの発表の場はこうしたフリーマーケットが中心になっています。特にインターネットの普及以降、SNSをはじめ、ツイッター、電子書籍等、「自主流通メディア」のあり方は模索舎創立当時とは大きく様変しています。

模索舎の創立された1970年においては自主上映運動をはじめとして、”自主メディア”、インディーメディアを志向するカウンタカルチャーは(新左翼運動も含めた)”政治-社会運動”とともにありました。 80年代の”サブカル”ブームを経過した現在、”自主メディア”と”政治-社会運動”との関係はかつてのように親和性を消失し、WEBやtwitterでの論争などをみると、”政治-社会運動”へのアレルギーさえ感じられます。

いまや”セカイ”全体の自明性が揺らいでいます。ネットの普及によって自由で自発的なコミュニケーションが全世界化した、かというとそうでもなく、むしろ自閉した”島宇宙”が乱立している、という情況をもたらしているかに思えます。出版不況の中、次々と文化系総合誌が廃刊に追い込まれています。”大きな物語”が終焉したかに見える現在、”島宇宙”をつないでいく新たな自主メディア”が求められているのではないでしょうか?
 
模索舎は”自主流通メディア”の書店であり、ゆえに納品に関しては原則無審査という方針は創設以来変わっておらず、特定の思想に偏っているわけではありません。にもかかわらず、模索舎はいわゆる”左翼”の書店、とみられがちなのです。模索舎は書店としてだけではなく、さまざまな企画を通じで異質なものが出会える”場=メディア”でありたいと考えています。”オタク”、”サブカル”、”ストリート”、”左翼”などなど、様々なジャンルでご活躍の方々からあらたな”メディア”の可能性について語り合っていただき、この企画を通じて、50周年へ向けての新たな模索舎を”模索”していきたいと考えています。


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  • By intellipunk / Jun 01, 2010 3:35 pm

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