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アナーキリズム

高円寺に越して一か月、そんで昨日までADSLが1ヶ月不通で不便でした。はぁ。

そうそう浅羽通明『アナーキズム』を通勤で読み終えました。

浅羽通明は、多くのアナキズムを快楽物質的お花畑千年王国主義と断じますが、そりゃあまりに大雑把。RLLも震災ユートピアとB感覚(生政治high)の近似性は自覚していますが、それは直接に弥勒黙示録千年王国主義と関係しない。震災ユートピアは、共同体コミュニケーションの問題であってリ-トラウマの快楽や天災世直しでもないし。黙示録って人間のどこにでもある願望で、バタイユ『呪われた部分』ってことっしょ。

僕らのアナキズム理解は、多くはジャン=リュック・ナンシー『無為の共同体』ブランショ『明かしえぬ共同体』とリンギス『何も共有しない共同体』と黒人音楽(!これが一番重要)から演繹した感覚的なものですが、それがポスコロ的黒人的アナキズム人類学的な感性なんですよ。最終章で出た網野善彦『無縁・公界・楽』が確かに直接には近いかな。そして間違っても昭和ファッショの高揚(真っ白な快楽)とは全く結びつかない、友愛的な悦楽。〈快〉 ecstasyと〈悦〉joyはある意味真逆の情動のテイストなわけ。ここでフランツ・ファノン「リズムが世界秩序を変える」で平岡正明のリズムの革命論だ。〈快〉のジャストのリズムから〈悦〉の共同体を繋ぐ友愛のオフビートのグルーヴだ、Punky Reggae Partyだ!ってわかるかな。

浅羽通明は音楽を聴かないので、やはり感覚として情動である快楽/悦楽の差異がわかっていないわけですね、それじゃ政(まつりごと)が祭事だってのも無理解です。前のメモ書き日記のダンスフロアの祝祭的直接民主主義が神髄なんす。

あと近代の社会契約論を通過しない国家ではない共同体問題であれば、スピノザ。『談』の特集が「情動回路」http://www.dan21.com/index.htmlで、そのことが詳しくのってます。「コナトゥス、喜びの情動」ってのがアナキズムなんじゃない(あてずっぽ)。



中間思想はそんなに恐くはない。今の関心は、ネオリベだ感情労働だ、市場原理主義だ。公共選択論の裏の合理的選択理論、ゲーム理論と結びついたあの心理学のふりをした限界効用理論がきもいわけだ。チェスと人生を間違えるなよ、最後はオカルト原理主義だぜ。
ピエール・クロソウスキー『生きた貨幣』を御勉強しつつ聖社会学をネタ読みし、人間の呪われた部分を文化の中心に見据えてニーチェ-バタイユ- フーコーの系譜から『文化=政治』する僕らRLLとしては、やつらは完全に敵だ。多数決や合理的選択が正義だって?文化を見てみたら、売れているモノといいモノは違うだろ。


そう、断言するが全ては文化の価値の問題だ。もっとも小さな文化とは、二人の人(親子か恋人か)の間にあるこころの交換ポトラッチだ。それは近代合理主義からはみ出た人間の呪われた部分、文化こそ人を幸福にするのだ。


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  • By intellipunk / Feb 21, 2007 6:07 pm

[平和主義] コミュ「戦争は人類の本能?んな阿呆な」を受けて

戦争と国家と共同体論とアナーキズムについて考察する

自分のマイミクココペリさんの日記「なぜヒトは戦争するようになったか。」でのwolfせんせいとの対話をそのまま流用しつつ(必読!)。

正月にぼんやり考えてた「楽しいのは左、安心すんのは右」([欺瞞的な固定したアイデンティティで安心したがる(不安を避ける)のが右翼/自己を時間と空間の中の揺らぐ運動体として存在する態度が左翼]というテーゼですけど。)を前提に、最後にアンチ・ファシズム共同体論にデヴィッド・グレーバーからアルフォンソ・リンギスに持っていくのはかなり自己中な解釈だなー。

でも全部RLLにとっては自明であった!
今日の日記でハーポ部長が政治快楽からファッショをネタにしている。まったく自分が裏から言葉でこじ開けようとしているのを軽々と…つまり彼は素でマルチチュードなんですね。

でね、このアンチ・ファシズム/無為の/明かしえぬ/何も共有していない者たちの共同体って中身は、去年読んだ平岡正明の「マリリンモンローはプロパガンダである」収録のエイゼンシュタイン論の中のレーニン/ソヴィエト部分が全くそのままなのだ。グレバーもびっくりなソヴィエト民衆解釈(肝っ玉母さん!)アナーキズムなんだよね。


さて、このあたりも参考に。

86であげた文化人類学者ピエール・クラストル
http://www.amazon.co.jp/dp/477380307X
http://www.amazon.co.jp/dp/4891762063

99での考古学佐原真・松木武彦
http://www.amazon.co.jp/dp/4062582139
http://www.amazon.co.jp/dp/4000271148

今回の現代思想/哲学の今村仁司
抗争する人間〈ホモ・ポレミクス〉
http://www.amazon.co.jp/dp/4062583240


大雑把にいえば全部同じことに帰結している。
人類の歴史上、人間の群れに命令者と服従者の分化が起こり、それにより〈暴力機械〉が立ち現れることで戦争が出現した。それこそがのちの王権/国家であり、人間の本能ではない。



そこで、これ萱野稔人の二冊
国家とはなにか
カネと暴力の系譜学
「国家は、基本的には暴力に関わる一つの運動態である」「現在あるようなかたちでの国家は、暴力が集団的に行使されるあり方が近代において変化したことによって成立した。つまり、暴力の実践のほうが国家の存在に先立つ。国家の存在は、暴力が行使される特殊なあり方の上に立脚している。」
暴力が他の暴力を駆逐し、それが国家として立ち現れる原理を明快にしている。暴力が国家を作り戦争を生む。根本には、他人を自分のままにすることが〈暴力機械〉を生み出す。


そこで今話題の『アナーキスト人類学のための断章』デヴィッド・グレーバー
http://www.amazon.co.jp/dp/4753102513
ヒエラルキーのない全く新しい昨今のNGO組織の意思決定と国家以前の未開共同体との類似性をみながら、〈暴力機械〉を迂回してゆく可能性を論じる。

VOLのシンポジウムでは萱野さんとグレーバーの国家に対する強度差があって面白かった。


同一性原理を回避する、多元主義的な多様性を持った共同体にしか戦争をしない選択はない。
そこからは「何も共有しない共同体」論が先端。参考↓同じくVOL編集委員の田崎さんの解説
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/omth2/biblio/democrat.htm


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  • By intellipunk / Jan 11, 2007 5:17 am

サンタ

先日、地下鉄車中で5つぐらいの女の子とそのお母さんの話を聞いてしまいました。

女の子「サンタさんは本当はどうやってくるの?」

お母さん「ソリに乗ってくるんだよ」

女の子「ソリに乗ってくるの? サンタさんって人間?」

お母さん「サンタさんは人間だよ」

女の子「本物の人間がくるの?」

その後はお母さんが、プレゼントの方向へ話を逸らしました。
これは、その女の子の中でサンタクロースという存在の初めての疑問が生まれた瞬間でした。もしかしたらお母さんのいっている世界の説明は間違っているのではないかしら、とどこかで思ったのではないでしょうか。



これがサヨクの考え方です。世界が在るという状態を整合性をもって認識するということを、どう解釈するのかべきかできるのか。哲学的には認識論、もしくは存在論そしてフッサール現象学的思考です。う~ん、というかこれに関わらない哲学は哲学ではありませんね。それが今でも命題ですし、その哲学的な考えを現実に世界に引き戻すのがサヨクです。理不尽なことがあるなら、その問題を解決して世界を円滑に理解したい、という思考です。根拠のない世界のことわりを許しがたいという態度です。ですからそれらの哲学的思考がないのはサヨクではありません。





ってなヨタ話はおいといて告知。

「ヒップホップ塾 Lesson One」
@素人の乱 セピア
12月9日(土)start18:00
http://mixi.jp/view_event.pl?id=12732261&comment_count=10&comm_id=1210472
高円寺北中通り商店街にある飲み屋〈素人の乱・セピア〉にて、「ヒップホップ塾 Lesson One」を開塾!!豪華講師陣集結!!!!

上記パーティのフライヤー作りました。Bling-Blingなのを試してみました如何でしょう。
楽しそうなイベントなんで皆さん来るべし!


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  • By intellipunk / Dec 03, 2006 5:24 pm

ぞろ目の指向と偶然の思考と混沌の嗜好

hiphopをいかに聴いて解釈するか。

匿名性と快楽性のエレクトロニカやハウスの様に聴くか、大時代ロックや大文字のジャズの様に聴くかは重要だ。
物語では読めない音響の叙事、徹底したトラック主義か。それとも実存の張り付いた叙情、主人公の独白としてか。
計算され計画された精巧なデザインか、狂気をはらむ真実である私小説か。


また、例えば越路吹雪や美空ひばりや勝新太郎の様な芸能や演芸、つまりネタのあるエンターテイメントとしてとらえるか。それともアートやジャズやシネフィル映画や大時代ロックの様に、人間の世界の芸術概念の新しい提出と更新という歴史的意味を持つベタと捉えるか。
音の意図か音の意味か。

どのようにして撮るかがカメラマン。何を何故撮るかがフォトグラファー。さてラッパーはどうか、トラックメイカーはどうか。聴くものと作るものの意図はどうズレているのか?


とかを考えると、ロックはある時代の流れに乗って生成して衰退したんだとわかる。
50年代[芸能(叙事)]→60年代[芸術(叙情)]→70年代[芸術(叙事)]→80年代[芸能(叙情)]→解体




と。ひとりでくだらなく考えていたりします。
ドゥルーズ曰く差異を見つめて概念を創出することが哲学の仕事らしい。んじゃ哲学的な妄想は好きなんだな。
RLLのハーポ部長が駄ジャレ好きで、似ている所を見つけたり、無理矢理似せて結び付けたりして考えるタイプで面白い。僕は区切りを付けたり、系譜や流れの道筋をたどったり、それによる物のジャッジをしたりする裁きのタイプだから。真逆の思考を絡めて物を作っているので、表現の幅があってRLLには可能性感じる。

例えば、ひとりで区切りを妄想。
餡トーストはご飯か? おはぎはお菓子か? ホットケーキは?
ダンスとスポーツの境界はどこに? フィギアスケート/シンクロナイズドスイミング/新体操は? そしてそれぞれのジャンルのダンサーの境界範囲は?


近代とはどこからか? 18世紀後半のフランス革命とナポレオン? 18世紀のイギリスの産業革命? 17世紀オランダ海上帝国の株式資本? 17世紀の神聖ローマ帝国衰退とウェストファリア体制? 16世紀ドイツのプロテスタンティズム? 15世紀イタリアのルネサンスと金融? 15世紀スペインのレコンキスタ(イスラム再征服運動)と異端審問? それとも15世紀ポルトガルの大航海時代?
いやそれは順序があるのかな。レコンキスタでユダヤ人がヴェネチアへ行き、そこで金融が栄えルネサンスが開き、大航海時代で文化が混ぜ返され、ギリシアローマ文化の復興から印刷が発明され宗教改革が興り、三十年戦争で主権国家体制を作った西欧に文化の中心が移り、政治と宗教が分かれ、東インド会社貿易で株式からブルジョアが生まれ、国民国家の市民革命と産業革命が帰結される、と。
中世から合理主義と啓蒙主義と人文主義と国民国家と資本主義と民主主義が順次弾け飛んだわけだ…近代は歴史の流れの中の偶有性の帰結か。で、その先は…


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  • By intellipunk / Nov 26, 2006 5:06 am

存在論的、RLL化するポストモダン


大澤真幸 東浩紀「自由を考える—9・11以降の現代思想」 読了
http://www.amazon.co.jp/dp/product/4140019670/

現代はポストモダンへ移り、対応して権力概念も変容。
ただし二項対立的弁証法的な形而上の区切りではなく繋がっている
様々な実証を交え思想を現在のアクチュアリティにつないでゆく
以下大ザッパに図式化してみる(小さな論過は見逃して)。

人間→動物化
大きな物語→データベース、島宇宙化と情報管理化
第三者の審級→第三者の審級の撤退
神・ビッグブラザー→管理のネットワーク、セキュリティー上昇
規律訓練型権力→環境管理型権力
価値観の共有→価値観の共存
キセルする自由個人で音楽を聴く自由匿名の自由→OA化セキュリティー化ユビキタス化iD化著作権化DM化
虚構の時代→動物の時代
大儀→動機の不透明さ
ビオス(政治的身体)の「生の形式」→ゾーエー(生物的身体)の乖離と管理
ドゥボール。スペクタクル化
アウシュビッツとポストモダニズムの近似性。スペクタクルの有無。
アガンベン。例外状態の全面化(アウシュビッツ・阪神淡路震災の残りの者)ホモ・サケル
フーコー。生権力と生政治
ヴァーチャルな政治的身体→ムーゼルマン剥き出しの生
ハーパマス。レジシマティー正統性の危機
デリダ。固有性→確率的状態、交換可能性
スターリニズムとポストモダニズムの近似性。固有性→偶然性=偶有性
セキュリティ化した権力は偶有性を奪う権力
ヘーゲル。理知の狡知
社会全体を覆う共感→シミュラークルな共感(交換可能性の低下)
個人の偶有性の領域を持つ大きな物語→個人の認証管理
「超越」した抽象身体→原身体性
アーレント。人間の条件アクション(活動)→ワーク(制作・仕事)→レイバー(労働)
コミュニケーション=アクション(活動)→2ちゃんコミュニケーション=動物化
ジジュク。9.11は象徴界が現実に侵入されたというイメージが侵入した
ベンヤミン。カフカの「掟の門」の解釈
「聖書のない状態」→「聖書」→「聖書の読めない状態」
コジューブ。ヘーゲル的人間→アメリカ型動物化家畜化
不純な愛から純愛への昇華崇高化→純愛と性欲処理の共存
ロールズの「普遍」のモダニズム→ローティのポストモダンなシニシズム
哲学者文芸批評家、加藤典洋竹田青嗣→社会学者、橋爪大三郎宮台真司
レッシング。法・規範→市場・アーキテクチャ(ゾーンニング/フィルタリング)
著作権の肥大とコモンズ
ベック。リスク社会
バーリン。積極的自由→消極的自由のフィルタリング
エンデ。自由の牢獄
酒井隆史。「匿名」の自由→排除のメカニズム
アーレントのいう人間の活動の区分に対応する権力の変容。権力は従来の政治活動であるアクションにかかるのではなく、レイバー/ワークに作用する。
アーレントの三層構造の崩壊。消費=労働の固有化記名化
権力の、内面的イデオロギー管理→群れの効率的管理=家畜化
警察国家等古典的権力観→ディズニーランド・マクドナルド・ウィンドウズ化
フクヤマ。ヘーゲル哲学「人間性」→「歴史の終わり」バイオテクノロジー(プロザック)で人間の本質の変容
平等選挙思想→イシューの利害調整
デカルト「コギト」→ロールズ「無知のヴェール」
匿名の自由→多重人格的、記述主義的還元、データの固有性の上昇
柄谷。単独性→特殊性
「誤配可能性」の低下、運命やヨブ的神のきまぐれ超越性の消滅
多数意見の偶然の正しさ→多文化主義的多様性
キャラ化確定記述の固有性
広義の資本主義的必然の運動
デリダ。ハイデガーの人間「世界を作る」現存在/石「世界がない」存在者という西洋哲学→世俗化動物化「世界が貧しい」
ハイデガー。ゾルゲ→ダス・マン
スピヴァク。西欧→オリエンタル、サバルタン
ネグリ。プロレタリアート→マルチチュード
帝国主義→〈帝国〉
ドゥルーズ=ガタリ。モル的状態/モレキュレールの逃走線→数学的カオスの秩序
ハッカー。ウェーバー「プロテスタンティズムの精神」→ドーヴァルズ「それがぼくには楽しかったから」
批評される文化→身体的快楽の技芸
自然な選択肢を抑えることで現れる自由の感覚(ネガティブな発見)→自由が奪われている感覚自体を奪う(「無」の奪われ)
冷戦構造の思想・文学→ポスト冷戦のエンターテイメント
確定記述に固有名、特殊性に単独性、石に現存在→「anyoneの思考」、民主主義の「偶有性へのポテンシャル」
愛とは個人への特定の性質への愛ではないはずだ。真の愛とは偶有性への愛だろう。
単一他者への愛や共感が普遍的な愛や共感と矛盾しない方向がある。






これはバトラーの戦略、本質主義→構築主義にもかかってくるだろう。
マッケンジー・ワーク「ハッカー宣言」も「快楽」という同様の出口を提出している。民主主義の進化と「愛」で締めるのはネグリ=ハート「マルチチュード」と同じ。しかし彼らの議論に欠けているのはグローバリズムであったりキャピタリズムだったり黒人文化そして音楽と快楽だったりする。そのあたりは[VOL]界隈の言葉が進んでいる。

そういえば「RLLは政治でアガる人たち?!」と野田努に驚かれた、どうやらニュースクールらしい。確かに従来の人間的正義感(大きな物語)から現れる政治主体(左翼)の枠組みからRLL外れている。今までの彼らは労働者階級をまだ信じているし政治は大文字だし、この本を理解出来なかったりするだろう。RLLはそうしたものと関係ない楽しいことの為に小文字の政治を文化として享受している。「着る思想」ってヘーゲルに怒られそうなコンセプトだしね。あと密かに妄想するRLLの左翼再生プロジェクトとは楽しさに目覚めさせること。

RLLは正義の政治ではなく、政治の悦楽(JOY)へ視線は移っている。快楽的抵抗の「文化=政治」として黒人文化や陶酔文化や聖社会学を接種している。全ての文化から政治を読みとることを〈悦〉とする。ネグリの生政治とは、アガンベンのストレートな読みとは逆に、フーコーの生権力を反転させ生命賛歌にした。そこにB感覚でアガるRLLの戦略がある。RLLがサウンドデモに見るのはその「B感覚」からだ。プロザックを怖がるフランシス・フクヤマは、セカンド・サマー・オブ・ラブを知らない。あとJOYを知らないダサい社会学者が多くって困る。本当のポストコロニアル研究ってこうゆうことだと勝手に思ってるんだけれど。


以下はメーデーサウンドデモのDJ逮捕の時の僕らRLLの支援メッセージ。
「弾圧者たちは、踊るという快楽行為がリアル・ポリティクスとつながることを、警戒し恐怖している。Bio-politics感覚に酔いしれるサウンド・デモという新世代の快楽を前提にした祝祭=意志表明が、権力者にとって緊急な弾圧対象に思えたということだ。大きい音楽でこころ踊る楽しさ、連帯しながらそれぞれに路上を跳ねる喜び、メッセージ以上にノリを大事にするスタイル、政治を音楽を通して体現できる気軽さ、そしてそれらによって普通の若い人が新しい自由に開かれることを、懸念し恐れ予防しようという意図があったのだ。
だからこそ、僕らはこれからも抵抗として踊り続けなければならない。踊れないファシストに抵抗するために、自由と喜びのために踊るのだ。
逮捕拉致監禁された仲間を解放させよう。また一緒に踊るために。」
この本と無関係に書いたこのメッセージは、911以後の世界を(もっとも1999世界と読み替えたいが)反映していると考えている。


「自由を考える—9・11以降の現代思想」は特段新しい事を、僕らRLLには提示してはいない。ドゥルーズやネグリやファノンやフーコーやギルロイやグレーバーや平岡正明で思考していたRLLだけれど、しかし現状認識としてそれほど離れた場所には居ないこともわかった。とりあえず今まで通りでいいらしいな。


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  • By intellipunk / Nov 22, 2006 5:29 pm

ズラっと紹介、ノリっしょたいがい、読書案内、自意識肥大

「おらぃ勉強不足だなんぅすゃ こらぁ読まねばまいねはんでなぁ(故郷訛)」ってな個人的課題、
いまだ積読してしまい、もしくは購入予定で踏み込み甘い、すぐに飛びつくタイミングじゃない。

追々とって思い置いてく老いてくおいおい何時まで?

おいらはいつもは火急のごとく、
ことごとく新刊の出版ネグリや上野俊哉やフーコーやサイード、平岡正明やドゥボールや酒井隆やアガンベンを、
柔らかい本と混ぜて読むのでホント精一杯なんだな。
根気と時間があったら基礎教養用として読みたいもんだな、
新規の時間を作るのは難しいもんだな、
そんでっと大学ってそんな時間を過ごすもんだろうな。

でも自主制作美大生時代の後悔はしない、
部長のジュンク堂大学を公開は偉大、
基礎目録一人大学の紹介は肥大。


とりあえず「帝国主義」という概念、歴史的推移、その関連領域。問題は、そこから射程は「近代」全てなのかもしれない、ということに漠然と。ただし「歴史」の止まった東洋回帰は絶対にない。




『文化』カルスタ文化研究から音楽やアートまで。ここがメインフィールドのはずなんだけど…
ホミ・K.バーバ「文化の場所—ポストコロニアリズムの位相」
http://www.amazon.co.jp/dp/4588007785/
今福龍太「クレオール主義」
http://www.amazon.co.jp/dp/4480087575/
山口昌男「文化と両義性」
http://www.amazon.co.jp/dp/4006000162/
粉川哲夫「花田清輝評論集」
http://www.amazon.co.jp/dp/product/4003319214/
ガブリエル・アンチオープ「ニグロ、ダンス、抵抗—17~19世紀カリブ海地域奴隷制史」
http://www.amazon.co.jp/dp/4409030620/
ロジェ・カイヨワ「遊びと人間」
http://www.amazon.co.jp/dp/4061589202/
ジョルジュ・バタイユ「呪われた部分 有用性の限界」
http://www.amazon.co.jp/dp/4480087478/
廣瀬純「美味しい料理の哲学」
http://www.amazon.co.jp/dp/4309243533/


『権力/暴力』ベンヤミン+萱野+(?)フーコー〜酒井の範疇(?)
ジュディス・バトラー「触発する言葉—言語・権力・行為体」
http://www.amazon.co.jp/dp/product/4000233920/
エマニュエル・レヴィナス「レヴィナス・コレクション」
http://www.amazon.co.jp/dp/4480084916/
ルイ・アルチュセール「再生産について—イデオロギーと国家のイデオロギー諸装置」
http://www.amazon.co.jp/dp/4582702562/
ピエール・ブルデュー「ディスタンクシオン」
http://www.amazon.co.jp/dp/4938661055/
岡田温司「芸術(アルス)と生政治(ビオス)」
http://www.amazon.co.jp/dp/4582702619/


『日本思想』J社会学から先達まで
宮台真司 仲正昌樹「日常・共同体・アイロニー 自己決定の本質と限界」
http://www.amazon.co.jp/dp/4902465043/
大澤真幸 東浩紀「自由を考える—9・11以降の現代思想」
http://www.amazon.co.jp/dp/4140019670/
見田宗介「社会学入門—人間と社会の未来」
http://www.amazon.co.jp/dp/4004310091/
中江兆民「三酔人経綸問答」
http://www.amazon.co.jp/dp/4003311019/
丸山眞男「日本の思想」
http://www.amazon.co.jp/dp/400412039X/
林達夫 久野収「思想のドラマトゥルギー」
http://www.amazon.co.jp/dp/4582760023/


『政治』統治、共同体、そして民主主義?
ジャック・デリダ リチャード・ローティ エルネスト・ラクラウ シャンタル・ムフ「脱構築とプラグマティズム—来たるべき民主主義」
http://www.amazon.co.jp/dp/4588007416/
ジュディス・バトラー スラヴォイ・ジジェク エルネスト・ラクラウ「偶発性・ヘゲモニー・普遍性—新しい対抗政治への対話」
http://www.amazon.co.jp/dp/4791759575/
マックス・ホルクハイマー テオドール・W・アドルノ「啓蒙の弁証法—哲学的断想」
http://www.amazon.co.jp/dp/4000040545/
http://www.amazon.co.jp/dp/4791758234/
チャールズ・テイラー エイミー・ガットマン「マルチカルチュラリズム」
http://www.amazon.co.jp/dp/4000021524/


『資本』廣松から岩井からセンまで。この辺りは全く門外漢の勉強不足
岩井克人「ヴェニスの商人の資本論」
http://www.amazon.co.jp/dp/448008004X/
ピエール・クロソウスキー「生きた貨幣」
http://www.amazon.co.jp/dp/4791761111/
廣松渉「世界の共同主観的存在構造」
http://www.amazon.co.jp/dp/4061589989/
柄谷行人「世界共和国へ—資本=ネーション=国家を超えて」
http://www.amazon.co.jp/dp/4004310016/
アマルティア・セン「不平等の再検討—潜在能力と自由」
http://www.amazon.co.jp/dp/4000028782/


『歴史』国民国家成立やanti-Faまで。広義のナショナリズム批判
モーリス・ブランショ「明かしえぬ共同体」
http://www.amazon.co.jp/dp/4480083510/
ベネディクト・アンダーソン「想像の共同体」
http://www.amazon.co.jp/dp/487188516X/
小熊英二「〈民主〉と〈愛国〉」
http://www.amazon.co.jp/dp/4788508192/
網野善彦「無縁・公界・楽」
http://www.amazon.co.jp/dp/458276150X/
網野善彦 鶴見俊輔「歴史の話」
http://www.amazon.co.jp/dp/4022598514/


『世界』自分の立っている場所以外のフィールドとつながる。
エメ・セゼール「帰郷ノート/植民地主義論」
http://www.amazon.co.jp/dp//4582764983/
松田素二「抵抗する都市—ナイロビ移民の世界から」
http://www.amazon.co.jp/dp/4000263757/
ジェイムズ・クリフォード「文化の窮状—二十世紀の民族誌、文学、芸術」
http://www.amazon.co.jp/dp/440903068X/
ジョン・トムリンソン「グローバリゼーション—文化帝国主義を超えて」
http://www.amazon.co.jp/dp/4791758013/
エドゥアール・グリッサン「“関係”の詩学」
http://www.amazon.co.jp/dp/490099703X/


『運動』果たして有効な未来を創出することが出来るのか…
ナオミ・クライン「貧困と不正を生む資本主義を潰せ」
http://www.amazon.co.jp/dp/4893613839/
太田光 中沢新一「憲法九条を世界遺産に」
http://www.amazon.co.jp/dp/4087203530/
サスキア・サッセン「グローバリゼーションの時代—国家主権のゆくえ」
http://www.amazon.co.jp/dp/4582841910/
イグナシオ・ラモネ「マルコス・ここは世界の片隅なのか—グローバリゼーションをめぐる対話」
http://www.amazon.co.jp/dp/4773802022


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  • By intellipunk / Nov 14, 2006 7:27 pm

デヴィッド・グレーバーとか

「アナーキズムとアートの現在」

■日時: 2006年 11月6日(月) 17:00〜21:00
■会場:明治学院大学白金校舎アートホール
■主催:明治学院大学文学部芸術学科、『VOL』
 文化人類学者であり、Direct Action Network、People’s Global Actionの活動家であるデヴィッド・グレーバーの来日と著書『アナーキスト人類学のための断章』の出版、および『ニューヨーク烈伝』が近日刊行される翻訳者・批評家の高祖岩三郎の来日を記念して、『VOL』の編集委員である『自由論』の酒井隆史、『国家とはなにか』の萱野稔人、『無産大衆神髄』の矢部史郎、そして美術、建築誌などで活躍する小田マサノリを迎えたシンポジウムを行います。シアトル、ジェノバ以降のアナーキズム理論=運動の最前線を通して、アートによる世界変革の可能性から、都市空間の再構築に至るまで、幅広く論じていく予定です。
■タイム・スケジュール
17:00 挨拶
17:10 高祖岩三郎(翻訳家・批評家)/小田マサノリ(文化人類学・文芸評論、中央大学)/矢部史郎(活動家)/萱野稔人(政治哲学、東京大学)/酒井隆史(社会思想、大阪府立大学)
18:45 デヴィッド・グレーバー (文化人類学、イエール大学)
19:45 全体討議
司会  平沢剛(映画研究、明治学院大学)
世話人 門間貴志(映画史、明治学院大学)
一般公開・入場無料 同時通訳あり
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[VOL]チーム+イルコモンズさんってことで、ある意味では、日本の若手の先鋭的な理論を集めた感じで、これ(http://www.tbsradio.jp/life/personality.html#charlie)とは真逆な感じがいい。パンクがあるかないかという意味で当然僕は前者にシンパシーを持つんだが。




昨日一昨日とデヴィッド・グレーバーの来日イベントに参加してきた。
RLLは彼に日本で一番有名なアナーキストのヒップスター「大杉栄」のTシャツを贈与した。これがRLLの純粋贈与。彼がRLLを着て海外で活動することを思うと愉快でたまらない。高祖岩三郎さんにも「T.A.Z.」も買ってもらって、おまけに「T.A.Z.」の著者ハキム・ベイにもプレゼントしてくれるという。RLLの与り知らぬ所でTシャツがメッセージを送ってゆく、ボイジャーの様に。

デヴィッド・グレーバーの話は非常に面白かったし、話題は多岐に渡った。基本的にはネグリ=ハートの議論と齟齬ないまま、現場(アクティビズム/ フィールドワーク)からの理論の紡ぎ方を重視する姿勢が特徴か。ネグリ=ハートの〈帝国〉や柄谷「世界共和国」やモース贈与論やアルチュセールAIE概念を思わせるレイヤー状の思考を通過し、アクティビズムのスーザン・ジョージやナオミ・クラインと同様の視線から発せられる言葉に、新しさはないがすんなり入ってくる解りやすさがあった。世界を思考しかつ具体的な現場の経験をしてきた人の独特の回答があって面白い。たとえばそれは「低理論(ロウ・セオリー)」という概念に結実している。これの説明はちょっと誤解があってはいけないので簡単には書かない。これから出る『図書新聞』で矢部史郎さんとグレーバーさんとの対談があり、その部分が存分に語られたらしいので、チェック!思想家件活動家の日米代表の邂逅には期待が持てる。でもちょっとだけいうなら。[VOL]の中にも「低理論」と「高理論」の綱引きがあり、これは現場とアカデミズムの古くて新しい問題なのだとも思うのだ。であるから、今日のシンポジウムの萱野稔人さんの哲学博士からの応答を知りたかったのだ。僕は実際はねっかえりだけれど「高理論」への憧憬と尊敬があるんだな。
とにかくデヴィッド・グレーバーの『アナーキスト人類学のための断章』(以文社)は今のタイミングは必読だと思うのだ。なし崩しに煽動された右傾ポピュリズムにデリダ(?)経由のアカデミズム理論が歯が立たない状況で、アナーキズムという倫理で僕らはいかに歩いていけるのかとね。

グレーバーはこの後メヒコ(メキシコ)に飛ぶらしい。亡くなったインディメディアの知人の意志を継ぎつつ、11/20のEZLNらの呼びかけ(?)で世界中が一斉に抗議を予定している統一アクションに向かうようだ。

マイミクの友人に教えてもらったけれどメヒコでは、7月2日に行われた大統領選の不正疑惑をめぐる一連の運動も大規模にあった。中南米の民衆運動の盛り上がりの中で、アメリカは威信をかけてメヒコ親米政権をサポートする。グレーバーは言ってたね、アメリカはNAFTA (北米自由貿易協定)を作ってグローバリズムを勧めようとしながらメキシコ国境に壁を作る矛盾がある。グレーバーはグローバリズムで世界中の民衆レベルが繋がることに希望を持っている、楽観的で明るい彼のキャラクターは信頼に足る。


不謹慎だが僕はこの時代が面白くてしようがない。象徴として1999シアトルから2001.9.11NYそして戦争と反戦の時代。どのくらい世界の悲しみは増えているのだろうか。しかし国家レベルだけじゃなく群衆レベルで世界を知覚し繋がってきたことの喜びも増えた気がする。そうなんだ68年特権化より、今を楽しめ!



追記☆
ゆっくすさんのMixi日記でシンポジウムの大変几帳面にレポートがあげられています、必読!


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  • By intellipunk / Nov 06, 2006 6:20 pm

無駄に長いinfo

いつも文化を中心にリアル・ポリティクスをあえて避ける形で書くことをしているけれど、「政治」=「文化」=「社会」であることは避けられない中で思考の連関に引っかかる、ある事象を取り上げつつつらつらと。

リアル・ポリティクス(マヂ問題)を軽視しようとは考えていないが、生活に真っ直ぐ降りてこない大文字の政治行動を迂回して、如何に実存を私小説として世界から疎外されずに直視出来るか、というスタイルを模索するのだ。つまり自分にどう関係を付けて世界と接続出来るか、という問題。世界から閉じて会社生活出来ることも知っているし、逆に必然皆無のお節介な正義を振り回す(オールド左翼からVIPERまで)愚かさも知っている。だからこそ縁を大切にしながら世界に開かれた生き方が、文化(を中心にした生き方)だと考えるわけだ。平岡正明は曰く「文化の戦いってのは男が命を懸けてやるもんなんだよ」(『平岡正明のDJ寄席』ハーポ部長仕事)である。


10/30付 EZLNからのメッセージ
インディメディアのジャーナリスト、射殺さる

新宿のかっちょいいアナルコ・パンクのショップIRA(イレギュラー・リズム・アサイラム)のブログの記事から。
ここでメキシコ南部の民主主義的社会運動の弾圧の件を知る。行動が始まって半年も経っていることも知らなかったし、インディメディアのジャーナリストの訃報がなければ興味を持たなかった可能性だってある。

無論、全ての民主主義的社会運動を知る必要性はない。EU以外の世界の統治側は、本質的に民主主義など欲していないし、EUだって統治権力を民衆が自発的に押さえ込んで自治する意識がある薄氷なだけだ。民主主義は選挙以外にも常に行使し続けなければすぐに腐敗する。全ての民主主義的社会運動は常に全世界的に、行使されまた押し返される一進一退の中にある。世界は太平天国ではない、だから民衆の弾圧は常に存在し抵抗も続いている。無理に自らに引き寄せるべき運動もないし、また目をつぶり知らんぷりをきめ拒否をする理由もどこにもない。自分の人生を重ね合わせ、そこに縁を感じれば飛び込んで行くといい。

インディメディア(日本版)とは、草の根系独立メディアの集合組織。1999年のWTOシアトル会議抗議行動の中で模索され、協同的な作業の中で出来た全世界的な民主主義的社会運動の為のフォーマット。これに代表されるグローバリズム時代の新しいスタイルが現在の状況から様々に生まれている。これへの経緯は以文社から出た Vol.01のアナーキスト文化人類学者デヴィッド・グレーバーのインタビューで少し書かれている。60年代からの新左翼の男性中心的集権主義からのアンチとして、70年代後半からフェミ等の小さな平等主義的集団が生まれたが、拡大するにつれ組織問題で行詰まる。そこからクエーカー教徒の「直接民主主義的な合意形成の過程」を取り入れながら、各種の組織論方法論戦術を編み出しつつネットワーク状の関係を作り出してきたのだ。「一万人もの人間が一同に会して、何の指導的構造もなく、難しい状況において何をすべきか集団的な決定をくだせる— —これはそれまで誰も想像さえしなかったことでした。」これは冷戦崩壊後のネット社会になっていっきに可視化された、グローバリズム権力である〈帝国〉と対になる「マルチチュード」を思わせるが、デヴィッド・グレーバーはそれを新しい主体とはみなしていない様だ。あまり僕らは鎖国状態で、世界は見渡せないところで未来を模索している。


で、このメキシコ南部の運動の件をネットで探すとソースが全て海外メディアの日本版か海外の記事の翻訳しかなく、日本のメディアでは取り扱われていないということに気が付く。ネット環境以前は情報鎖国だったのは知っていたが、未だにヤフーニュースなんかを見ていても伝わらないことが沢山あるんだろう。メディアリテラシーだけではどうにもならない、圧倒的な情報管制状態だってことなんだ。
4つ引用、上2つはAP通信の情報、下2つはラテンアメリカのニュースの翻訳ブログ。
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http://www.usfl.com/Daily/News/06/10/1030_004.asp?id=51148
「外国人記者ら3人死亡 メキシコ南部で争議取材中」
USFL.COM 更新2006年10月30日 13:05米国東部時間
 賃上げをめぐる教職員組合と州政府との激しい対立が続くメキシコ南部オアハカ市で27日、抗議の座り込みを続ける教職員らと武装集団との間で銃撃戦が起き、取材中の米国人記者を含む3人が死亡した。
 事件を受け、フォックス大統領は28日、混乱収拾のため同市へ軍を派遣すると発表した。
 現地報道などによると、死亡したのは独立系インターネット・メディアの記者、ブラッド・ウィルさん(36)とメキシコ人の教師ら2人。AP通信によると、駐メキシコ米大使は地元警察官らが銃撃にかかわった可能性を示唆した。
 教職員らは26日、投票で約5カ月間続いたストの中止を決めたばかりで、混乱収拾の期待が高まっていた。(共同)

http://www.cnn.co.jp/world/CNN200610300021.html
「メキシコ南部のデモ激化、警官隊が出動」
CNN Japan2006.10.30Web posted at: 17:27 JST- AP
 メキシコ南部オアハカ(AP) 今年5月に始まった教員のストをきっかけに、州政府への抗議行動が続いている当地で、米国人が銃殺された事件をきっかけにデモが激化し、29日には連邦警察が出動、デモ隊と衝突した。
 武装した警官隊はヘリや装甲車の支援を受けて市内に展開。デモ隊が占拠していた中央広場を、同日夜までに奪回した。デモ隊の指導者らは「非暴力」を訴えているが、一部参加者は投石などで応戦。人道団体などによると、15歳の少年が戦闘に巻き込まれて死亡した。デモ隊側によると、警官隊は50人を逮捕し、家宅捜索を実施した。
 オアハカはメキシコ有数の観光地として知られていたが、過去5カ月にわたり、学生や無政府主義者らが中央広場を占拠。市内の道路を封鎖して抗議行動を続け、州知事の辞任などを求めていた。
 フォックス大統領は交渉による事態収拾を呼び掛けてきたが、同市内で先週、米国人ジャーナリストが、地元当局者らに撃たれて死亡したとされる事件が発生。デモ隊が地元治安部隊と衝突する事態に発展したため、連邦警察の投入を決めた。

http://andino.blog26.fc2.com/blog-entry-5223.ht
「オアハカ、再燃」
Boston.comの記事 2006/10/29(日) 08:04:17
 メキシコ、オアハカで再び衝突が発生し、外国人記者を含む3人が死亡した。
 オアハカ州知事の辞職を求める抗議活動は5ヶ月間続いている。今週には、抗議に参加している教師らが一時ストライキ中止を画策したが、結局続行。そして28日、再び大きな衝突が発生した。
 銃による交戦により死亡した1人は、米国の36歳の男性だった。この男性はフリーランスで米国のメディアサイトなどに記事を送っていた。この日、オアハカで取材中、流れ弾が腹部に当たり、収容された赤十字病院で死亡が確認された。
 銃撃戦は武装したグループが、抗議者らの封鎖ブロックを退けようとした際に発生。警察によると、どちらの側から先に銃が向けられたかは分からないという。またこの武装グループがゲリラなのか、または警察であることを当局が隠しているのかは不明だ。
 この事態の中、12月1日に任期を満了するフォックス大統領が決断した。事態収拾のため、メキシコ軍を派遣することだ。教師らのリーダーによると、すでに4000人の警官がオアハカに派遣されているという。
 抗議者の一人は語る。 “ウリセス・ルイス(州知事)は、人々を抹殺しようとしている” こう着状態が続いていたこの町の背負う不信感は、根深い。

http://andino.blog26.fc2.com/blog-entry-5250.html
「力によるオアハカ」
Boston.comの記事 2006/10/31(火) 06:53:05
 メキシコ、オアハカ中心部の抗議活動は、力により排除された。
 この5ヶ月、オアハカ中心部は戦場と化している。オアハカ州知事の辞任を求めた抗議活動が続けられ、市内中心部は占拠されたままだった。警察らとの間には断続的に衝突が発生。この抗議グループ排除のため、メキシコ連邦軍が出動したのだ。
 警察が中心部の広場「ソカロ」を制圧。抗議グループらは火炎瓶を投げ、車を燃やすなどの抵抗を試みたが、すべて排除された。
中心部にはメキシコ軍の車両が入り、放水などでバリケードを破壊。29日には抗議者1人が死亡している。
 30日からメキシコでは子供たちが学校に還ってくる。オアハカで抗議活動の主体をなしていたのは教員らだった。先週、教員らはストライキ終結を示唆していたが、中心部占拠が依然として続いていたのだ。
 教師らのリーダーは、「それでもあきらめない」とのコメントを出した。ルイス州知事の辞任に向け、これからも活動を展開していくという。
 人口27万人のオアハカは、コロニアル時代からの街の面影を残す観光地だ。しかし長引いた抗議活動により、市民生活は疲弊。観光客の足も遠のき、ホテルやレストランなども休止を余儀なくされている。
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やはり記事はインディメディアや抗議行動に基本的に好意的ではない。商業ジャーナリストの独立系メディアに対するスタンスの問題もあるだろう。しかし隣国メヒコ(メキシコ)の民主化運動は、米国の国益つまりグリンゴ(ヤンキー)植民地主義が沿わない、ということが当然あるのだろうね。アメリカ民間植民地状態から脱却する中南米の左傾化の中で、メヒコの反動親米政権を後押しする国益前提の方針の中では、中立を装う風でもメディアは真っ白(グリンゴ)に脱色されている。

警察当局に殺されたアメリカ人インディメディアの記者はデヴィッド・グレーバーの知人だったそうだ。
その彼のシンポジウムが今週末ある。


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「NEW ANARCHISTS COLLABORATION デヴィッド・グレーバー来日交流会」

■日時:2006年11月4日(土) 16:00〜
■会場:アナーキズム文献センター仮作業場 東京都新宿区若葉1-9-16
■会費:¥500
■問い合わせ:IRREGULAR RHYTHM ASYLUM

「新たなるアナーキズムの地平 デヴィッド・グレーバー×高祖岩三郎」
■2006年11月5日(日)15:00〜17:00(14:30開場)
■会場:青山ブックセンター本店内・カルチャーサロン青山
■入場料:¥500(税込)
■電話予約&お問い合わせ電話:03−5485−5511
デヴィッド・グレーバーの『アナーキスト人類学のための断章』の出版、および彼の来日を記念して、翻訳者であり、自身も近日初の単行本『ニューヨーク烈伝』(青土社)を発表する高祖岩三郎とによるトークショー。近年、ニューヨークで興隆するアナーキズム理論=運動の最前線を通して、世界変革の可能性から、われわれの生活空間の再構築に至るまで、さまざまな術(アート)を探るための対話。——恐れる必要はない、変革はゆっくりと、だが着実に進んでいる——

「アナーキズムとアートの現在」
■日時: 2006年 11月6日(月) 17:00〜21:00
■会場:明治学院大学白金校舎アートホール
■主催:明治学院大学文学部芸術学科、『VOL』
 文化人類学者であり、Direct Action Network、People’s Global Actionの活動家であるデヴィッド・グレーバーの来日と著書『アナーキスト人類学のための断章』の出版、および『ニューヨーク烈伝』が近日刊行される翻訳者・批評家の高祖岩三郎の来日を記念して、『VOL』の編集委員である『自由論』の酒井隆史、『国家とはなにか』の萱野稔人、『無産大衆神髄』の矢部史郎、そして美術、建築誌などで活躍する小田マサノリを迎えたシンポジウムを行います。シアトル、ジェノバ以降のアナーキズム理論=運動の最前線を通して、アートによる世界変革の可能性から、都市空間の再構築に至るまで、幅広く論じていく予定です。
■タイム・スケジュール
17:00 挨拶
17:10 高祖岩三郎(翻訳家・批評家)/小田マサノリ(文化人類学・文芸評論、中央大学)/矢部史郎(活動家)/萱野稔人(政治哲学、東京大学)/酒井隆史(社会思想、大阪府立大学)
18:45 デヴィッド・グレーバー (文化人類学、イエール大学)
19:45 全体討議
司会  平沢剛(映画研究、明治学院大学)
世話人 門間貴志(映画史、明治学院大学)
一般公開・入場無料 同時通訳あり
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デヴィッド・グレーバーの言葉「われわれはあくまでも他人への「関与責任(commitment)」から出発せねばならない」「人は世の過ちに対して本能的(visceral)に反応し、そこから他の可能性について思考します。それが「発端的関与性(initial commitment)」であり、その後それに対して実践的な行動を積み重ねていきます」「もし方法と目的が一致する状態を望むなら、人はます色とりどりの多様性と差異が尊重される環境を整えなければなりません。アナーキストの実践倫理はそれを強調します」。これはアナーキズム実践の倫理的言説傾向についての語だが、そこに自分と世界との距離感の測り方を倫理としてはっきりと線引き出来る「全く開かれていて(open’ended)複数的(multiple)かつ想像的(imaginary)な弁証法を持つことが可能」とする希望が提示されている。多くの運動探しの運動やごめんなさいスタディーズが迷い込んだ迷路から自由な理論。僕が大文字の政治を語らず、ずっとテーゼ「作家主義」と「一期一会」を挙げ世界実践の活動することを、彼は多元的弁証法として理論化している様に思えた。

ここで平岡正明の目線にもう一度戻ろう。御大平岡が落語やジャズや新内や美空ひばりや座頭市や犯罪や水滸伝や大道芸を、革命に読み解くやり方は一般性を持たず、多くのデヴィッド・グレーバーで云うところの「通訳不能性(incommensurability)」がある。そこには平岡の特権的な経験に裏打ちされた「政治的存在論」があるのだ。一般性理論に引き下ろせない「低理論」を強調し、そこから導く民衆の声(つまり正義)を安易な感情移入した「代理表象」をさせずに「文化」から作家論として読み解く。「文化」の読みと実践とは、アカデミズムの理論からは疎まがられまた、運動の現場からも直接的でない弱さを持つ。しかしそこにしかない政治的実践がするのではないか。「文化の戦いってのは男が命懸けてやるもんなんだよ。それに値するんだよ。殊にな、冗談には体張らなくちゃ駄目だ。知性は、その低次の段階において二枚目である。高次の段階において三枚目である。最高次の段階において無頼である(『平岡正明のDJ寄席』)」これを自意識の正義→エンターテイメント→作家主義と読みとこう。
安易に可哀想な人の為の代弁をし実存を満足させてはいけない、不正の揚げ足をとることを正義としてはいけない。常に関係の中の主体が前衛として世界の認識の更新を進める作家主義とする。


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  • By intellipunk / Nov 02, 2006 12:44 am

だらだらと目線確認

いやホント世間(NOT世界)のことを語るのには天下国家(NOT天下太平)を吟ずるのには、ある種のリスクと慎重さ生真面目さが伴いますね。んまぁその味も悪くないんだけれど、今夜はもっと乱痴気に言葉を放り出したい。毎週やってるネットラジオ(言いっぱなし)に慣れきった怠惰か、それとも70年代前半の油の乗切った平岡正明の文章を感冒したか。

んなんで、コミュの書き込みもそこそこに、自分のことでもだらだらと。

RLLはスキャニング・マフィアを名乗っているが、これはMARK STEWART/MAFFIAからのインスピレーションだったのだけど、どこかしら偽札作り100円裁判赤瀬川原平のイメージ—つまり前衛芸術の政治性とユーモア—もあり、80年代のクローネンバーグの「スキャナーズ」なディストピアのサイコ(ケデリック)とエンターテイメント馬鹿ハリウッドVHS文化のケバケバしいお菓子さ(マンチー)可笑しさ(イルドーザーの輸入文化の消化もこの方向から)もあって、この多義性が気に入っている。
贋札(価格)ならぬ贋価値作りがその本望なわけですが、そりゃ価格≠価値ってことで労働価値説を僕らは信望するべきなのだろうか、でもあるいはしかしRLLは盤おこしのブートの12インチ連作してるってことでパレート効率性なんて奇跡を信じない奴を信じない、「皿は時を越えるbyTBH」わけだから文化の欲動をゲーム理論は関数化出来ない故にこちらも関知しない、ってことでいいだろうな。つまり全てはカルチャーの問題だ。資本主義経済と文化(心の交換価値)は常に相克する、つまりやつらはダサい(価値は何でつけようか?)ってことだ。経済は歴史を紡ぎ出せない、時代は心(文化)の移り変わりだからね。何故その色に移り変わるかは、効率ではない呪われた部分だからね。
スキャニング・マフィアって造語はそのそのままカルチャー・ジャミングのこと意でもあるのだけれど、それから連想されるアドバスターズ(もちろんこの名も80年代馬鹿ハリウッドVHS文化のアプロプリエート)から逸脱する領域をもカバーするRLLの自己ジャンルとしての自律性もいい。アドバスターズの笑いがjackass的な直裁さに似て照れくさいので、アドバスターズへの憧れを通過せずに、日本の洋楽文化や服飾文化や出版文化(つまり欧米文化輸入から始まる憧憬と喜びの文化)を通過した遜ったところから何かを始めたい、と思ったことも、スキャニング・マフィアには痕跡がある。20年代アヴァンギャルド芸術や50年代映画60年代ジャズ/アート70年代ロック/サイケ/パンク80年代ユースカルチャー/モードってのを日本の尖ったお洒落さん達がその時々で洋行帰り輸入剽窃偏愛してきたことへの最大の敬意。かつその語の平面性がTシャツというカンバスを象徴しているしね。つまんない反対運動なんかじゃなく、世界(観)の文化に最大の興味関心を持つ(つまり感情の保守主義ではなく感情の極左冒険趣味)ことから何かを。文化には何かあるんだ奇跡が。
で、文化への義理人情をもって翻訳は街のカルスタって気取るわけだけど、僕は義理つまり道理の正しさdutyを前提とするが、ハーポ部長は人の情つまり自然な情感feelingsを興味本意で探り当てるlike ブルースリー。∞+∞=∞は快楽からアプローチするからカルスタじゃないんだけれね。DJとは音楽の快楽点の差異を時間的にグラデーションさせて絵を描く行為、だとするとこの3人の義理人情快楽が織り成すB2BのDJグループのグルーヴは、文化の差異から喜びの導火線を探り目利き掘り起こす。
目線が伝わっただろうか?

UNDO-BU
REVOLUTION-POP STUDIES
CULTURE JAMMING POSSE
PRO-SITUATIONIST
SCANNING MAFIA
BIO-POLITICS CHANOYU SQUAD
CHUO-LINE MULTITUDE
“CULTURE-POLITICS”UNIT
“WEARABLE IDEA” TEE-SHIRT MAKER!
これらはHPのトップを飾る予定のRLLの自己申告、パーティー内容。いずれも概念を含み誤解を催しながら流通していく多義語なんだな。


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  • By intellipunk / Oct 25, 2006 4:30 am

Sucker

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えーと、エアロゾルアート(含ステンシル)に何か輝きを感じている、グラフィックデザイナー(広告もやる)として、職業倫理の問題として憤怒した。上記フォトはチューリッヒ自動車保険のビルボードとして、昨夜観たモノと同じ。この写真の上にコピーとして、あなたの車に落書きがあったら云々と不安を煽っているシットな文字が載っていた、以外は同じ。

まず、自らの商品の訴求として、グラフィティを社会不安と断定した上で利用し、さも自動車保険に今すぐ入らないと明日の朝はやられている、と煽動する商業主義のあさましさに反吐が出る。てめえの売り物の儲けのために、社会悪としてグラフィティを挙げつらねるってのは、やりすぎじゃねぇの? 丁寧に壁からはみ出て車にまで描かれた、広告主にとって最良のご都合主義な具体例(どっかの知恵のない三流のデザか美学生に金を掴ませて描かせたのだろ)を、自家用車保有者に恐怖する様に見せつけやがって。広告用に嘘を作り込んだ欺瞞、アートディレクターもクリエイティブディレクターも明日から廃業しろゲス野郎! 上司に言われるままに仕上げたデザイナー、それ最高!採用!とかぬかしたクライアント・代理店も同罪だ、今月中に仕事辞めろ屑。
だいたい、壁から車へ繋がってキャラやピースを描くことなんてあるのか? ライターにとって車邪魔だろ、描くならよその壁行くだろ。わざわざピースの一部が移動することのメリットないだろ、そんなグラフ描くスタイルなんてあるのか? 車の所有者に恨みあるんなら描かないでボコるだろうし、車に描く専門がいるんならこんないい加減な描き方しねぇYO!
どうやら、グラフィティを「いたずら」と勘違いしてんじゃねぇの、ってことじゃない様だな。「落書き」ってヘッドコピーで入れていて、これは確信犯だと分かっているよ。大抵は自動車狙いはボディに傷を付ける様な「いたずら」であって、車にわざわざ「落書き」をする酔狂はごく稀だ。そして自動車保険の契約では、「いたずら」と「落書き」は峻別される、ちょっと調べたらすぐに分かったわ。被害ケースによくある車への「いたずら」は、「落書き」に比べリスクが多い分、旨味が少ない(支払い拒否のところもある)。そこで「落書き」への不安を大きくすれば、心配性の自動車オーナーから保険屋は儲けられるわけだ。「落書き」を街中に増えつつあるグラフィティからの車被害と虚偽申告すれば契約万事OKですか、あんたら。臭い金儲けの為に、あるはず無いグラフィティへの罪をでっち上げて、最悪だな。
それとも実被害がグラフィティであった例があるのい? そのライターは車専門で、手当たり次第やったのか? この写真のままの被害なのか? そして今、車への被害は増えているのか? ちがうだろ。全くの自律したルールのないグラフィティという怪物を仕立て上げて、ありもしない不安をアジってるんじゃないよ。(そうそう、「ありもしない不安をアジ」は不安な安っぽい弱い人間的な感情で、それは2ちゃんでもよく見かけるし、少し前の東京の地震があったときは朝鮮人が日本人に拉致られてリンチで殺された。これはこれで、とっても根の深い欠陥だ。けれど今回は金の為にデマるってこと、心根の卑しい下劣なことだ。)
これが、実際のドキュメンタリーな写真だったら何も言えない。しかしお前らは嘘を付いてグラフィティをただの破壊者にして金儲けしようとしている。無闇にスクラッチしたりヴァンダリズム(公共物破壊)を前提に活動してるライターもいるだろう。けれど基本的には、グラフィティは私有物ではなく公共物へアプローチするものだ。私物である自家用車へは、よっぽど変わったライターの私憤か因縁か、もしくはロケーション的にやってもいいだろと心くすぐる特別な物件じゃない限りない。ありもしない愉快犯的な車を狙う怪物を創作するんじゃない。それとも車へ急襲するスタイルが流行して欲しいのかな?
その嘘広告が「ビルボード」だってのが皮肉。金で壁を買って、いかさまグラフィティ飾るならOKなのかい。そうした金権への内在的批判がグラフィティをイリーガルへとかきたてているんだぜ。


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  • By intellipunk / Oct 19, 2006 4:14 pm

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