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ダンスフロアの奇跡

”this time is yours”という言葉をTBHの”Annui Dub (Thank You Very Much My Friend)”で教わった。

Joe Claussellの曲”Agora E Seu Tempo”英語ではこう云うらしい。ある時のこと。


この概念を僕は「ダンスフロアの奇跡」とずっと呼んでいた。




これは、器官と感情と思考が連関する一つのハメの形だと思う。非常に中毒性のある体験。非日常の状態。忘れられない大事なもの。

大きい音をずっと聴いていると、無音になる。そんな体験をしたことはないだろうか。それと同じことが光や色や時間にも同時に起った感覚。それでいて世界からの肯定が起こる。分からないだろうか、これこそ言語的転回の体験だ。

まず、何も予兆なく音が突然溶け出す、これはダンスの好きな人間なら割としばしば起こるので驚くことではないだろう。そこからだ、揚がり方は全くスピードを変えずに上昇をひたすら続ける。身体はリラックスするが止まらない。それから色が無彩色へ同時に光が、ミラーボールの定期的な乱反射が、方向を失い虚空が形成される。最後に時間が止まり、それでいて一定のBPMを刻むのを足元は辞められない。そう、止まったまま動き続ける。もしかしたら重力も分散してしまったかもしれない。だけれども、感情は覚めて何故かくっきりとし、未来=革命=奇跡を感じて、全てへの肯定を持って沸き上がってくる。そのまま実存が微かに霧散して生命そのものを理解して、孤独な寂しい宇宙を見つめたまま事態を肯定する。絶対零度の眩い瞬く暗黒の中時間が止まったまま、隣の知らないダンサーと交歓することも止まない。音は鳴っているのか関係無くけれどキックもスネアも腰と膝でしっかり握りしめていた。時間は讃えていた。

やがて、どのくらい経ったか分からないけれども、ある概念は、いつもの若干下心ある祝祭やエゴイズムある歓喜へと下降してその”this time is yours”は終わる。

これを最初に感じたときは、多分そのときは30分くらい、アルコールやニコチンすら摂取していない、ミネラルウォーターだけで3時間踊った後のこと。驚くよりこの瞬間を持ち帰る気持ちでいっぱいいっぱいだった。以来、それ以外の飛びが邪魔でしょうがなかった。
多分93年か94年の札幌、木のフロアがとてもよかったredhotってクラブだった…NYからfrancois kevorkianきて廻したパーティだったと思う。やばいパーティだった…すぐにredhotはクローズしてしまったけれど。


ダンスミュージックが好きな人でこのことを体験していない人は居ないと思うのだけれど(簡単な錠剤とは飛びの方向が違うけれどね)、あまり記述した言葉を知らない。今僕がクラブカルチャーと距離を持っているからの無知だろうか。ほかの人の記述を知りたいものだ。


BOSSのリリックはこれ↓
————————–
プレシャスなホールのフロアのまん中でまだ銀色の月が高かった頃、97年の秋ぐらい
そこで見た事も聴いた事もない音楽と遊ぶアンタをやっと見つけた。
そこでは、驚く事にロウは濁った粘土質の濁流みたいに、針は時々細ーい針金の様で、
汗も、涙も、もう枯れ果てて、心で泣きながらそれでもステップは止まらなかった。
ストロボの中、全員が無言で、意識は無音で、向こうで、むかえる極限。
1億年、1光年、永遠、未経験、痙攣、何も見えねえ、状態でこそ見える、なにも考えずに考える。
爆音中で聞こえる静寂。奇蹟の周波数。
針が歌う、パイプが詰まる、一晩中いそがづ一緒に暮らす。
ジェットコースター。モンスタークッキーが炸裂した夜。
98年の12月、2デイズの二日目。
ディスタイムからの飛びは、何時何時一度のラストまで一度も水平飛行に移らず、上がり続けた。
そしてthis time is yoursそう英語では訳すらしい。
目を瞑らなくても良いくらいの、眩しさの、日向の、ふっと出くわした、重力を感じない不思議な空間で 、両手をだらんと垂らして、上空で繰り広げられる細やかな、温かな、音の粒子がぶつかりあう様を何も言わず、見とれると言うよりは、何も言わず、ただその空間にある。
そんな感じで俺らは立ってた。
何一つ言葉にできない、息一つで崩れてしまいそうな、 幻想的にゆっくりと流れるthis timeを、止めることも、追い抜く事も出来ず、ただ見送ってた。
宇宙の中で此処は何処で、人生の中で此処は何処で、俺達は何処に行くんだろう?
今夜は何処へ繋がるんだろう?今夜は何時の間に始まったんだろう?
今夜は、また明日になれば毎日の空気に溶けていくんだろうな…
爆音の中で聞こえる静寂、奇蹟の周波数。
そんときアンタが上を見ながらボソっと呟いたセリフを今でも覚えてる。
この時がずっと続けば良いのに…

プレシャスのフロアの33時、まだ皿は回り、体の周りに、降りてくる安心、嬉しい、悲しい。
今日まであった色んな事、今日あった色んな事、今夜あった色んな事、今夜あった色んな人、おぉ、全ては、この一曲のためにあったのか。
目を疑う、熱が伝わり、夜が繋がる、ミラーボールと耳の間で今がキラッキラッと泣いた。
一生で最も美しい景色の一つ。
俺はそれまで使っていた言葉を忘れた。
すると暫くして聞こえて来た。
聞こえて来た、そのままを呟いてみる。
この時がずっと続けば良いのにな…
——————————–

これが僕の知っている唯一の他人の”this time is yours”「ダンスフロアの奇跡」の記述。


でね、この体験をもとに僕は構造主義の多くを感覚的に理解できた。というかこれがなかったら言語的転回の多くを粗忽な理解で済ましていた。哲学は形而上の体験と一致する。

「ダンスフロアの奇跡」を神秘体験で済ます杜撰な言葉なら多く知っているけれど、中々同一の感情をトレースするリリックや告白を読んだことが無い。安易なチルもイージーでいいけれど、これを感じていないのなら残念ね。
それとも札幌のPRECIOUSやAL’Sはそんなに特別な場所だったのか。


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  • By intellipunk / Oct 11, 2006 4:09 pm

メモ

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  • By intellipunk / Sep 19, 2006 4:03 pm

「中野→高円寺サウンドデモ」祝勝生中継

昨日のサウンドデモについては、宣伝段階からずいぶん色々な声が聞かれた。けれどあまり本質を掴んでる言葉の人が少ないのにがっかりしたね。
つまりサウンドデモとは何かを『文化=政治』って枠で見渡せている人がね

この下記お二人の考察はそれなりのサウンドデモ把握があって、個人的にも考えるところありました。ありがとうございます。
http://d.hatena.ne.jp/inumash/20060914
http://d.hatena.ne.jp/kir_royal/20060916


それから、高円寺の「素人の乱」という動きというか流れは、今までの渋谷でのサウンドデモ文化とも随分違う。外から眺めたときの敷居の高さというか妙なローカリティーのあり方に隔絶感があるので、上手く誰も判断が出来かねているんだろうな、無理解に拍車がかかっているのだろうな。なかなか理解しがたい独特の悪ふざけや冗談が伴ったその存在は、急に変化して面白く分かるタイミングがある。けれど彼等のそれは音楽や芸能と同様に理解に段階がある特異なモノだし、そんな文化的な準備が必要な社会運動(?)が、それこそ新しいと誰にでも分かるのは随分後になるのではないか。だからこそ社会学者や東大院生やジャーナリストが、研究/取材対象として注目を集めたり、耳早い音楽好きの友人達がパッと顔を揃えたりするんだろう。
「素人の乱」の規模が全盛期の「だめ連」になりつつあるのでは?と昨日打ち上げでRLLクルー∞+∞=∞ AKA ziprocker君に話した、時代やベクトルやフィールドも違うので比較は難しいけれどね。それこそだめ連への理解にもそれなりの時間がかかったけれど、始まってから2年弱のこの何か良く分からない素人の乱の急激な展開には、彼等へのよく分からないままの誤解が続くけれど、同時にますます希望として注目を集めることだろう。

ってことで、素人の乱ネットラジオ日曜日はRLL+二木信「レヴォリューション・ポップ・ラジオ」の側からしゃべる、大勝利「中野→高円寺サウンドデモ」祝勝生中継を、今夜22時から絶賛共謀中! サウンドデモに興味ある君は是非聞いてみよう!!!
多分月曜ヒカル君の「マン10ラジオ」でも火曜松本君の「貧乏人大反乱放送!」でも昨日のサウンドデモ話はするんで多角的に楽しみましょう!


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  • By intellipunk / Sep 17, 2006 3:34 pm

サウンドデモ再度告知

なんかおいらのmixi日記のサウンドデモ告知が2chにさらされちゃって、宴会を待つ輪は広がってるみたいだね〜。

hatenaの方も含めて色んな人が意見しているみたいだけど、あんまり的確な評が少なくて残念だな。
完全にツリであったりネタ100%だったりと思い込むことで冗談世界観を保つ方、やるなら本気で国会まで行けとかデモやる根性あるのならニートやめられると説教モードの喜び(JOY)を理解出来ない方、デモ自体迷惑だとか五月蝿いとかウザイだとか通報(何罪だよ!)だとかと脳内 Gentrificationなネオリベどっぷりな政治がわからない土人な方。大別するとこんなかな。



さて、僕らRLLは8月に演劇人会議・文化芸術サロン『オルタナティブ・スペースの思想と実践 〜00年代のムーブメント〜』シンポジウムでサウンドデモについて発表した。そこでのレジュメで、イラク反戦イシュー期から日常イシュー期へと移行しながら、何が変わったのかを若干書き記した。そこではフリーター/プレカリアート系の切実なアピールをする「手段としてのサウンドデモ」とデモのためのデモを企画する「蕩尽してのサウンドデモ」の二つに分けることができると。

CM———————————
「プレカリアート系サウンドデモ?」で最近ご活躍の作家雨宮処凛さんが、「蕩尽サウンドデモ」の本拠地ネットラジオ素人の乱火曜日「貧乏人大反乱放送」に今晩ゲスト出演!!パーソナリティ松本&アシ富崎とのトークはどうなるのか??!!!
22時から放送のネットラジオ素人の乱を聞き逃すな!!!
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「手段としてのサウンドデモ」は従来のデモンストレーションだとして、「蕩尽してのサウンドデモ」とは何か?

[蕩尽]とはフランスの20世紀を代表する大思想家ジョルジュ・バタイユが『呪われた部分』でブチ上げた概念。人間らしい非生産的活動、非理知的な呪われた部分、生命(エロス)の根源的燃焼(タナトス)、デュオニソス的混沌の重要性。これからバタイユは普遍経済学や聖社会学として経済/社会/政治考察した。

J社会学を追っかける踊れない坊ちゃん達を後目に、聖社会学と「THIS TIME IS YOURS(am3:00のフロアの奇跡)」を繋げて思考する僕らRLLは、「蕩尽してのサウンドデモ」を提唱する。パーティ・祭(蕩尽)=政(サウンドデモ)という当たり前の式図によって公共圏の再生産を、これこそVOL1号の「政治とはなにか」のla politiqueの行為そのものだろうと。ランシエールがどう思うかわからんが。


RLLクルー∞+∞=∞の8月のプレカリアート秋葉原の時の感想も同様だと思う。
———————————–
「デモ=うるさい、邪魔、どうでもいい。珍しい見世物」としか見れない日本人と、この日本でもデモがあるんだと、真摯に見つめる外国人の目の違いだ。結局日本人は公共空間というものをまったく異物の無い、自分や他人の気分、態度を邪魔しない、建前や道徳、ルールによって物事が整然と進んでいくことだと考えているのだろう。典型的な日本的共同体の作法だ。一言で言えば単一民族という幻想に根ざした、矮小な島国意識に他ならない。

 少なくとも、民主主義や自治意識の伝統がある場(もちろん西洋ね)では、公共空間とは、スタイルや伝統、慣習、作法の異なる人々が多様な文化、意見、習慣をぶつけ合うことで築き上られてきたことは当然だ。(中世に成立した大学の歴史を思い出せ!)公共空間とは異質な他者が出会い、そこで共同していく場であって、同じ習慣やルールを守ること、維持することが公共空間の意味や機能ではない。
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前回も書いたが、イシュー「家賃をタダにしろ!」が現実的にナンセンスかつ根本的に正しい、ので「蕩尽してのサウンドデモ」は圧倒的に饒舌に存在している。これは獲得運動ではなく蕩尽である。祭マツリを作り出すことで政マツリをあぶり出してゆく。キチンとデモ申請や公園申請を通過した後に興るストリートパーティ(勿論その公共圏創出の軋轢も織込み済み)。楽しんだもんがちでしょ。




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家賃をタダにしろ!中野→高円寺一揆
9月16日(土)

出発地は囲町公園(サンプラの裏手で、中野区役所の真向かい)
http://map.yahoo.co.jp/pl?lat=35%2F42%2F15.573&lon=139%2F39%2F58.392&layer=1&ac=13114&mode=map&size=s&pointer=on&sc=2

15時集合→16時出発!

出演者
radiomaroon
deepthroatX
YOSSY(cosmo)
and 某HCバンドら出演予定!!!!!!
集合から出発までもかなり盛り上げるぞ!!!!!

http://www.youtube.com/watch?v=zzKWwWOL3ns
http://www.youtube.com/watch?v=ok2Ga8RB6C8
http://www.youtube.com/watch?v=48P3ldCd7IQ


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  • By intellipunk / Sep 12, 2006 7:03 pm

RLL & RL66


今夜はマイミクのプラナちゃんがやっている吉祥寺のBAR 126RでのLa Mano Fria&CrewのBook&CDのリリースパーティーに行ってきました☆ いや〜楽しい時間が過ごせました、126Rいいお店です!

126BAR (三鷹市 吉祥寺 本町1-25-6 2F)
吉祥寺駅北口に出ます。出口でてすぐ右に交番があります。その交番&ガード沿いに右にまっすぐいきます。左に壮快薬品と100yenパーキングがあるので、そこを左にまがります。まっすぐ行くと、左に三味線PUB芸能人、というのがあるのでその隣のビルの2Fです。 check it out!


Beta Bodega/LA MANO FRIAはマイアミ発のhiphop/electroのレーベル。音もビジュアルもかなりRLLがシンパシーを持っている彼等の活動。政治と音楽と悦〈joy〉が重なったところに何か共通点を感じてます。

今回リリースした3作目(視聴あるよ)はArtbookが充実していてとってもよかった! っつうか、このBOOKはかなりRLLのカタログイメージに近いなー。キューバやNYのプエルトリコ祭やメキシコの写真に彼のグラフィックが絡む! でもカジュアルに快楽としてのポリティクスが刻印されている。おまけに日本のリリースレーベル名がRL66っていうも凄いシンクロ、嬉しくなってしまうね〜

中央線マルチチュードの盟友deepthroatXのterraD/A君と一緒にLa Mano Friaことstevenへホントに拙い言葉でアプローチ。彼とちょっとだけ政治の話をする。彼の母の祖国コスタリカ〜エルサルバドルの内戦のこと、父の祖国のコロンビアへのアメリカがおこなったコロンビア計画のこと、話題のチャベスのこと。そして中野〜高円寺で今度の16日におこなうサウンドデモのこと。もしかしてstevenも当日来てくれるかもしれない、という流れにもなって少し期待しちゃう。一応日本で一番アナーキーでファンキーなパーティーと説明したけれど、彼には高円寺ニート組合のこの祭はどんな風に映るのだろう…すっごい興味もってくれたみたいだったけど。
RLLを日本のカルチャージャマーとして自己紹介して彼とがっちり握手、ここにRLLとRL66の友情(?)がうまれたとさ。とにかく彼にマイミク申請してみたYO☆


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  • By intellipunk / Aug 30, 2006 3:45 pm

COSMO

高円寺阿波踊りが、今年は前夜祭がないので26/27日に行われますね。でそれに乗じて、COSMO(akaDOMスタ祭)- 一夜限りの復活 -が12-12Hで久々に開催されます。あまりにヤバいイベントで告知は控えているみたいですが。
それに法政公開講座「平岡正明のDJ寄席 芸能の真相/深層」にも出かけます! こちらもヤバい平岡さんのトークショウです

さてこの時代はポスト・フォーディズム期。
ロックンロォルはフォーディズム(流れ作業による大量生産工業化)の為のBGMとして、アメリカ生活様式のグローバル化とともに広がっていった。ビルボードトップ10というポップミュージックの商業規格によって一つの商品としてロックンロォルは、世界のフォーディズム化とともに世界音楽化していった。しかし英米のポスト・フォーディズム化によって、ロックンロォルはフォーディズム的性格の変容をせまられながら衰退、マイケル/マドンナ/プリンスといったスーパースターが現れる。
80年代英米でのネオリベ新自由主義化とポスト・フォーディズム化はパラレルな現象だった。その変化によって工業都市は過疎化しアンダークラスを寄せ集め若年ホームレスを作り出しinnercityとなった。そこではinnercityのcommunity musicとしてhiphopとpunkHCが紡がれた。新しい打ちのめされた世代の共同体の音楽だ。
ネオリベの第三世界抑圧の象徴としてのcommunity musicであるreggaeやinnercityのポスト・フォーディズム化したマイノリティのcommunity musicであるhouseやtechnoをそこに入れてもいいだろう。
ポスト・フォーディズム化したこの20年以上前から、音楽はinnercityのcommunity musicから吸上げポップミュージックの商業規格へ作り上げながら進んでいる。
アンダークラスの若者が感情労働かホームレスか犯罪かの選択を迫られながら、紡ぎ出す仲間との朋友愛としてのcommunity music。そしてメディアトライブのトラベラーと混ざったアナルコ・パンクなHXCXPUNK。それしか今は音楽は信じてはいない、ポップミュージックの購買的世界革命に惹かれる気持ちもあるのだけれどね。

ジャック・アタリの「ノイズ」におけるポピュラー・ミュージックの定理を僕は支持する。音楽は常に来るべき時代の像を如実に先取りする。ポスト・フォーディズム期を先んじたpunkHCがロックンロールにとって、ただのサブジャンルではなくなったことが、意味深い。フォーディズムからポスト・フォーディズムへとは、プロレタリアートからマルチチュードへ。community musicが肝!



RLLとして高円寺の最深部へコミットしはじめて1年半。高円寺の事情通でCOSMO主催のYXOXSXYXと最近話をするようになった。ただのお客としてドムスタ祭に行っていた頃は考えられなかったけれど、RLLの5月の自主イベント「スバラシキナカマ」に飛入りで彼が発言してくれたりして交流出来たのがポイントかな。高円寺のcommunity music sceneに少し近付けて、正直嬉しい。明後日は楽しみだ。


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  • By intellipunk / Aug 25, 2006 3:32 pm

かるちゃ

[用法]文化・文明——「文化」は民族や社会の風習・伝統・思考方法・価値観などの総称で、世代を通じて伝承されていくものを意味する。◇「文明」は人間の知恵が進み、技術が進歩して、生活が便利に快適になる面に重点がある。◇「文化」と「文明」の使い分けは、「文化」が各時代にわたって広範囲で、精神的所産を重視しているのに対し、「文明」は時代・地域とも限定され、経済・技術の進歩に重きを置くというのが一応の目安である。[大辞泉]

文明は物質的であり、文化は精神的という傾向があるのね。文化には、基本的に形がない、あるのは文化財だけ。その媒介する物だけでは文化になり得ない。媒介物があるにせよ無いにせよ、その何かを人間どうしがやり取りすること、そしてそのコミュニケーションによっておこる人間の感情が、文化だ。つまり人間同士のその共同体としての価値の表出が文化だ。
価値ある物は商品に容易になり得るが、感情のやり取りは、商品になりがたい。

唐突だがヒップホップのリアル論争もこのヒップホップ文化における商品論として見ることができる。その文化をリプレゼントすることと、裏切ることがここに表出したビーフの根源だ。sell out と hook up の関係は、文化が産業に飲み込まれつつも、そこに一定の抵抗的仕種をみせる典型だろう。(ここで少し前、同様のことを書いたらダメ出しされちゃったなーw http://takoashi.air-nifty.com/diary/2006/02/post_59f9.html)

資本主義は何でも値段を付けて売ろうとするが、売れないモノもあることは、カルチャー・ジャンキーなら解るだろう。市場価値、それに抗う文化を造り出す作家/批評家/享受者の共通価値。売れたならイイ、という価値観に対して反論足掛かりにするのは、自らを育んだ文化とその歴史への尊敬。文化主義はその意味で反資本主義的価値観なのだ。文化を第一義的に研究するカルチュラルスタディーズもそんなカルチャー・ジャンキーの視線を共有する学問。あそっか、よくある凡庸なカルスタ批判、マルクス主義の呪縛とぬかしたり社会還元に役立たずと功利的な言説は、文化に尊敬を持つことを知らない哀れな空言なんだね。

僕はこれをものすごい若い頃にアートに教えられ、中学でパンクによって深く刻まれた。文化は人から伝わる何かの概念であり意味の元となる感情だ。文化への親愛は豊かな時間を与えるJOY、それを元にした人とのつながりをくれる。買ったり売ったりしてもうまく伝わらない価値。バタイユが、「呪われた部分」とよんだ蕩尽でもいいだろう、カルチャーで人生をすり潰す。けれど人生は購買行動でも還元的な生産の為でもないだろう。平岡正明の至言を引けば「文化とは男が(つまり女だって)一生をかける価値がある」ってことだ。豊かに生きることとは、人と文化で交信する生命的歓喜のことではないのか?



と、改めてこんな茫漠としたことを書き出したのは、RLLがカルチャー・ジャンキーとしての自覚が加速してきたから。アート・社会学・哲学と音楽・運動・洒落諧謔が絡まりあった何か、を定義しにくくなっているので、改めて文化カルチャーを見つめたんだ。RLLって何よ?
何故、「気のきいた文句、センス」と「戯れ、冗談事、掛詞」と「気のきいた身なり、おしゃれ」が同じ「しゃれ」なのかは、カルチャー・ジャンキーには分かっているはずだ(例えば「しゃれ」の権化ともいえる素人の乱7号店カリスマ店長こと山下陽光くんの見事な一致を見るといい)。つまりそれが文化だ、と説明せずに名指すことは幾らでも出来る。けれどいくら掴んでも逃げてゆくカルチャーの悦びについては、語っても語りきれないんだ。…続く?


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  • By intellipunk / Jul 25, 2006 5:57 pm

藝大+素人/思想+Tシャツ/インテリ+PUNK

RLLイベント『スバラシキナカマ ─ Come Together! Common Rockers! ─ 』ご来場ありがとうございました。たぶんトータル150は居たんじゃないでしょうかね、大変な盛況ぶりで教室は、一瞬の温度が上がり過ぎて20,000Vのモッシュピット状態になりかけました☆


「Multitude On DA 茶室」な『東京皐月革命茶会』もおいらの妄想通りにシュールな体験になりました。野田さん毛利さんのお茶会初体験に一つのハイライトを見ました。亭主のayaちゃんありがとうございます。

本編は恙無いはずもない、かなり進行はドタバタでしたが、中身は僕らの想っていた通りにケミストリーが興って、最高に愉快な時間を過ごして頂けたんではないでしょうか。
RLLの最初の目論み通り、野田努さん毛利嘉孝さんのインターナショナルな言説レベルと、素人の乱と東方力丸さんらのストリート・ライフのカルスタデリックな接続という離れ技をやってのけたんじゃないでしょうか。どなたか、マルチチュードというテーマが出てこないと申してらしたんですが、それと会場からの「マルチチュードって何ですか?」という言葉の間を取り持つ、「マルチチュード」の体感体現の時間を過ごせたんじゃないでしょうか。(特に打ち上げのあり方は、当初エンディング映像で予定していたマヌ・チャオのライブ映像http://info.hmv.co.jp/p/t/968/504.htmlに酷似しています、ファンキー!)

野田さんの今の思考、アンチ・ヒーロー中心の政治的音楽状態からダンスミュージックのオーディエンス主体の政治=音楽であるレイブ文化。そしてその止揚としてのStruggle For Prideの到達点。毛利さんの『文化=政治』の2006年的有り様『マルチチュードとは誰か?』。このコンテクストに当てはめて高円寺スモール・サークル・オブ・フレンズの『素人の乱』『場ショップ』『ドムスタ祭』をRLLが演繹していた、というのは偶然ではありません。若干『タモリの素晴らしき仲間』の仲間感と『街でただで遊ぶ』スタイルの接続が甘かったとの思いはありますが、当時のゴールデン街の感覚が高円寺北中通りやRAW LIFEへ遺伝しているという推測は間違っていないと思います。とにかく「wearable ideas」という「現代思想」「運動」「政治=文化」を「Tシャツ」(日常街頭生活)へ引き降ろす作業と変わらない、そういった接続編集というのはRLLの本質なのです。(会場でも見受けた黒人萌えやダジャレはハーポ部長の資質ですが…)


具体的にイベントで何を話してどうだったかは、明日の夜の「レヴォリューション・ポップ・ラジオ」でお伝えする予定です!

でも明日の明るいうちは、東大五月祭『KOMAMORPHOSE 06 “Spring”』で皆さん踊りましょう!


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  • By intellipunk / May 28, 2006 1:02 am

寝て起きたらイベント!

明日は、主催イベント『スバラシキナカマ ─ Come Together! Common Rockers! ─ 』ですよ皆さん。


つうか、遠足前の小学生の様にあがって覚醒しちゃってます。ここ3日程、準備で働きっぱなしでクタクタなんですが。やばいっす、イベントは15時茶会スタート、本編18時からで予定では22時越えの長丁場になるんですが最後まで保つでしょうか…
でもね、アドレナリンとか色々出っぱなしでずっとはしゃいでそうですわ、だって祭(政)ですから! 気軽にRLLの祭を冷やかしにどうぞ!





スバラシキナカマ
─ Come Together! Common Rockers! ─
presented by RLL

東京藝術大学のマルコム・マクラーレン!?
野田努とRLLが音楽×サブカル×思想×政治でtalk about!!!

2006年 5月26日(金) 18:00─
@東京藝術大学 音楽学部 上野キャンパス 5-401教室
(当日15:00─17:30 @藝大上野キャンパス 不忍荘1F大広間(正門入って右手奥)一服プレ・セッション「東京皐月革命茶会」併催)

出演:野田努(remix)、RLL、毛利嘉孝(東京藝術大学・コーディネート)
Guest:東方力丸(漫読家)、松本哉(素人の乱)、山下陽光(素人の乱)、aya(茶事)
ENTRY:Free \0




おもろいはずなんで、途中からでも是非。
秘蔵高円寺動乱映像や蔵出し動画も上映します!
アフターでは上野公園で交流も予定してます。

でもって、早めに来られるんなら抹茶も出しますよ。
ちなみに茶会の菓子は僕の手製、DIYです。
Photoは茶室の壁紙、生政治絵巻『commotion』制作風景。


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  • By intellipunk / May 26, 2006 4:05 am

歴史という投瓶的ロマン

最近つまらないことばかり書いているんで、くだらないことも書きたくなったな。

どーもセンスも頭も悪い奴のことをポストモダンと賞揚する向きが流行ってるらしくって。チャーミングでもない動物は嫌いなんだけれど?

おいらは画家になるってローティーンの頃は素朴に思い込んでた節があったんだけれどね。それで勉強するじゃないですか、西洋美術、ルネサンスの画期的なとこからさ、マネとかモネがカメラの真似しちゃヤバいってことで描写から視点へと移行させてゆく歴史を、それを狂人っぽく振舞って野獣派やら象徴派やら意匠派がズンズンとヅラしていって、最後にデュシャンが大ガラスとか泉とかな、やっちゃうじゃん土俵ずらし、そいでその技はウォホールが奥義極めるわけ。つまりベタからネタにいってメタへの近代絵画をハイティーンにはひとさらいするわけ。とするとデッサンとか写実とかってホント馬鹿らしくなってね。一心に静物画を書く頭の弱いネタ感の無いやつがいい美大入ってるのをしり目に、おいらが浪人して三流美大に引っかかって荒れて今に至る原因はこの辺りだな… まぁいいそれは。

でさ、近代ってのはこのベタからネタにいってメタへの流れを全てのジャンルで完逐する行為だったわけじゃん。だから偽政者にとっても民族とか国民ってのもネタだったわけだし、社会契約説ってのも王権神授っていう大ネタへの切り返し、アダム・スミスの「神の見えざる手」ってのは「神の見えざる金玉」並のネタだったろうし(その意味で相原コージはメタ)、三島の割腹は審美的なネタの完成のための行為つまりメタだった訳じゃないですか。で、それらがベタにとられる意味で歴史化しているのでメタ。

だから、そういったメタ全てを真理と思い込むサブイ人がベタにハメられてるんじゃないのかな。だからハメという快楽的な絶対性を持った考え(イデオロギー)はモダンでもポストモダンでもなくって、ただのセンス悪いお馬鹿さんなわけで。

で、メタに生きるしかないわけですよ、つまりハメられずに楽しめってことです。常にずらしてヅラしていくしかない、つまらないネタも無視してふっ飛ばすしかない。ただしセンスよくね、ローティの「アイロニー」はダサイしハメられなきゃ楽しくない。

無論、最後の一線はあります、それが生死、生殺与奪を自己のものだ、という所。ここでマルコムXのネタ感が重要になってくるんです。「Xは、永遠に知り得ない真のアフリカの姓を象徴している。私にとってXという姓は、青い目の悪魔が私の父祖におしつけた姓、白人の奴隷所有者の姓である『リトル』にとってかわる姓なのだ」ってすげーネタ感。このネタを歴史化することでメタたりえる、政治として歴史に楔が入るのだ。

つまり人生は、実存というベタではあまりに貧困だし、ゲームというネタではあまりに軽佻だ、つまり人生の杓を超える行為をメタとするのだ。

東はいう「人間にはもともと生物学的に(それこそ動物的に!)世界把握の階層数に限界があり、現在の情報環境はそれを超えた複雑さを備えている」「ひとびとは、自らの生物学的限界を超えた情報処理支援装置に囲まれて、無限の伝言ネットワークのなか、メタレベルの志向の宛先を見失ったまま、局所最適に基づいて動物的に生きるしかなくなってしまった。これが僕のすべての議論の中核にある世界認識です。」

だから? 人生を楽しみつつ歴史化することしかロマンはないんじゃないのかな。歴史なんて止まってないだろ?


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  • By intellipunk / May 11, 2006 4:48 am

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