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歴史という投瓶的ロマン

最近つまらないことばかり書いているんで、くだらないことも書きたくなったな。

どーもセンスも頭も悪い奴のことをポストモダンと賞揚する向きが流行ってるらしくって。チャーミングでもない動物は嫌いなんだけれど?

おいらは画家になるってローティーンの頃は素朴に思い込んでた節があったんだけれどね。それで勉強するじゃないですか、西洋美術、ルネサンスの画期的なとこからさ、マネとかモネがカメラの真似しちゃヤバいってことで描写から視点へと移行させてゆく歴史を、それを狂人っぽく振舞って野獣派やら象徴派やら意匠派がズンズンとヅラしていって、最後にデュシャンが大ガラスとか泉とかな、やっちゃうじゃん土俵ずらし、そいでその技はウォホールが奥義極めるわけ。つまりベタからネタにいってメタへの近代絵画をハイティーンにはひとさらいするわけ。とするとデッサンとか写実とかってホント馬鹿らしくなってね。一心に静物画を書く頭の弱いネタ感の無いやつがいい美大入ってるのをしり目に、おいらが浪人して三流美大に引っかかって荒れて今に至る原因はこの辺りだな… まぁいいそれは。

でさ、近代ってのはこのベタからネタにいってメタへの流れを全てのジャンルで完逐する行為だったわけじゃん。だから偽政者にとっても民族とか国民ってのもネタだったわけだし、社会契約説ってのも王権神授っていう大ネタへの切り返し、アダム・スミスの「神の見えざる手」ってのは「神の見えざる金玉」並のネタだったろうし(その意味で相原コージはメタ)、三島の割腹は審美的なネタの完成のための行為つまりメタだった訳じゃないですか。で、それらがベタにとられる意味で歴史化しているのでメタ。

だから、そういったメタ全てを真理と思い込むサブイ人がベタにハメられてるんじゃないのかな。だからハメという快楽的な絶対性を持った考え(イデオロギー)はモダンでもポストモダンでもなくって、ただのセンス悪いお馬鹿さんなわけで。

で、メタに生きるしかないわけですよ、つまりハメられずに楽しめってことです。常にずらしてヅラしていくしかない、つまらないネタも無視してふっ飛ばすしかない。ただしセンスよくね、ローティの「アイロニー」はダサイしハメられなきゃ楽しくない。

無論、最後の一線はあります、それが生死、生殺与奪を自己のものだ、という所。ここでマルコムXのネタ感が重要になってくるんです。「Xは、永遠に知り得ない真のアフリカの姓を象徴している。私にとってXという姓は、青い目の悪魔が私の父祖におしつけた姓、白人の奴隷所有者の姓である『リトル』にとってかわる姓なのだ」ってすげーネタ感。このネタを歴史化することでメタたりえる、政治として歴史に楔が入るのだ。

つまり人生は、実存というベタではあまりに貧困だし、ゲームというネタではあまりに軽佻だ、つまり人生の杓を超える行為をメタとするのだ。

東はいう「人間にはもともと生物学的に(それこそ動物的に!)世界把握の階層数に限界があり、現在の情報環境はそれを超えた複雑さを備えている」「ひとびとは、自らの生物学的限界を超えた情報処理支援装置に囲まれて、無限の伝言ネットワークのなか、メタレベルの志向の宛先を見失ったまま、局所最適に基づいて動物的に生きるしかなくなってしまった。これが僕のすべての議論の中核にある世界認識です。」

だから? 人生を楽しみつつ歴史化することしかロマンはないんじゃないのかな。歴史なんて止まってないだろ?


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  • By intellipunk / May 11, 2006 4:48 am

ちょいと社会派な一言

メーデーのサウンド・デモのDJがパクられちゃいました。

詳細はコピペを読んで欲しいけれど、かなりな異常事態みたいね、メーデーに対する強硬な弾圧っていうのも初耳の驚き。おまけにDJとアンプを積んだトラックまでもがしょっぴかれるとは…
B感覚な快楽行為がリアル・ポリティクスとつながることを、どうやら警戒し恐怖しているようにさえ思える。つうか最低限の法律の原則を犯してまでやることなのか、被害妄想を膨らませる程にコウアンはイカレちゃっているのか判断不能のパラノイアのシャブ中なのか。

つまりサウンド・デモという新世代の快楽を前提にした祝祭表現が、緊急な恐怖に思えたということだろう。大きい音楽で踊る楽しさ、路上を跳ねる喜び、メッセージ以上にノリを大事にするスタイル、政治を音楽を通して体現できる気軽さ、普通の若い人が新しい快楽に開かれることを、懸念し恐れ予防しようという意図があったのだ。
当日、僕もDJに誘われていたので全くひとごとでは済まされないのだけれど、それ以上に体制のなりふり構わなさが気持ち悪い。非常に苦々しいがしかし、これからもサウンド・デモをスタイルを継続させていくってことは決意するんだな。

皆が支援のカンパをしろと僕は思ってないけれど、この国の一部は確実にヤバいことになってきていて、表面的には平和に見えるけど実は権力の腐敗と管理がはびこる時代になりかけているってことを伝えたいのだ。かつての軍事政権下の中南米やスペインやポルトガルやギリシャみたいな一見普通の資本主義国でありながら戒厳令下の国になりそうな、そんなことを考えてしまうんだ。見た目民主的な国に見えてもディストピア(逆ユートピア)な体制になる可能性には、警戒してもいいだろう。

以下、コピペします(これはホントに古くさいおもろないネタ感のない芸もつまらない文章なのだけれど、それを加味して考えても、違法なとんでもない蛮行を伝えるべきだと思いましたんで)。
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メーデー救援会


2006年4月30日、神宮前午後から行われた「自由と生存のメーデー06」のデモが、原宿警察と渋谷警察によって参加者3名を逮捕されるという弾圧を受けました。詳しい情報は以下の通りです。

(1)弾圧の状況

A.デモ申請時における警察の約束違反と恫喝

 このメーデーを開催する前のデモ申請時においては、デモ出発地点を管轄する原宿警察は、主催者側に対してデモ時に音楽を流すことや、先導のトラックに3名乗ることを認めていました。
 しかし、デモ出発前になって、「アンプを操作したら逮捕する」などと恫喝を加え、最終的には公安・私服警察と機動隊はトラックに乗っていたDJを引きずり下ろして逮捕しました。

 *彼は現在本庁に勾留され、自宅にも家宅捜索が行われましたが、今回のデモとは関係ない物品が強奪されました。

B.原宿警察の暴行と略奪

 のみならず、原宿警察はDJを守ろうとした参加者1名を羽交い絞めにして頭を地面に叩きつけるという暴行を行いつつ逮捕した上に、先導のトラックを強奪しました。

 *トラックは奪還されましたが、このとき逮捕された1名は頭部に負傷を負って痛みを訴えているにも関わらずいまだに原宿署に勾留されています。

C.渋谷署も弾圧に加担

 また、デモ到着地点付近を管轄する渋谷署も更に参加者1名を弾圧しました。

 *この参加者は渋谷署に勾留中

D.警察署の差し入れ拒否
 
 3名の被弾圧者に対して、他のデモ参加者は救援のために差し入れを行おうとしましたが、何の法的根拠もないまま警察署はこれを拒否しています。


(2)★お願い★

A.救援カンパを!

-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-
カンパ振込先(暫定):
郵便振替 10080-91518311
口座名 フリーター全般労働組合
※通信欄に『救援カンパ』とご明記ください
-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-

 3名の被弾圧者を支援するためには、弁護士費用等多額の資金が必要となります。支援者だけではとてもまかないきれません。経済事情が厳しい折ではありますが、是非とも多くの方々からのカンパをお願いします。


あこぎで好きほうだいの暴政をはねかえし、3名の仲間を取り戻そう! 支援・カンパを!

◆あらかじめ逮捕狙いの拉致

 2006年4月30日午後、神宮前穏田区民会館にて百余名が参集し、昨年に引き続いて「自由と生存のためのメーデー06」を開催しました。しかし、集会後にデモを準備する段階から、警察側から異様な恫喝、脅迫が迫ってきました。まるで税金ぼったくりの公安警察・機動隊の既得権益を守るためなら、フリーター、失業者や不安定雇用者などの権利など、くそみその虫けら同然という対応です。

◆警察はドロボーのはじまり

 原宿から渋谷に向かう私たちデモ隊にたいして、公安警察・機動隊は、サウンドデモのDJ、防衛するもの、バルーンでメーデーを訴える仲間を無慈悲にも次々と逮捕しました。あまつさえ、先頭のサウンドカーを暴力的にむりやり強奪したのです。まさに公権力による表現機材の強奪、ようするにドロボー行為です。絶対に許せません。

◆差し入れも拒否する拉致・監禁

 デモ後の30日夜は、約30名による不当弾圧抗議・激励行動を、原宿警察署、渋谷警察署にたいして行いました。が、これまでと違い、逮捕された仲間の生存にかかわる生活必需品の差し入れすらさせないのです。警察による法律の恣意的な強制・独裁がまかりとおり、拉致・強制連行・監禁のどぎつさは、欧米諸国に比べてもずっと酷い実態です。

◆弾圧を許さない相互扶助・連帯を!

 今から120年前、メーデーの起源となったアメリカのストライキでは、「仕事に8時間を、休息に8時間を、おれたちがやりたいことに8時間を!」と唄いました。その直後、無産者の仲間にたいして、銃撃、爆弾、絞首刑、大量逮捕がなされたのです。いったい、この日本は歴史を経てどんな違いがあろうというのか? 暗黒の事態をはね返すために、なせるあらゆる努力を傾注しよう。
 幽閉されし3名の仲間への心からの救援・支援・カンパをよろしくお願いいたします。

2006年5月1日 メーデー救援会


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  • By intellipunk / May 02, 2006 4:54 am

5月革命広報室広報部よりみなさまへのお知らせ。

今、ここに、ぞくぞくと終結した全国の最も先鋭的、前衛的、革命的な学生、労働者、フリーター、ニート、引きこもり、だめ人間、ジャンキー、クラバー、レイバーのみなさん!!90年代以降、不況とグローバリゼーションへの適応を通じてますます突き進む権力と資本家の策動が、われわれ無産者階級(お金も土地も会社も持ってなくて毎日誰かの下で働かないと飯が食えない膨大な数の人々!!)を新しい「勝ち組み経済システム」に適応できない無能力な貧乏人へと追い詰め、安い賃金とかなえようの無い馬鹿げた理想(勝ち組みセレブ!!)で搾取しているのはもはや自明となった!!

 全球レベルで進む資本の統合と集積はフランスで100万人規模のデモを起こし、ロシアでネオナチを復活させ、中国を巨大な工場に作り上げ、子供の学費を払えない足立区の主婦に売春をさせる。増加する100円ショップに、企業名の載ることの無い求人フリーペーパー、100円のハンバーガーや、無料で配布される消費者金融のポケットティッシュに、インターネットのルーターといった街中のアイコンの群れが静かに僕らの欲望を包囲し、やさしく、だけど、残酷に包み込んでいる。

 「全ては消費者のため、あなた個人のために」と謳われる。時に無料で。しかし、企業の広告料によってまかなわれるTV番組のように、本当に無料で配られているもの、提供されているものなど何一つとしてない。収益や利率を上げるためだけに、より搾取される人々を企業と消費に結びつけるためだけに、厚顔無恥な顔をして「無料」といいつつ、労働力とお金を吸い上げていくシステムが、網の目のように僕らを取り囲んでいる。

 恋愛もセックスもオナニーも暇つぶしも仕事も、友達や同僚との思いでも、家族との団欒も葬式も大学生活も老後の楽しみも、新しい生命の誕生も、全て商品とサービスの消費の組み合わせの中で行われる。それはこの網の目の中で、僕らが作り出すもの、吐き出すもの全てが有用に交換され、利潤を生み出し、戦争好きの企業と国家の元へ!!と吸い上げられていくということだ。ゴミを出すことや排泄すること、病気になることさえ無数の交換(下水道の整備、維持や、医者の給料、保険、製薬会社)を発生させる。自殺でさえ膨大なコストを発生させ、お金を動かす。逃げ出す場なんかどこにもない。徹底的にITによって効率化された、出口無しの交換と剰余価値のシステム。安心と安全と最高のサービスを選択可能だと思い込まされた奴隷達によって増えていくリスクとカオス。自分を取り囲んだ無数の商品の主人だと勘違いしないと生きていけないこの世界の虚無。実は商品の奴隷にすぎないのに。老後まで全てぴっちりと詰め込まれた商品とサービスと退屈な労働の線路。これが「本当の豊かさ」なのかい?決まりきった奴隷の日常の反復。そこからはみ出して生きることなどできないのだろうか?

 僕らがマックのバリューセットを選ぶように、僕らの葬式や結婚式、マイホームや余暇のプランもバリューセットのように組み合わせられる。それは人生が、生が、それ自体を創造する自由な主体性の結果として存在するのではなく、あらかじめ用意された組み合わせからしか主体性が生成しないということだ。商品とサービスの多様性がそれを覆い隠しているが、商品とサービスと労働に関わらないで生きていけない以上、もはやこれは否定できない。にも関わらず、それが「自由」だと、その資本制経済の可能性だけに限定される「自由」が、自己責任と自己努力に結果すると信じなければ生きていけないという、徹底した不自由な主体。この不自由な主体を疑うこと。そこから逃げ出すこと。消費や生産やシステムから。もしくは、その場をめちゃくちゃにかき乱してやること。全て壊れてしまう前に。


 ちょっとシリアスすぎたのかもしれないけど、僕とハーポ部長(http://mixi.jp/show_friend.pl?id=125281)とインテリパンク(http://mixi.jp/show_friend.pl?id=40221)でやっているRLL(Radical Left Laughter)http://mixi.jp/view_community.pl?id=206778というれレヴォリューション・ポップ・ユニットが目指していることは、こういったつまらないし最低な世界を、音楽やTシャツやレイブやクラブやハーブや路上や笑いによってかき乱していくことだと思う。POPでラディカルな抵抗。カウンターカルチャーという、文化に、文化で抵抗する文化を、もう一度取り戻すこと無しに僕たちは生きていけない。


さてさて、そんなRLLの一大イベントが一ヵ月後くらいにあるのでみんな遊びに来て!!いろいろ話しましょう!!


☆スバラシキナカマ─ Come Together! Common Rockers! ─

東京藝術大学のマルコム・マクラーレン!?
野田努とRLLが音楽×サブカル×思想×政治でtalk about!!!
presented by RLL(Radical left laughter)
TOKYO-GEIDAI 26 MAY (FRI) 2006

RLLが東京藝術大学にて『スバラシキナカマ ─Come Together! Common Rockers!─』と題して、世界的音楽雑誌『remix誌』編集長で宇宙的名著『ブラック・マシン・ミュージック』の著者としても知られる野田努を迎え、オーガナイズ・イベントを開催。現実のグローバリズムと現代思想のマルチチュードを繋ぎ、パーティピープルやフリーターの日常に引き下ろして、いかに想像/創造的に生きるかをトークセッション。サウンドデモなど政治的サブカルチャーを映像や漫談で紹介、文化政治における〈悦び〉の重要性について語ったり、語らなかったり。またプレ・セッション「東京皐月革命茶会」としてお茶会もホッコリ併催。ゲストに漫読家の東方力丸、高円寺オルタナティヴ・ショップ「素人の乱」などなど、マルチチュードな面々! ポップ・ストリート政治のギャザリング・パーティを見逃すな!!

2006年 5月26日(金) 18:00─
@東京藝術大学 音楽学部 上野キャンパス 5-401教室
(当日15:00─17:30@藝大上野キャンパス 不忍荘1F大広間(正門入って右手奥)一服プレ・セッション「東京皐月革命茶会」)
出演:野田努(remix)、RLL(Radical left laughter)、毛利嘉孝 (東京藝術大学・コーディネート)
Guest:東方力丸(漫読家)、松本哉 (素人の乱)、山下陽光(素人の乱)、aya(茶事)
ENTRY:Free \0
INFO:
RLL 080-5380-6865 http://www.rll.jp/
音楽学部音楽環境創造科 毛利嘉孝 mouri@ms.geidai.ac.jp


RLL:
Radical:intellipunk
Left:∞+∞=∞
Laughter:Harpo Bucho
ラジカル・レフト・ラフター。「wearable idea」コンセプトTシャツを制作する3人組。日本におけるカルチャー・ジャミングの第一人者。自称「中央線マルチチュード」として、生政治概念を用いたオルタナティヴな生き方を提示。文化政治ユニットとしてネットラジオ「レヴォリューション・ポップ・ラジオ」、出版編集、イベントオーガナイズ等で活躍中。
HP■http://www.rll.jp/
e-mail■radical_left_laughter@yahoo.co.jp
Mixi■http://mixi.jp/view_community.pl?id=206778



『2006東京五月革命』と題して藝大-東大を連続でBomb!
RLLの26日藝大ギャザリングの後は、FRUTHが27、28日に東大本郷キャンパスの五月祭で「KOMAMORPHOSE06 “Spring”」フリー・パーティを開催。藝大で悦び東大で踊れ!
FRUTH:イベントオーガナイズするクリエイター集団。昨年11月は東大駒場キャンパスでフリー・パーティを敢行。
http://www.geocities.jp/komamorphose/

『2006東京五月革命』

移動、労働、移動、睡眠…/試験=屈従、社会的昇進、階級的社会/形式的な行動は感情を殺す/我々は飢餓で死なない代償が退屈であるような世界を拒否する/我々は生きたいのだ/退屈しているのに気付いた時、人々は退屈するのを止めるだろう

教授、あんたはおれたちを年寄りにしちまうよ/あんたはあんたの言う「文化」と同じくらい古くさいぜ、あんたのモダニズムとやらは単なる警察の近代化にすぎない/教師を変えるのではなく、生き方を変えよう/死んだ時間なしに生きろ/官僚が君の中にいる/君の頭の中から警官を追い出せ/今、この時を生きろ!

芸大生よ── 芸術は死んだ。死骸なんかにカネを払うな/ゴダ-ルは何も変えられなかったのさ/壁に耳あり。君の耳に壁あり/まずは君自身に異義を申し立てろ/我々みんなが好ましからざる者/身を隠せ、そして反対しろ!/コート&ネクタイ野郎の革命に「ノー」を/自由の敵に自由を許すな。

東大生よ── 人はバカか利口かじゃない。人は自由かそうじゃないかだ/君が学んだすべてを忘れてしまえ、踊ることからはじめよう/踊れ、仲間よ、古き世界が君のすぐ後ろに迫っている/君のズボンのファスナーを開くように、君の頭脳を開放せよ/想像力が欠けていると、欠けていることが想像できない/想像力は贈り物ではない。獲得するものだ/想像力を権力に。


1968年パリ五月革命は、革命を成し遂げられなかったが、その代わり、街頭に美しい詩を残した。上記の文章は若干のアレンジがあるものの、当時の有象無象による落書きによって構成されている。そして今、世界を注意深く見渡してみよう、68年以来の大きな祭の季節がやってきている! 芸大と東大で連続して行われる一連のギャザリング&パーティは、68年に複数の何者かによって書かれた詩を新しく更新する試みである。とりあえず肩の力を抜いて楽しもう! 喜びは新しいアイデアだ。



部長、大戸屋でナンパ

仕事がちょっと遅くなると、帰宅途中の新宿で自転車を降りて、大戸屋で一人飯を食うのが日課になっているわけだが、定食屋で隣に座っている見知らぬ女性に声をかけるのは初めてのことだ。そもそもナンパ文化圏にボクは一度も所属したことがないし、あんなことは違う種類の人間がやるもんだと思っていた。

最近、日記を怠っていたので、そのネタ作りの意味もあったが、それよりも、RLLの同志インテリパンクから、女性が一人でいたら、声をかけるのは男として正しい行為だ、と耳にタコができるくらい聞かされていたので、ほとんど条件反射のような感じだった。ボクの隣で女性が一人でご飯を食べてる。声をかけないのは失礼な気がしてきたのだ。

偶然にもボクと同じ「鶏肉と野菜の黒酢あんかけ定食」を食べてたので、とりあえず「黒酢っておいしいですよねえ?」と同意を求める作戦。絶対に否定されない入り方だ。彼女は一瞬、戸惑った表情を見せたが、はにかみながらも首を縦に振った。いくつか当たり障りのない言葉のキャッチボール。しかし彼女の投げる球は弱々しい。当たり前だ。彼女はご飯を食べにここにやってきたわけであり、このとき、彼女の口はボクとの会話のためではなく、ご飯を胃の中に納めるためにあったのだ。

クラブやパーティのハレの場で瞳孔の開いた娘と仲良くなるのはあまりに容易いが、定食屋という日常空間で友好的宴会気分を実践するのは、本当に難しい。これがせめてイタ飯屋だったら、ラテンな気持ちになって状況も変わってくるだろうが、定食屋という響きには全くそんな色気がない。だからこそ、定食屋でのナンパ行為は、日常を劇的に変革しうる可能性を秘めているのだ。ボクはボクなりにシチュアシオニストたらんと日々、努力している。


  • HarpoBucho
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  • By harpobucho / Apr 25, 2006 5:03 am

煙巻ヨーコとデラシネ

煙巻ヨーコさんとデラシネのセッションに出会いました!
http://mixi.jp/view_community.pl?id=364033
http://mixi.jp/view_community.pl?id=210201
http://www.baby-q.org/
http://www.mistake.cc/deracine/


デラシネ PRESENTS” MISTAKE SHOW vol.13 ”
@ 下北沢 RINKY DINK STUDIO 2F
GNAWNOSE(長崎) , U.G.MAN , JETLINERS , deep slauter , and more…
DJ) bonstar (灰汁)

行ってきました。!?????!!!?!?!?!!!!!!!!!!!!!!!■▲▲▲▲▲▲▲な感じで、まだその驚きと悦びを言葉に出来かねていますが、モッシュとダイブ、ノイズとリズムの間に、少しネグり&ハートの『マルチチュード』の〈肉〉についての考察とシンクロしました。

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ノスタルジーとは、危険ではないとしてもせいぜい敗北の証にすぎず、排すべきものである。この意味で私たちはまさに「ポストモダニスト」なのだ。崩壊した近代の社会全体や消失しつつある人民のノスタルジーを一切排した視点から現代のポストモダン社会を眺めたとき、現在私たちが体験しているのは身体ではない一種の社会的〈肉〉、生きた実質としての〈共〉的な〈肉〉であることが見えてくる。モーリス・メルロ=ポンティはより哲学的な含意を込めてこう書く。「肉は物質でも精神でも実態でもない。古人は、水、空気、土、火、について語るために「原質」という語を用いたが、われわれが肉を指示するためには、この古い用語を古人の意味するところに従って役立てねばなるまい」。マルチチュードの〈肉〉は純粋な潜在力、いまだ形をなさない生命力であり、この意味において常に生の充溢を目指すものとしての社会的存在の原質にほかならないのだ。(下巻P17-18)
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素晴らしき音像と環境がセットされた後、フロアは確かにエレメントとしてのエネルギーを持って渦巻きました。




昨晩のことは、ネットラジオ「素人の乱」のパーソナリティのみなさん(月-陽光君いとう君FUKUYOU・木-瓊太君・金-すっちーと高円寺並みに揃ってました!)がそれぞれ語ってくれるでしょう。

ということで今晩は、RLL+Dr.トラメガの「レヴォリューション・ポップ・ラジオ」22時からオンエアです。
http://trio4.nobody.jp/keita/


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  • By intellipunk / Apr 23, 2006 4:46 pm

土酔う日


RLLの三人はそれぞれにエイプリールフール日記をあげた後、イルコモンズ・アカデミー東大最終講義に出席、西太平洋の贈与経済クラにクラクラし、僕らなりのクラの実践であるゲリラ・グロウで国会議事堂に。ここでB感覚に酔歩しつつ強濃度サブカル古本屋「オヨヨ書林」話に花咲き、ホームの高円寺に凱旋してあづま通りにオープンした「素人の乱7号店」に祝いに集う。会話も尽きないグルーヴィーな休日。

RLLはいつもは三人の妄想トークをICレコーダで録っているのだけれどこの日は外だったんでなし、で言葉が霧散する前に備忘録を少し。RLLクルー∞+∞=∞のエイプリールフール日記(http://d.hatena.ne.jp/ziprocker/20060331)で「文化デリックのPOP寄席」にRLLクルーHARPO部長の企画「平岡正明のDJ寄席」が近似(パクり)しているのかどうかで。僕自身は「文化デリック」が商品に偏っていることに非常に不満で、それがいわゆる「サブカル」の限界なんじゃないか、とか。少なくとも平岡さんが犯罪や革命をポップ化させた評論を書く地点からの退行に思える、故に部長のDJ寄席は別物と。スペクタクルをうち破るのがポップであると考えている僕には、ポップの権化であるウォホールが事件や死をモチーフに選ぶ、ポップの不穏な視線が「文化デリック」に見あたらないのは非常に残念なのだ。はてな界隈の「サブカル」vs「おたく」話からRLLが全く距離をおいていること(洋楽カルスタ批判の波状言論も同様)は、そこに生政治を感じないからなのだ。生死を軽んじたサイケデリアな文化に興味がないということか、こりゃB感覚! 権力と経済の影響をないがしろにして文化を語ることに物足りなさを感じるんだ、これは政治化したサブカルという態度。政治化した「サブカル」RLLは「カルスタ」なのかも。最近蔑称になりつつある「カルスタ」も本来的には研究主体の実存的な生政治抵抗研究だったはずだよね。大げさに例えるなら、UKレゲエを「素人の乱」中央線マルチチュードに、ポール・ギルロイをRLLにすれば分かりやすいかも。「素人の乱」の友人たちは小難しい理屈を捏ねたりしないけれど、RLLはその行為に概念や言説を引いて肯定を語る。今まで僕らはカルスタに対して「僕らは学者じゃない」ってことで自身とは違うカテゴリーと思ってきたけれど、日本の文化状況の中で政治を無視できないとすれば、ポップ中毒なカルスタなだけなんじゃないか、とか思ってみたり。そう見たら敬愛する平岡正明やいとうせいこうや野田努や磯部涼がポップ中毒なカルスタなんじゃ、とか。そのまま荏開津広やタナソウや高木完もカルスタにしちゃえ! あと個人的には川勝正幸+下井草秀『ポップ・カルチャー年鑑〈2006〉』ではなくってRLLは村上龍×坂本龍一+学者「EV.Caf´e」と立川直樹+森永博志「続  シャングリラの予言」の方が似ていると、でも僕より若い二人は知らなかったんだよね。ここまで会話約5分。



ってな与太話は聞いていて、RLLクルー以外は面白いのだろうか…


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  • By intellipunk / Apr 04, 2006 2:16 pm

RLLの扇情するデモ!スト!暴動!蜂起!革命!

かわべ.jpg
∞.jpg
部長.jpg

えーRLLのラジカルことintellipunk(写真上)でーす。
今日の日記は、表参道と青山一丁目の間にあるファッション系得意な代理店直系制作会社(架空)のこの秋のキャンペーン用オリエンみたいな勢いで語る僕ら(All The Young Dudes)の7日間戦争のスポットCM(60秒)コンセプトなんでよろしく。

イケテるストリート・サウスポーのイデオロギー・ショップリフト・スターズ(言説チョッパル☆)3人組ことRLLが放つこの春夏の新作の話題は最高にポジティブ、つうか太っ腹でプロブレマテイク! あっち(バヴィロン)の世界からこっち(もう一つの世界は可能だ!)へ漂泊する狂い咲きサンダードーロ(2015年度着工予定)爆走のロードムービー製作委員会気取りのラジカル・レフト・ラフタァ(R)旗艦店を想定したインスタレーションを期間限定でオープン!その中でブランニュー新作発表行っちゃいます、みたいな非常事態イベントを開催します。場所は、代官山近く裏猿楽町のショップ、千駄ヶ谷のプレスのガレージ、目白通り沿いのバイカーズ・カフェと彷徨った結果、上野の山の某藝術系官製四年制大学キャンパスに即決即尺即連行! 限定ロードショーはブランド一周年記念を祝し26,May(Fri)に決定!!!!!

そうなんです、このRLLが一周年なんです、記念なんです、だから貸し切って宴会とブロック・パーティとスクウォティングまがいの大学占拠してバリストして中で鍋してカーカキンキン貧乏人新聞詠みするんです。もちろん自転車撤去もPESもムカつくんですが、僕らの指名/使命/氏名/四迷は、「君の頭の中から警官を追い出せ(頭脳警察)」ってな五月革命のグラフィティ・ポエットにあるんで、その辺り(とは?)を中心にDigってネグってシャブってアンポ飴なめって自家発電ムーブメントなわけです。んまぁとどのつまりはコンドラチェフの波と相関関係にある45〜50年周期で来るマシニック(戦争機械byD&G)の波に乗っかっちゃおうかな〜とか妄想結託したファッション・(院テリゲンチャ)パンクスでオカ左ーファーな僕らが、いかに凌ぐかってことの時代の天気読みなわけで、仮想敵を定めたベクトルのある闘争ではない逃走だったりして。完全鶴見マニュアルの東海村バケツリレーの逃げて逃げ続けてをトレースしたこの爆走2000マイルのヴァニシングポイントである一年目、照準をmixiに定めたピンポイント「砂漠の狐作戦」。んでもって、結果はせいこうだったか正剛だったかは、被弾したお客さんである仔猫ちゃん達及び有象無象に決めて頂くとしても、僕らレヴォリューション・ポップな変革主体はこのかくめい(ブランディング的名称でデビューを指す)記念日に文化教育の中枢に記念碑を打ち立てる行為をここに宣言したりするのです。

レジデンツ模した大きな目玉!コーナーとしては、AV業界かよってな裏とか表とかに看板にうるさい飲食サークルからホンマモンの看板持ちを連れ出しての、実録ハンガリー動乱・ワッツ暴動・神田カルチェラタン闘争・キンシャサのタイトルマッチ・トゥサン=ルヴェルチュール蜂起、1999シアトル暴動、三里塚幻野祭。ジョン・ケイルもジョン・ケージもジョン・ライドンも真っ青の爆音で4:33間に呑みましょう語らいましょう。ゲストとの絡みも当然あって大物音楽評論家であらせられる福田一郎氏、湯川れい子女史、テオドール・アドルノ氏、野田努氏、山名昇氏、間章氏、佐々木敦氏、大貫憲章氏らの出演交渉中であり、また極秘ではあるが漫画関係者(岡田斗司夫や大月隆寛や夏目房之介ではない)にも交渉依頼。どこが革命舞踏会(ピカテン)なんだと思われるくらいにプレイより批評を売りにするゴリゴリのレビュー誌気取る時代の半周先を見据えたイベント。こうなりゃ絶対くるしかな!! やるしかない!!! 祭りだ政りだ〜田園調布を喪やせ〜アートに火を点けて〜

ってことで2006年05月26日(金)ヨロシク!(ってことは今日は4月1日ってことはあと何日だ?二か月ないじゃん!)

RLLクルー∞+∞=∞君↓の同フェスティバル詳細
http://d.hatena.ne.jp/ziprocker/20060331
RLLクルーHARPO部長の「パクりの美学と芸大泥棒市」↓も関連情報
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=110631067&owner_id=125281


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  • By intellipunk / Apr 01, 2006 1:35 pm

一粒の向日葵の種まきしのみに荒野をわれの処女地と呼びき

泣いてばかりいた。

  路上で。

 なぜだかよくわからない。

 昨日、会社の知り合いからアラーキーの作品全集のうちの2冊をもらった。全20巻のうち最も欲しかった2冊をもらったのだ。1冊は物語15「死、エレジー」もう1冊は物語16の「エロトス」。特に昨日の夜は「死、エレジー」ばかりを、じっと、見ていた。深夜の二時くらいまで。巻末の写真家本人の説明によればこの写真集は1967年から72年までに撮られた写真だけで構成されており、当時森山大道の伝説的写真集「写真よさようなら」と同じシリーズとして同じ版元から出版されるはずだったらしい。

 内容はいかにもアラーキー的なのだが、明らかに80年代の「写真時代」とは違う。明らかに。性と生と政と聖がいくつもの断片となって重なり合い、モザイク状に散らばり、複雑に響きあっている。猥雑で混沌としていて、熟しきったフルーツのように、皮一枚穴が開いてしまえば中の芳醇な液体が全て溢れ出してきそう、なのに、どこか完全に冷め切っていて、砂漠で風化してミイラ化したか、風葬や鳥葬であらゆる生物につつかれ、舐め取られ、風と雨と雪と時に溶かされ、きれいさっぱりした白骨死体みたいに、完全に死んでいる。写真の中に散らばったいくつものパーツ。新築のアパート群の前の荒野でオナニーする全裸の鈴木イズミや、午前5時の青い光の中で乳房をわしづかみにされる天井桟敷の女優。謝国権の性の教科書。サルトルのようにゆがんだ眼球が本物の路地を彷徨っている。さびが浮いてボロボロの電話ボックス。電通のスタジオ。女陰の裂け目が作られた国旗。三島由紀夫のポスター。絡まりあう無数の男女の肢体。繰り返される暗転と溶暗。

 


 轟音。


 僕の横をとてつもない勢いで、しかもピーピーと笛を吹きながら突き抜けていくやつがいると思ったら、TASKEで、あっという間に箱の店員に捕まって怒られてやんの。渋さ知らズのライブは絶好調でアゲアゲ。今日は「SAVE THE 下北沢」のデモ。そのままライブハウスを出てデモカーの後に並ぶ。だいたい200人くらい。この前の反PSEデモと同じくらい、か。参加者はさすが下北とあってこじゃれた若い男女が多い。みんな小物使いや古着の重ね着が上手いね。プラカードや古布で作った吹流し?みたいな飾りもいいし、デモカーの風船もよかった。流れてくる音楽だってフィッシュマンズやくるりだもんね。

 もっとびっくりしたのは警官と公安がほとんどいないということ。いやあ、暴力的で極左なデモばかり行ってたのね。僕って。本当に気抜けするっていうか、ここまでピースだと「パレード」って呼び方にまったく違和感がないよ。ただ、歩き出してしばらくしてから渋さ知らズのメンバーと、デモ参加者の伴奏が始まると事態は一変。もう、みんな踊りだすは、騒ぎ出すは、白塗り舞踏家の人たちも大活躍。これがすごいの、なんの。渋さのライブはいくつも見たけれど、ここまで客と演者とダンサーが一体化したものは見たこと無い。まるで中世の阿呆船か巨大なチンドン屋集団としか思えない。しかも全てが流れていく。路地の上を。

 途中でスズナリの前で音を落として、さらに細い道へ。なんと道幅が3mくらいしかないからデモの人たちでいっぱい。警察官も何も言わないの。もう、それをいいことに路上で好き勝手踊る踊る踊る。手を広げ、大声を出して。ちょうど、渋さお得意の「ラーラーラー、ラーララー」っていうメロディが繰り返されて、大合唱。夕日が差し込んでくると哀しくて切なくて、それがうれしくてやりきれなくてボロボロ踊りながら、泣く。暖かい光と、轟音、踊ったり笑ったりしている人々。ただ、それだけ。

 「闇市の跡を消すな!!」のプラカードを持った、自分と同じくらいの歳の人を見て、笑う。どう見てもサイケデリックトランス好きのデリッカーギャル男っぽい人が、渋さのフリージャズみたいなトランペットでへろへろ踊って、「10年前はここに住んでたんだよ」と、話し掛けてくる。

 何もかもが新しく、何もかもが懐かしい。

 よく考えれば、白塗りの人たちは山海塾やダイラクラカン?といった寺山修司や土方巽直系の人々なのだ。そんな人たちと一緒に踊っているのかと思うと、またちょっと泣けた。ゴールの公園に入る。ここでも音楽は止まない。楽隊を中心に人々は円を描き、声を合わせる。その声は透明な渦となって春の大気の高みへと吸い込まれ、遠い遠いどこかで、青く青く哭いた。




 



よく分かんないけど公共圏

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はい、RLLクルー∞+∞=∞君の日記→http://mixi.jp/view_diary.pl?id=101939170&owner_id=194631

反戦落書き逮捕、反戦ビラ蒔き逮捕、反靖国逮捕、早稲田ビラ蒔き逮捕、そして今回の法大立看逮捕と、公共圏という空間の権利が公権力によって粉砕回収されていく様が続いている。日本人が終戦後に手に入れた自由のひとつが失われつつある。

今じゃわかりにくいかもしれないが、市民(市町村住民ではなくってシチズンっての、手っ取り早くは社会契約した人間だつまり)の私的所有と国家の所有以外に、市民の公共圏の公共所有というか誰のもんでない皆のモノというのがあった。それは権利だったり空間だったり曖昧なやつだったけどね。誰のもんでもないってことがリスペクトされ皆がリプレゼントするアレだ。これってヒップホップ的にはフッドって感覚なのはB-BOYはおわかりだろう。それにパンクやレゲエとかのコミュニティ・ミュージックのシーンの中にもある、2ちゃんねらーやオタクのそれもあるだろう。けど、その枠がコミュニティを越えて全世界へ繋がっているという感覚はないだろう、閉じているたこつぼ化だ。
公共圏をハーバーマスってドイツのおっさんが色々説明しててさ。─18世紀の市民革命と民主主義推進の中で発展した自律した世論ね。市民的公共圏では自律的な文化や政治が形成され、公権力との緊張によって民主主義が働いていたってね。
んでも日本じゃ世間しかなくって、戦後に急に手に入れたとたん、すぐ公共圏からサボとかピケとかストとかデモとかフカす市民とかウザイってことで、政府は削りをかけ資本は市民をサラリーマンに作り替え、この戦後60年あまりで解体な感じかな。市民はそいで市場から自律出来ない消費者や政治的に受け身な大衆に堕落だ。欧米も似たり寄ったりで解体されたみたいでね。

私的所有と国家所有以外の公共所有って意味じゃグラフィティやWinnyやNGOだって公共圏の問題だ。商品以外は政治にとって邪魔にされるモノになりつつあるじゃないか。買えるモノはマスターカードで。
んでもってグローバル時代、水や遺伝子や口伝承すら企業の著作物に成り下がる、ひどいぜ全部誰かの物の時代。(KLFの「Kopyright Liberation Front(著作権解放戦線)」の意志を継承していくRLLもそのあたり挑発的だ。そろそろコピー・レフトなりクリエイティブ・コミュニズムなり作らなな。)

ハーバーマスのおっさんは非国家的で非経済的なこの3、40年からこっちの動き、エコロジー、フェミニズム、エスニシティなんかの NGO等のアソシエーションやコミュニケーションといった「新しい社会運動」に新しい公共圏と見ようとしてるらしいな。今までのポシャった運動ってのは再配分の話「所有の権利」の問題だったけど、新しい社会運動は「存在の権利」つまり生きてい続けるってことを問題にしてる、ここ大事ね。恐らく所有の話は負けちゃったんだ、シビアな認識で。

撤退戦である「生存」こそ最終ラインであり新たなラウンドなんだ、これは生政治Bio-politicsを廻る新しい公共圏。でネグリの不屈の楽観だ。働く前にベーシックインカムっていう「最低限の所得保障」いう生存権を生政治と繋げる。ここでネオリベの適者生存ってなヒトベラシ乳母捨て山政策とは、真っ向から対決じゃ。「殺すな!」ってことじゃ!

僕はそんなこんなで、実は新しい生存を廻る公共圏の前線に少しの楽観を持っている。新公共圏の問題は、渋谷反戦サウンドデモ、輸入盤規制反対運動、石垣カフェ、高円寺自転車デモ、Save the 下北沢、反PSE運動ってな極最近のムーブメントでなんだか若い人から根付いてきているんじゃ?なんて。だって闘争を貫徹して殲滅よか、言われなくても生きてやる、んほうがリアルだで。新しい公共圏の反市場主義反管理主義はTAZ(自律的一時空間)であるレイヴ経由でB感覚、〈自由〉〈平等〉ではなく〈生〉〈コモン(共)〉へパラダイムシフトしたってな妄想アリ?



明後日土曜は高円寺中野間で反PSE法デモ3時から。
ミュージシャン曽我部恵一氏参加決定で、僕らの公共圏、盛り上がっています。是非!


これは是非見るべし。僕intellipunkらしきキャラも目立ってて嬉しい♪



あーあと雑誌「huge」の連載「ESOTERIC REVIEW」藤原ヒロシは対談森達也だった。このレベルまで降りていければ面白くなりそうだ


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  • By intellipunk / Mar 17, 2006 3:51 am

PSE法反対のデモ

電気用品安全法(PSE法)がこの4月から施行される。でもこの法律は、安全のための法律というには矛盾点が多すぎるザル法なんだわ。AC電源を内蔵した製品を販売するのに必須とされる「PSE認証マーク」を発行する、経済産業省の外郭団体の収入増が主目的であるという疑惑もあるくらいヒドイ。PSE法をネットで検索したらいくらでも出てきますご都合主義の経済産業省のふざけた対応も。

とりあえずザルでふざけてるのは下記asahi.comの記事読めば分かりますね。
http://www.asahi.com/business/topics/TKY200602200084.html

新聞で抜け穴指南が堂々とまかり通るってどんな法律だよ!

詳しく知らない方は下記

事実関係早分かりLINK

電気用品安全法@2chまとめWiki





坂本龍一氏が表立ってしていた「PSE法に対する署名」も勿論署名しました。

んでもって、次は意見行動です。来週18日(土)東京・高円寺で、この最高に馬鹿げた法案に対してデモするみたい。


高円寺→中野のコースで、14:00集合・15:00出発、解散は多分17:00ごろ

詳しくはblog「3月18日(土) PSE法反対高円寺デモ」まで。盟友であるリサイクルショップ「素人の乱」のみなさん主催。ふつうのガチガチなデモはやりそうにないよ、面白くいきましょう。



あとね、ネットの発言力のある記事なんかで、政治は立法府、行政府と官僚の恣意で動いている感は否めない、という前提で影響力あるロビー活動を勧め、跳ねっ返りをたしなめる書き方をしている賢者の意見を読んで、いらだったわ。

民主主義を官僚制へ堕落させ、御上をなだめすかし持ち上げつつヨロシクやっていく疑似合理主義的権威主義だよそれ、そうゆうの何ていうか知ってる? 土民の未開政治っていうんだぜ。人権とか民主主義もトレンド(同調圧力)でしか捕らえられないってのは、野蛮だねー。

構成的権力をいつでも発露させるのが民主主義ではないか。(そういや、松岡正剛が「日本には「黄色いから闘う」という闘争も、「自由がないから闘う」という闘争も、かつてまったくなかったのである。」ってファノンの項で書いてたね。)へへへ理不尽っていう生権力を体感し、生政治の理を体現することが、この戦争時代のマルチチュードの態度だろうよ。(んまぁスタイルの問題は当然民主主義とのプライオリティとしてあるけれどね。でも今回は大丈夫、スタカン並みに高感度だからw)

さてデモンストレーションというデモクラシーのリビドーをかっこよく決めるのはどんなもんかな。おもろくいきましょうか。


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  • By intellipunk / Mar 10, 2006 3:04 am

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