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江戸とキングストン

ピータートッシュ一番.jpg
ここ5日ほど、連日、オランダ人のようなライフスタイルを繰り返してたので、社会からプチ・ドロップアウトしてしまった。今朝、起きたら11時。社会人失格だ。ボクが植木等だったら、のこのこ昼過ぎに出勤して、大遅刻を咎める上司に「そんな堅いこと言いなさんな、ガッハッハ!」とかますところだが、ボクにはまだスーダラ度が足りない。とりあえず職場に電話して巧妙な話術で今日一日の労働からの解放を勝ち取った。有休ってやつね。

ちょうど休みたかったのだ。やることがあった。昨年の「平岡正明のDJ寄席」のテープ起こし。最終回、サウンドデモなど都市における音による抵抗について話して下さい、っとボクは平岡さんに頼んだつもりが、なぜか江戸時代の町火消の話から始まった。しかし、これは全く正しかった。

「火事と喧嘩は江戸の華」と謳われるように、町火消は江戸の町を象徴する職業だ。いや、単なる職業ではない、江戸で一番粋なライフスタイル。かっこよくて危険で女にモテモテだったらしいよ。ボクの中では火消ってのはルードボーイ的存在。「発砲と野外ダンスはキングストンの華」ってか。

ピーター・トッシュは火消の衣装、刺子半天を好んで着ていた。背中には「一番」、襟には「組頭」。「一番」ってのはチーム名。いろは48組のチームを一番から十番までの大組に分けてる。「組頭」ってのはポジション。一番偉いのが「頭取」その次が「組頭」。つまり、こーゆーことだ。トッシュは考える。オレのバンドは確かに一番だ。しかし俺自体は二番目の存在だ、一番偉い頭取は、オレの音楽を支持してくれる民衆のためのポジションなのだ。サパティスタ民族解放軍におけるマルコス副司令官と同じロジック。

火事場における町火消の振る舞いってのは、まさにサウンドクラッシュだ。いくつものチームが消し口を争い、威信をかけて、激突する。必然的に喧嘩になる。大名火消や定火消などバビロン側が相手のときは、火事以上に戦意が燃え上がる。身分が関係なくなる火事場は、封建社会の中にあって、町人(ルードボーイ)があからさまにバビロンに武力で反抗できる唯一の場なのだ。

ピーター・トッシュがどういった経由であの衣装を手に入れたかわからないが、あまりにハマり過ぎている。使命のために命を張れるかっこよさっという点で、まさにトッシュは江戸の町火消だ。トッシュは火を付ける方だけどね。解禁せよ!彼は火消についての知識が全くなくて、抵抗者としての勘だけであの衣装を身につけている、とロマンチックなボクは考えたいのだ。

火消とトッシュのことを考えていたら、今日もまた火を付けそうになったので、慌てて消火した。江戸とキングストンがボクの脳内で交差した。だからどうしたって?

SO WHAT ?


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  • By harpobucho / Feb 23, 2006 1:48 pm

勝新から稲葉へ継承されたものは何か?

先日知った衝撃の事実。いや、以前から知っていた気もするが、認めたくがないために無意識に知らないふりをしていたのかもしれない事実。とにかく事実なのだ。落ち着いて読んでくれ。

勝新が「B’z」の熱烈なファンで、B’zの稲葉浩志を評して「裕次郎以来、本物の男を見た気分だ」と言ったこと。六本木のある店で二人は生ビールにテキーラを垂らして「マリファナ・ドリンク」と名づけては乾杯したこと。時間の許す限りコンサートに行かけ、兄である若山富三郎の形見の青いテンガロンハットを稲葉の頭に乗せたこと・・・・・最後のこれだけは認めたくなかった。晩年の勝新は兄から受け継いだ真の男の王冠をB’zの稲葉浩志に授けたのだ。キング・タビーが次のキングにジャミー選んだときのように。

このボクの気持ちはお察しいただけるでしょうか?


  • HarpoBucho
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  • By harpobucho / Feb 21, 2006 1:56 pm

B感覚

『「機動隊、アガるよね」。友人が冗談めかして言う。サウンド・デモの最中、やつらに、あの大嫌いなやつらにぐるりと取り囲まれた中で踊っていると、バツもカミも食ってないのに、キックのひとつひとつが形を成してズンズンとボディーブローをかまし、ベースラインがグイングイン腰に絡み付いてくる。』
これは敬愛する音楽ライター磯部涼氏の「デモ=パーティ論」の部分。


MC5のコミュで以前書いたが、ある種のロックンロールのざわめきと主体の政治的緊迫は非常に近い快楽であり、MC5はそのことに気付いていた。磯部氏の感じたこれもおんなじ、ヒリヒリする武者震いに似たアレ。この感覚は、一つの向精神効果といってもいいだろう。カフェインやアルコールやニコチンとも違う合法的なハイだ。山登りや運転や潜水やダンスや格闘技とも似ているけれど違うし読書とも近いが違う。そうねアートをアウト・プットしてる気分にも大分似ている。


これを僕らは皆絶対、子供から大人になる間に、社会と対峙することで経験してきた。ギャングエイジのころ女の子へしたスカートめくり、秘密基地で食べた駄菓子、親の目を盗んでした買い食い、友人との万引き、隠れて吸ったキャビン、スクータやニケツ、担任や親に楯突いたこと、手に入れたAVと短ラン、初めての清らかじゃない交際へ至る欲動、恋愛の成功と失敗、初めて夢中になった洋楽、警察にお世話になってアガる状況。
自分へ世界が距離を詰め急に近付いてきた瞬間に脳の中でドキンとするアレだ。世界の構造に手を振れて、グラグラと揺すった感じだ。概念を改めてまさぐって自分以外とに差異を作った瞬間だ。

僕はこれを、今流行の政治哲学用語である生政治Bio-politicsに絡む向精神効果と考えた。エクスタシーのE、LSDのLならぬ生政治のBとか?

たけしの笑いやタモリの密室芸にはこのBが多く含まれる。世界への批評が生政治を作る。モンティーパイソンやスネークマンショーもB含有率は高い、松ちゃんも鋭いBを与えてくれる。ブラックな笑いは人間性への批評であり、それはグワァンと社会という意味が振らされたことなのだ。

緩くない舞台や映画だってBは多いし、私小説としてヒリヒリする写真や彫刻だってそうだ。レベルの付く音楽や絵画はBをドバドバ出してくる。アートとは本来、政治と別次元から人間を掘り起こし、権力が作る人間概念に対決を仕掛ける行為だ。神を否定し主体が世界に切り込むBな宿命だ。近代以降、全ての芸術がBのための行為だったと断言することも憚らない。


Bを求めない快楽趣味者も当然いるだろうし、そもそも快楽を必要としない人間もいることを知っている、無理強いしない。必要ない人は中世で生きていてくれ。けれど知って欲しい、Bとは世界を知覚する快楽でイキイキと生きる行為だと、人間を存在させる行為だと。

RLLというプロジェクトはB感覚をテーマにしている何かだ。うん多分、Bを出すセッティングだ、Bのバイヤーだ、Bの導師だ。楽しく生きるための何かだ。
参考:http://back.honmaga.net/?day=20000331


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  • By intellipunk / Feb 18, 2006 6:09 am

カラカス第六回世界社会フォーラム

小倉利丸氏による、フォーカス・オン・ザ・グローバルサウスのウォルデン・ベロとマリ・ルー・マリグによるカラカスWSF報告の翻訳(仮訳)です。

世界の最前線がどんなに変わってきているかは、なかなか日本のメディア環境にいると分かりづらいものです。でも、こういった貴重な情報を共有出来ることは、少しは〈共=コモン〉な状況を作れるかなと。


中南米の中道左派政権やヨーロッパの赤緑黒やアジア全域の新しいムーブメントが、世界的に大きな動きを起こしていることが、このアメリカ情報管制下でも少しは伝わるかな。
僕は正直、この変革の時代(同様のレポート番組がNHKでありましたが)に生きることが出来てラッキーって思ってます。世界の学生が燃えた68年よか今の方がダイナミックで楽しい☆

いつか世界社会フォーラムに行ってみたいもんです。

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カラカス第六回世界社会フォーラム:グローバル市民社会のカンフル剤
ウォルデン・ベロ、マリ・ルー・マリグ

ヴェネズエラのカラカスで開催された第六回世界社会フォーラムは、このグローバルな市民社会の年一回の会合が必要としていたカンフル剤となった。 WSFは、目に見える方向性や目的を出せずにこれまでのフォーラムの議論の繰り返しにすぎないではないかという厳しい非難——幾人かの主要な創設者からのものもふくめて——が投げかけられてきた。

カラカスでは、セミナーやワークショップでの議論がこれまでの会合にくらべて、より切迫した雰囲気となった。52000人の参加者は落ち着いた雰囲気のポルトアレグレとはまったく違った雰囲気のなかで七日間を過ごした。ブラジル有数の富裕な地域に位置するポルトアレグレとは対照的に、カラカスは、貧富の差がはっきりとしていてエリートや中産階級が出入りする贅沢なショッピングモールとごみごみしているが活気に満ちた貧民街や都市周辺の山岳地帯に建ち並ぶ牧場労働者の住居、非常に便利な地下の大量輸送システムと救いようのない地上の道路の渋滞が併存し、暴力犯罪の割合が高く、参加者がじかに路上強盗に遭遇した数も少なくない。

カラカスは、ヴェネズエラの石油の富との関連でみると、「理解することのなかなか難しい」第三世界であり、わたしたちが議論してきた社会問題やエコロジーの問題の多くの側面をいつもわたしたちに思い起こさせた。

ラディカルな雰囲気

しかし、今回の社会フォーラムでは、すがすがしい雰囲気という以上のものが多くを占めていた。いたるところに大統領フーゴ・チャヴェスに対する大衆の非常に高い同志的な愛着を示す証拠があり、商業マスメディアは膨大な数のチャヴェス批判の記事を載せ、チャヴェスタ革命のトレードマークである赤いベレー帽を被った兵士がどこにでもいるという、劇的な変化の過程の渦中に参加者は投げ込まれる。見過ごすべきでないのは、低所得層のベネズエラ人たちの大統領への明確な愛情であり、これは大量に生産され消費されているチャヴェスのTシャツ、チェアヴェス時計、押すと「ボリヴァリアン・革命」と叫ぶチャヴェス人形といった形をとって表れている。

同様に、わたしたちは米帝国に反対して闘う最前線にある国にいるという感覚に抗うことはできなかった。ヒットラー鬚のジョージ・W・ブッシュと「暗殺者ブッシュ」という文字が印刷されているポスターがいたるところに見られた。そして事実上の主賓となったのがシンディ・シーハンだった。彼女は、昨年夏にテキサスのクロフォードにあるブッシュの農場の外でキャンプを張って大きな注目を集め、合州国の平和運動を再度盛り上げた女性である。イラクで息子を亡くしたシーハンは、合州国議会での米国大統領による「合州国の現状」に関する演説を阻止するためにワシントンDCへ向かう前に、チャヴェスが毎週ホストをつとめるテレビ番組で、ブッシュを「テロリスト」呼んで厳しく糾弾してフォーラムとこの国をあっと驚かせた。

主役のチャヴェス

もちろん、チャヴェスは、参加者とのいくつかの公開あるいはプライベートなイベントのホストをつとめてフォーラムの開催期間中の主役だった。ブッシュを「Mr.Danger」と呼び、ポリエドロ・スタジアムの15000人の喝采を叫ぶ聴衆に向かって「かの帝国は全能ではない。」と語り、「我々は今世紀中にあの帝国を打倒するであろう」と予言した。あらゆる機会をとらえて、彼はわたしたちに、米国のラテンアメリカ問題への介入の長い歴史、米国によるキューバ孤立政策、そして2002年にチャヴェスに対して画策された失敗に終わったクーデタにおける米国の役割を想起させた。

これは、フォーラムをとりまく戦闘的な反帝国主義的な精神に抗いがたいという意味において、政治化されたフォーラムであったことはまちがいない。明らかにこのことは一部の参加者たちには退屈だっただろう。疑うまでもなく、チャヴェスタは、カラカスで開催されたWSFによってヴェネズエラのプロセスについての真実が国際的に示され、彼らの信じるところによれば、チャベスをやっつけようと躍起になっているワシントンを中和するためのより多くの同調者を結集するプラットフォームを獲得したといえるかもしれない。驚くことではないが、ヴェネズエラ政府はビザの援助、空港からカラカス市内への無料送迎バス、 WSFのバッチを身に着けている人全員に無料の地下鉄乗車を提供するなどフォーラムを全面的に支援した。

他方で、チャベスとフォーラムの主催者の間に若干の摩擦があったが、政府がこのフォーラムの議題やその内容を決めるうえで尽力したことでクレームがつくことはなかった。フォーラムが組織化されていない膨大なエネルギーに翻弄されたということがあったとしても、これは政府に操られたイベントではなかった。

オルタナティブをめぐる論争

現在のグローバルな資本主義システムに対するオルタナティブの問題は多くのワークショップやセミナーで議論された。チャヴェスは躊躇することなくこの論争にとびこみ、彼は、ヴェネズエラにおいて彼が建設しようとしているのは「社会主義」であると率直に宣言した。社会主義という概念は古いソヴィエトや東欧に広く普及したシステムだとみなすような参加者からの共鳴はえられなかった。また彼がマルクスやローザ・ルクセンブルクが「社会主義か死か」と言ったと主張したとき、彼らはそんなことは言っていなかったわけで、余計に心証を悪くした。他方で、チャヴェスは彼が「社会主義は20世紀最大の失敗のひとつであった」と主張し、彼の企てを「本物の社会主義」「キリスト教社会主義」「ラテンアメリカの社会主義」として述べるときには、彼の計画を彼の非常に近しい友人であるフィデル・カストロのそれと距離を置こうとしているようにも見えた。

もっと刺激的だったのは、非識字をなくすための大規模な全国的な短期集中学習コースの設置、キューバの医師を先頭とするコミュニティ・クリニックの設置や土地改革などチャヴェスの短期的中期的なプログラムに関する議論だった。また、魅力的だったのは、ALBAプロジェクト——「南北アメリカ大陸におけるヴォリヴァリアン・オルタナティブ」——の第一段階についての彼の議論だった。彼のペトロカリブ・イニシアチブでは、ヴェネズエラから石油を輸入しているカリブ海の13の諸国は石油の国際価格から40%の割引を受ける。ペトロスール・プロジェクトでは、ボリヴィアは大豆を、アルゼンチンは家畜をベネズエラの石油と交換する。こういった交換「資本主義の論理を越えるものだ」と彼は強調した。

チャヴェスの挑戦とわたしたち

たぶん、チャヴェスの世界社会フォーラムに対する主要な貢献は、行動へのなんの提案も持たない観念的な単なるフォーラムになる危険を警告して、このフォーラムに挑戦したことだろう。彼はまた参加者たちに、権力の問題に取り組まなければならないということを語った。「我々は<対抗的な権力 >の戦略を持たねばならない。我々、社会運動や政治運動は、地方、国、[国を越えたラテンアメリカといった]地域レベルにおける権力の場に移動できなければならない」と語った。

しかしながらこの率直な話には二面性がある。わたしたちの幾人かはチャベスに、昨年11月に南北アメリカの自由貿易を事実上破綻させた歴史的なマー・デル・プラータ会議で彼に与えられた栄誉に安住しないように彼に要請しつつ、貿易問題で議論を挑んだ。WTOは、それ以上の危険はないとはいえ平等を要求して彼に警告を発していた。わたしたちは、彼に、12月の香港閣僚会議で到達した合意にたいして公式に「留保」を表明したことに謝意を表しながらも、それだけでは不十分であり、わたしたちは、ここ数ヵ月以内にジュネーブで明らかになるであろう合意、つまり途上国の経済に深刻な脅威を与えるグローバルな政策に基づく話合いを失敗に終わらせること——たとえそのことが、隣国ブラジルの思惑を無にすることとなろうとも——にヴェネズエラが協力することを大いに期待していると述べた。

運動を元気づけるもの

一週間でも短すぎると感じる程雰囲気は盛り上がった。ヴェネズエラだけでなくラテンアメリカ全体にたくさんの人を魅了するものがあるという印象を抱きながら帰途についた。新自由主義に反対するラテンアメリカ大陸全体規模での革命が進行中であり、そのもっとも最近の兆候が、インディオの末裔でラディカルな農民運動の指導者でもあるエヴォ・モラレスのボリビア大統領選挙での勝利だった。

カラカスは、失速する危険にあった世界社会フォーラムのプロセスにとって、これを元気づけるものとなった。それは、わたしたちの側の勝利は、骨の折れる闘いと大きなリスクという代価を支払ってのみ手に入れることができるという事実を強く印象づけた。合州国と地方の寡頭政治の手に負えない同盟によって常に脅威に晒されながら、チャヴェスと彼の支持者たちは、ヴェネズエラとラテンアメリカの社会を変えるための可能性を獲得するために、WSFのスローガンである「もうひとつの世界は可能だ」を実行に移すために、闘いつづけている。

*ウォルデン・ベロとマリ・ルー・マリグはフォーカス・オン・ザ・グローバルサウスのスタッフである。


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  • By intellipunk / Feb 05, 2006 12:50 pm

歌舞伎町の呪われた部分

最近毎月1回は、ホストクラブの番組観てる気がする。今日なんて、ひどい。TBSとフジテレビで同時にホストの番組やってるよ。テレビ局にとってホストのドキュメンタリー番組は視聴率の取れる超キラーコンテンツだ。

ホストという人種、そして奴らに貢ぐ女ども。その様子を放送して金儲けするテレビ局。みんな最悪だと思ってた。みんな死ねばいいと思ってた。

いや、でも、けっこうこの人たち、スゴイかも?実は物凄くラディカルなアーチスト、もしくはオルタナティヴなアクティヴィストなんじゃないかしら、ふと今日はそんな気がしてきた。ホストとホストを取り巻く環境をリスペクトしてみようと思った。

バカ高いシャンパンを何本も空け、100万円の束が飛び交い、知能のかけらも感じられないヤンキー体育会系ノリのアホパフォーマンスを毎夜繰り広げる彼らの行為は、どんな反資本主義者よりも資本主義をバカにしてる。あれほど無駄な金の使い方は、お金に対する冒涜であり、ときには呪詛に近い。お金を使ったパフォーマンスアートという意味で彼らは皆、赤瀬川源平の弟子である。

バタイユがいう蕩尽とはまさにこのことだ。毎晩、彼らは女性が貯めこんだ過剰な財を贈与や破壊によって一気に使い果たしているのである。このような非生産的労働は、実は物凄く快感に直結してる(貴族たちのバーニングマンのような、アホのようにお金と時間をかけて行われる最高にバカらしいお祭りを想像しよう!)。気持ちいいは正しい、これがボクの持論である。

そんなわけでホストは正しい。女性客も正しい。それを放送して金儲けするテレビ局も正しい。資本主義をバカにすることは絶対的に正しい!


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  • By harpobucho / Feb 03, 2006 2:04 pm

ジャコバン派

さて、僕は基本的に、ヘイトスピーチをチャット以外ではしない様に心掛けている。


僕の黒や赤の仲間の日記には当然の様に、粉砕/shit!/殲滅/反革命/むかつく/糾弾/Bullshit!!!/馬鹿ばっか! が踊る。

しかしいつも、リテラシーを持てない若い子供達がそれを読んでも、苦々しさが残るだけだと感じる。悲観主義は冷酷なリアリズムとして必要だ(知性における悲観主義、意志における楽観主義ーーアントニオ・グラムシ)、けれど否定主義は自家撞着と採られかねない危険を持つ。身内で言葉する形式も、人払いになってしまいかねない、自戒も込めて。

僕らは、肯定と希望を語る言葉に、未来へ背中を押される。

過日、青山ブックセンターで観覧した「マルチチュードとは誰か?」トークセッションでも、姜尚中さん毛利嘉孝さん水嶋一憲さんがみな、悲観的な現状を自覚しつつネグリ/ハートの言葉の中から希望を紡ぎ出そうとしていた。
姜さんはパフォーマンスとして俗情に訴えかける「隣人の自死」への共感を説き、何時か来る「このままでは駄目だ」という自発的な巻き戻しへの期待を口にしていた。毛利さんは身近な若者の可能性に信頼を置きながら、世界の新しいタイプの運動にマルチチュードを見いだしていた。水嶋さんは、多くのネグリ/ハートの言葉から彼等の不屈の楽観を検視拡大して僕らに伝えようとしてくれた。



いつからジャコバン派は若者の心を引き付けられなくなってきたのだろう。この10年の国粋化は明らかにネオリベの魅力に対して、僕らが対抗的なチャームを現せなかったからだ。若い無知な、そして貧困な文化の中で育った若者を、肯定して育て上げることを僕らは怠ってきたのかもしれない。それは癒しのナショナリズムの反語を僕らが持ち得なかったからか。

そう云った意味で「マルチチュード」における〈共=コモン〉が本当に重要な意味を持ってきていると、改めて思った。

僕のやっているRLLはそもそも、肯定されるべき政治にまっさらな若者(じゃなくても当然いいんですけど)の為の活動だ。非常に啓蒙臭いことをやっていると我ながら思ったりする。けれど幾多のセッションでパーティーピープルや音楽ファンやレイヴァーに支持をされ、多くの先達に激賞されると、魂のポトラッチを果たした気持ちだ。これは上手く回っていると感じている。肯定的啓蒙への喜びの言葉を貰うと、これからも継続してゆく勇気が湧いてくるものだ。

打ち上げで水嶋先生は、僕らRLLに「彼等マルチチュードが希望だ」と勿体ない言葉をくれた、酔った席でのことではあるけれど。とまれ指し示す肯定とそれからくる希望を大切にしてゆきたい。



あ、さて、人は何故にジャコバン派になるのでしょうか。いったいどんな作用で。


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  • By intellipunk / Jan 28, 2006 10:28 pm

マルチチュードとは誰か?


姜尚中×毛利嘉孝×水嶋一憲
ネグリ&ハート 『マルチチュード─<帝国>時代の戦争と民主主義』
(上下巻、NHKブックス)出版記念


http://www.aoyamabc.co.jp/events.html#ao20060121_1
■2006年1月21日(土)15:00〜17:00(14:30開場)
■会場:青山ブックセンター本店内・カルチャーサロン青山
■定員:120名様
■入場料:¥1,000(税込)電話予約の上、当日精算
■電話予約&お問い合わせ電話:03−5485−5511
■受付開始:2005年12月16日(金)10:00〜

マルチチュードとは誰のことか?フランスで暴動を起こした移民たちや、日本のフリーターは、マルチチュードと呼べるのか?マルチチュードとは思想業界の中でのみ通用する理念的なものなのか?「マルチチュード」を真の批判的・実践的概念としてどう定着させるかをテーマに語り合うスリリングなセッション。

姜尚中
1950年生まれ。東京大学大学院情報学環教授。著書に『マックス・ウェーバー と近代』『オリエンタリズムの彼方へ』(岩波現代文庫)『在日』(講談社)など多数。

毛利嘉孝
1963年生まれ。東京芸術大学音楽学部音楽環境創造科助教授。著書に『カルチュラル・スタディーズ入門』『実践カルチュラル・スタディーズ』(共著、ちくま新書)『文化=政治』(月曜社)『日式韓流』(編著、せりか書房)など。

水嶋一憲
1960年生まれ。大阪産業大学経済学部教授。論文に「マルチチュードの 恐怖」「帝国論の新展開」など。訳書に、ネグリ&ハート『<帝国>』(共訳、以文社)など。






ってなイベントにRLLクルーで明日観覧しに行きます。
度々お世話になっている毛利先生の晴れ舞台を応援に。
姜さんの低音の魅力から発せられるポスト今迄を注目。
水嶋先生の訳者としての狙いもはっきり分かるんかな。


「マルチチュードとは誰か?」
「はいっ!」
「僕らRLLは自己申請します!!」
「高円寺ネグリ派ならぬ中央線マルチチュードを標榜表明してます!!!」

そんな感じで既にRLL内部では照準が定まってきてて、かなり具体像が掴めてるんですがね。
まだヘタレウヨとか下流とか云ってるのは五里霧中なんかしら世間では。


ネタで喜ぶほど人生に退屈してませんし
なんにせよ楽しみなものを用意してくれないとね。


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  • By intellipunk / Jan 20, 2006 1:32 pm

アリ TO キリギリス

イソップ寓話に「アリとキリギリス」という有名な話がある。翻訳によって国ごとにニュアンスが多少違うが、おおむねこんな感じ。今風にちょっと手を加えておこう。

アリさんは暑い盛りも、もくもくと一生懸命働きました。厳しい冬のため少しの蓄えもできました。キリギリスさんはすずしい夕方になるとレコードを回し、毎夜毎夜パーティを楽しみ、熱い日中は昼寝ばかりしていました。やがて冬。大地に食べ物がなくなり、キリギリスさんはおなかを空かし、困り果てて、アリさんの家をたずねました。


ここからは国や時代によって大分違ってくる。日本の場合、「アリとキリギリス」の結末に関するこんな資料がある。

★戦後(1945年)~1979年に出版されたイソップ寓話 69冊                        
アリがキリギリスに食べ物を分けてやらない話 (37冊)
食べ物を分けてやる話 (27冊)
食べ物をやったかどうか判らない話 ( 5冊)

★1980年~1997年4月に出版されたイソップ寓話 38冊
アリがキリギリスに食べ物を分けてやらない話 (28冊)
食べ物を分けてやる話 ( 4冊)            
食べ物をやったかどうか判らない話 ( 6冊)

高度成長期の時代は、みんなが中流意識を持っていて、困った人がいたら、助けてあげる余裕があった。80年代に入ると、それがなくなる。食べ物を与えてやる話が激減しているのだ。これは、ちょうどネオリベな空気が生れてきた時期に重なる。働かない奴、ダメな奴は餓死して当然って雰囲気。現在はさしずめ、餓死したキリギリスをアリが食べてしまうって世界。企業(働きアリの集合体)が人間を食い物にしてるのだ。なんてグロい世界だ。故にグローバリゼーションって名付けよう。

いったいキリギリスとして、どのように振舞えばいいのか?簡単だ。快楽原則にのっとろう。


アリさんはキリギリスさんに「夏の間歌っていたなら、冬の間は踊っていたらいいさ」と言い、冷たくドアを閉めました。

イエーす!そうか、アリさん、踊っていればいいのか!?君は実に頭がイイ!今夜はタマ仕込んでライフォ行くべ。

そうやって毎日楽しく生きていけばいいのではないでしょーか。生-政治を生きるってことは、生-遊戯を生きることですもの。

お腹空いたり、眠くなったら、アリの巣に忍びこみ、使われていない部屋をスクワット(不法占拠)すればいい。アリたちを自分の芸で楽しませ、食料を分けてもらえばいい。芸で魅せ、アリたちをじょじょに仲間に引きずりこめばいい。お前らの仕えている女王アリってのがいかにグロいか、その正体を教えてあげればいい。

巨大コーポレーションの働きアリから、自律した遊び人、キリギリスへ。

アリ TO キリギリス。


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  • By harpobucho / Jan 12, 2006 2:07 pm

RLLの繊維業界的戦略

なんだか何か書かなくては、と思い、溜めてたharukaさんからのファションバトンでも。

といっても僕は、お洒落の脱構築しちまったんで一般に望まれる回答になりそうもない。

なんでRLLのデザイナーとしての観点からでも記入しようか。


(1)好きなブランド よく行くお店は?

これは狙っているブランディングにしましょう。
RLLは戦略的にTシャツを選択しました、そういった意味ではクラブキングのこれに近い。でも僕らの狙いとは少し違います。


Tシャツというのはレコジャケ同様に、表現であって表現でないカンバスです。つまりアーティストや有名デザイナーのそれの様な、完成された表現がそぐわない。様式美でもなく自意識でもない独特のシズルがある。

なぜなら、リアル・クローズであるユニフォーム(労働着)からの流れであるストリート・アイテムだからです。ハイ・ファッション(服飾芸術)の世界のデザイナーもTシャツを理解出来ない、大抵トンチンカンなことをします。モードの世界は表現を前提にして成立したのに対し、いわゆるカジュアルといわれる服は元々労働着である。

ですからTシャツを表現作品とはしないで、日常の中で愛着を持って着れなくてはいけない。重過ぎないリアルスタイルであることが大事なのです。



参考にしているのは、鋭い方ならお解りだと思いますが「STUSSY」あたりのベタな海外SK8ブランド。国内のスタイルがシーズン刻みなのに比べ廃れづらい、そして徹底的にストリートから離れないのが理由。(個人的には「SOPH.」のマッシブの3Dスタイル服飾パクリも面白いとは思いますが憧憬が過ぎるかな。)

そして、多くのバンドTシャツ。それらロックの最大公約数を濃縮還元した「HYSTERIC GLAMOUR」のスタイルも影響が大きい。デザイナー北村さんの個人的ロック・スタディーを見るような歴史の流れがあるのです。(ちなみに北村さんをロックDJとしても尊敬してます☆)「NUMBERNINE」とか「LAD MUSICIAN」は個人的には剽窃に見えてしまうのです。


共通しているのは「サーフ/スケート」カルチャーや「ロック/音楽」文化が背後にあること。そのバック・グラウンドが、リアル感であったりストリート感を醸し出し、シズルTシャツたらしめていると感じるのは考え過ぎではないでしょう。Tシャツには現場感が絶対に必要だ、という個人的な確信からもね。

で、その背後にある文化を「哲学現代思想/人文社会科学/政治社会運動/革命文化芸術」に入れ替える。Tシャツがそれら現場の労働着だと再規定することで、立ち上がってくるリアリティーをRLLは獲得しているはず。そこが凡庸な共産趣味やNGOチャリティーのTシャツとは違う。つまりカルチャー・ジャミングなのです。

RLLは、政治=生活で日常に思い想うことをリアル・クローズする(wearable ideas)。




(2)ヘビロテな服/アクセサリーは?

白いTシャツ
RLLにとって白TEEは裏原系を擬態するための戦略的選択だった。故に初期デザインには白が多い。あと出来不出来があまり変わらないこともあるかな。
といっても裏原系ブランドの最初期も技術的に貧しかったので(ジョニオが手刷り!)白が多かったということで、RLLとそれほど理由は変わらないかもね。



(3)勝負服は?

「YAMA Attack to Attack」とか?
乗せるテーマがハードだとシャレをなかなか効かせられない。
その場合は徹底的にカッコよくさせる方向で、デザインを気合い入れます。

個人的にはこれから発表予定のフーコーTシャツはかなり!




(4)参考にしてるもの(おしゃれだなと思う人)はありますか?

ベタにビースティーの3人とか古いか?

センス良くってすっげーお洒落な人は何人か知ってます。
でも世間の人に届く位のセンスに下ろして作ってます。




(5)秋冬に狙っているものは?

Tシャツはオフシーズンなんでリメンバー・シアトル1999のオルタネイト・バージョンでも。



(6)これは失敗したなあと思うのは?

刷りミスは散々あります。ミスったやつは安くお譲りするかRLLクルーが見本として着用してます。



バトンはRLLクルーの二人にでも!


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  • By intellipunk / Jan 07, 2006 1:24 pm

唖とめくらを売り物にする優良企業

カナダのドキュメンタリー映画『the corporation』は、企業がとんでもないサイコパス(人格障害)であることを暴いている。たとえば、こんな症状。

・他人への思いやりがない
・利益の為に嘘を続ける
・人間関係を維持できない
・罪の意識がない
・他人への配慮に無関心
・社会規範や法に従えない

しかし、例外もある。勝新太郎率いる勝プロダクションは、最後の項目を除けば、上記に当てはまらない。故に勝プロは倒産した。資本の倫理においては、健康ゆえに倒産するということもありうる。勝プロは世界で一番素敵な会社だったと思う。ボクがメールアドレスにしているくらいだもん。

佐川サンタがクリスマス・プレゼントを届けてくれた。クリスマスに届くタイミングにヤフオクで落札したんだけどね。

もはや観ることが不可能といわれた、幻の時代劇ハードロマン!
鬼一法眼

2ボックスセットで6万円もするものを、26,000円で落札。いい買い物したぜ。油ののりきった若山富三郎主演、そして弟の勝新太郎が製作、出演、そして主題歌までサポートしてる。世界最強の兄弟コンビの作品がつまらないはずがない。

この作品のテレビ放送時のタイトルは『唖侍 鬼一法眼』。唖(おし。差別語は変換できないからメンドー)がAランクの差別用語なんで商品名としては名乗れない。でも商品の中身は、ちゃんとタイトルバックで、でっかく「唖侍」と出る。こっちがメインタイトルなのだ。弟がめくら役を演じれば、兄貴は唖役を演じる。なんて身障フェチな兄弟なんだ。


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  • By harpobucho / Dec 26, 2005 2:19 pm

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