HarpoBucho Archive

唖とめくらを売り物にする優良企業

カナダのドキュメンタリー映画『the corporation』は、企業がとんでもないサイコパス(人格障害)であることを暴いている。たとえば、こんな症状。

・他人への思いやりがない
・利益の為に嘘を続ける
・人間関係を維持できない
・罪の意識がない
・他人への配慮に無関心
・社会規範や法に従えない

しかし、例外もある。勝新太郎率いる勝プロダクションは、最後の項目を除けば、上記に当てはまらない。故に勝プロは倒産した。資本の倫理においては、健康ゆえに倒産するということもありうる。勝プロは世界で一番素敵な会社だったと思う。ボクがメールアドレスにしているくらいだもん。

佐川サンタがクリスマス・プレゼントを届けてくれた。クリスマスに届くタイミングにヤフオクで落札したんだけどね。

もはや観ることが不可能といわれた、幻の時代劇ハードロマン!
鬼一法眼

2ボックスセットで6万円もするものを、26,000円で落札。いい買い物したぜ。油ののりきった若山富三郎主演、そして弟の勝新太郎が製作、出演、そして主題歌までサポートしてる。世界最強の兄弟コンビの作品がつまらないはずがない。

この作品のテレビ放送時のタイトルは『唖侍 鬼一法眼』。唖(おし。差別語は変換できないからメンドー)がAランクの差別用語なんで商品名としては名乗れない。でも商品の中身は、ちゃんとタイトルバックで、でっかく「唖侍」と出る。こっちがメインタイトルなのだ。弟がめくら役を演じれば、兄貴は唖役を演じる。なんて身障フェチな兄弟なんだ。


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  • By harpobucho / Dec 26, 2005 2:19 pm

まくらで眠る。

まあ、当たり前ですね。
でも違うんですよお。
ボクのいってるまくらってのは落語の冒頭のトーク部分。

みうらじゅんが何かの本で寝る前に落語を聴いているというのを読んで、ボクもみうらじゅんのような素敵な大人になりたくて、実行してる。

もっぱら、志ん生だ。布団の中に潜ってるときには、志ん生の声が一番、気持ちいい。気持ちよすぎて、まくらの部分でもう寝てしまう。だから全然落語の噺を覚えられないし、サゲまでたどり着くことはまずない。もし、最後まで聴けたとしたら、それはボクにとっていい落語ではない。

覚醒と睡眠のゆらゆらした間で、志ん生の声が脳内でダビーに響く。まくらから噺の本筋に突入する瞬間は、まるでレゲエのサウンドシステムにおけるベースラインの入り方に似ていて、ゾクっとくる。あとはもう、志ん生の声は、プリンス・ファーライのような呪文系トースティングにしか聴こえない。これがボクにとって最高に気持ちいい子守歌なのだ。だからボクにとって落語は素面で聴く伝統芸じゃない。完全にトリップ話芸。落語DUB。


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  • By harpobucho / Dec 16, 2005 2:25 pm

初めて・・・

初めて、浪曲を生で聴いた。玉川福太郎だ。フェラ・クティのような存在感、ヌスラット・ファテ・アリ・ハーンのような声量。圧倒された。一緒に聴いていた平岡正明さんがボクに言った。「どーだ、浪曲凄いだろ!これが人間サウンドシステムだ!」キンタマ主義者の平岡さんのためにも芸名を玉袋筋太郎に改名して欲しい。

初めて、自転車で信号待ちしている間に寝てしまった。一瞬意識を失ってたとは思ってたけど、職場への到着時間がいつもより5分遅かったので、ビアンキに跨って、5分ほど寝ていたということになる。

初めて、DJをやった。10円で買ったレコードを10枚もかけずに終わったので、100円未満のプレイだ。DJ界にもデフレ現象が起こっている。ゲイ・ディスコと演歌と歌謡曲。何の思い入れもない曲を、何の工夫もなしに、ただかける。数分で飽きる。一晩DJするプロの人たちって凄いね。レゲエのセレクターやるんだったら、ボクも一晩楽しめるかな。やっぱ自分が本当に聴きたい/聴かせたいレコードをかけたいものだ。

初めて、ピンク映画に感心した。『OLの愛汁 ラブジュース』。ビデオ版のタイトルは『はたらくお姉様 アフター5は我慢できない』。ピンク映画はいつもそうだが、内容の本質から、タイトルは遠く離れている。わざとセンスのないタイトルを付けているような節があるのだが、そーゆうところ、嫌いじゃない。20代後半~30代前半の独身女性の日常がしっかり描かれていて、妙にリアル。セックス描写然り。女性にオススメ。

初めて、誕生日を元彼女と過ごした。20代前半の彼女はボクと別れた後、60歳の男性と同棲していたはずだが、今はその家を出て、19歳の女性とルームシェアをしているんだが、その家の家主の男性に襲われそうになり、そこも出ることになった。そして今度は、なぜか谷村新司のマネージャーとの同棲生活に入るらしい。彼女はノマドなのだ。ボクは単なる彼女の旅の通過点に過ぎず、タニマネ(谷村のマネージャーの略、彼は婚姻届を用意している)もまた然り。彼女の理想はゲイとの友情結婚らしい。


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  • By harpobucho / Dec 12, 2005 2:30 pm

誕生日特別企画「ハーポ部長の映画史」

「誕生日おめでとう!」といわれると、「いや、全然おめでたくないよ~」と否定的な反応をしてしまう照れ屋さんのハーポ部長です。本当は「ありがとう!」って素直に言うべきなんですけどね。

今の時点でボクを構成している映画100本。明日には変わってると思う。


No タイトル      製作国  製作年  監督

1.アンダルシアの犬 フランス 1928 ルイス・ブニュエル
シュルレアリスムの歴史的な結晶。脚本にダリが参加。

2.フリークス アメリカ 1932 トッド・ブラウニング
本物のフリークス(奇形者)が大挙して出演。

3.我輩はカモである アメリカ 1933 レオ・マッケリー
笑いのアナーキスト、マルクス兄弟の代表作。

4.東京物語 日本(松竹) 1953 小津安二郎
もう少し年を重ねた後に観たい、あまりにも日本的な作品。

5.ぼくの叔父さん 仏・伊  1958 ジャック・タチ
モダンな住宅、楽しい音楽、エスプリのきいた見所が満載。

6.太陽の墓場 日本(松竹) 1960 大島 渚
戦後大阪スラム街のルンペンたちを描く。主演の炎加世子がイイ!

7.地下鉄のザジ フランス 1960 ルイ・マル
スラップスティック喜劇の面白さ。主人公のザジがキュート。

8.僕の村は戦場だった ソ連 1962 アンドレイ・タルコフスキー
美しすぎる無時間性の自然風景。気持ちよく寝られます。

9.切腹 日本(松竹) 1962 小林正樹
仲代達矢の鬼気迫る演技。何ともスリリングな時代劇。

10.気狂いピエロ フランス 1965 ジャン=リュック・ゴダール
ゴダール特有の死の結末はユーモラスでもの悲しい。

11.兵隊やくざ 日本 1965 増村保造
勝新の魅力爆発の痛快反戦映画シリーズ1作目。

12.エル・トポ  米・メキシコ 1967 アレハンドロ・ホドロフスキー
ジョン・レノンも絶賛のカルト西部劇。

13.中国女 フランス 1967 ジャン=リュック・ゴダール
68年の五月革命を準備した当時の思想潮流が興味深い。

14.殺しの烙印 日本(日活) 1967 鈴木清順
日活を解雇される原因となった監督の大問題作!

15.日本のいちばん長い日 日本(東宝) 1967 岡本喜八
緊迫感が凄い、東宝のオールスター戦争映画。

16.江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間 日本(東映)1969 石井輝男
日本カルト映画の最高峰!笑いと恐怖が同時に襲いかかる!

17.小人の饗宴 ドイツ 1970 ヴェルナー・ヘルツォーク
隔離された小人の施設の反乱を描いた異色作。

18.サテリコン イタリア 1970 フェデリコ・フェリーニ
フェリーニが描くディオニソス的酒池肉林世界。

19.暗殺の森 伊・仏・独 1970 ベルナルド・ベルトリッチ
映像が美しい。特に森での暗殺シーンは圧巻。

20.わらの犬 アメリカ 1971 サム・ペキンパー
日常に、そして誰にでも潜む暴力の爆発!

21.スウィート・スウィートバック アメリカ1971 メルヴィン・ヴァン・ピープルズ
怒りに充ちた黒人による黒人のための低予算の自主制作映画。

22.時計じかけのオレンジ イギリス 1971 スタンリー・キューブリック
暴力映画の古典。仲間内しか通用しない言語って今風?

23.書を捨てよ町へ出よう 日本(ATG) 1971 寺山修司
映画の虚構性を問う実験精神に富んだ怪作。

24.WR オルガニズムの神秘 米・ユーゴ 1971 ドゥシャン・マカヴェイエフ
 「性の革命」を説いたヴィルヘルム・ライヒの世界を描く。

25.べニスに死す イタリア 1971 ルキノ・ヴィスコンティ
究極の恋愛映画。化粧したダーク・ボガードの悲しさよ。

26.アギーレ・神の怒り 西ドイツ 1972 ヴェルナー・ヘルツォーク
怪優クラウス・キンスキーの狂気が爆発。

27.座頭市物語 折れた杖 日本(勝プロ・東宝)1972 勝新太郎
勝新本人がドラッグをキメながら製作したシリーズ異色作。

28.子連れ狼 三途の川の乳母車 日本(勝プロ・東宝)1972 三隅研次
タランティーノも愛するスプラッター時代劇。若山先生が凄い!

29.ポルノの女王 にっぽんSEX旅行 日本(東映)1973 中島貞夫
タイトルに騙されるな!これは『ロストイントランスレーション』だ!

30.ホーリー・マウンテン  米・メキシコ 1973 アレハンドロ・ホドロフスキー
サイケデリック(バッド・トリップ?)映画の最高峰。

31.コフィ アメリカ 1973 ジャック・ヒル
ブラックスプロイテーションの女王パム・グリア様にひれ伏せ!

32.仁義なき戦い 広島死闘篇 日本(東映) 1973 深作欣二
5部作必見だが、千葉ちゃん大暴れの2作目を大推薦。

33.燃えよドラゴン アメリカ・香港 1973 ロバート・クローズ
本物の肉体とアクションの迫力は最新のVFXをも凌ぐ。

34.こわれゆく女 アメリカ 1974 ジョン・カサヴェテス
ピーター・フォークとジーナ・ローランズの演技が素晴らしい!

35.ガルシアの首 アメリカ 1974 サム・ペキンパー
賞金を巡って繰り広げられる殺し合い。埃っぽく男くさい世界。

36.田園に死す 日本(ATG) 1974 寺山修司
寺山独自の世界観と映像美。ラストシーンが凄い!

37.スウィート・ムービー 仏・カナダ・独 1974 ドゥシャン・マカヴェイエフ
常識人の脳みそを煮立てる変態映画。取り扱い注意。

38.極私的エロス・恋歌1974 日本(疾走プロ)1974 原 一男
極私的ドキュメンタリー。出産シーンは圧巻。

39.ゴッド・ファーザー パート2 アメリカ 1974 フランシス・フォード・コッポラ
パート1も良いが、デ・ニーロがカッコいいのでこっち。

40.片腕カンフー 対 空飛ぶギロチン 香港 1975 ジミー・ウォング
タイトルもめちゃくちゃだが、当然内容もめちゃくちゃ。

41.祭りの準備 日本(ATG) 1975 黒木和雄
閉鎖社会からの脱出願望を郷愁とともに描いた青春映画。

42.県警対組織暴力 日本(東映) 1975 深作欣二
警察もヤクザも同じ穴のむじな。拓ボン取調室リンチが壮絶!

43.ソドムの市 イギリス・フランス 1975 ピエル・パオロ・パゾリーニ
背徳の美学。良い子は絶対に観てはいけません。

44.カッコーの巣の上で アメリカ 1975 ミロス・フォアマン
権力の恐ろしさを痛感。ジャック・ニコルソンが好演。

45.ジュ・ティーム・モア・ノン・プリュ フランス 1976 セルジュ・ゲンズブール
短髪ぺちゃパイのジェーン・バーキンに萌え!

46.青春の殺人者 日本(ATG) 1976 長谷川和彦
テーマは親殺し。母・市原悦子の演技が非常にヤバイ。

47.キャリー アメリカ 1976 ブライアン・デ・パルマ
ホラーというよりも、デ・パルマの演出が冴える青春悲劇。

48.タクシー・ドライバー アメリカ 1976 マーチン・スコセッシ
誰もが心にトラビス(主人公)を抱えている、なんちゃって。

49.アニー・ホール アメリカ 1977 ウディ・アレン
知的ニューヨーカーのシンボルとしてのアレン監督・主演作。

50.父/パードレ・パドローネ イタリア 1977 タヴィアーニ兄弟
兄弟で1本の映画を分けて撮影するのが彼らのやり方。

51.少林寺三十六房 香港 1977 リュー・チアリァン
少林寺クンフー映画の最高峰!修行と革命のドラマ。

52.ロッカーズ アメリカ 1978 セオドロス・バファルコス
レゲエを愛する者はみんなハマる勧善懲悪ラスタムービー。

53.太陽を盗んだ男 日本(東宝) 1979 長谷川和彦
エンターテイメント映画の最高峰。ジュリーの色気と文太のタフさ。

54.ブリキの太鼓     西独・仏 1979 フォルカー・シュレンドルフ
オスカル役の少年の演技が素晴らし過ぎて怖い。

55.地獄の黙示録 アメリカ 1979 フランシス・フォード・コッポラ
数々のアクシデントで監督が発狂寸前まで陥った問題作。

56.狂い咲きサンダーロード 日本(狂映舎=ダイナマイトプロ)1980 石井聰互
日本最速ロックンロール・マッドムービー!

57.ガキ帝国 日本(ATG) 1981 井筒和幸
お茶の間で毒を吐く井筒監督唯一の名作?

58.近頃なぜかチャールストン 日本(ATG) 1981 岡本喜八
殿山泰司他、老人たちがいい味を出してます。

59.フィツカラルド 西ドイツ 1982 ヴェルナー・ヘルツォーク
船の山越えという発想と実行にただただ驚愕するのみ。

60.十階のモスキート 日本(ATG) 1983 崔 洋一
ラスト、内田裕也扮する警察官の強盗シーンは圧巻。

61.ションベンライダー 日本(東宝) 1983 相米慎二
長回しの冒頭とシャブでハイテンションのラストは必見!

62.逆噴射家族 日本(ATG) 1984 石井聰互
家族解体物語。原作は小林よしのり。

63.パリ、テキサス ドイツ 1984 ヴィム・ヴェンダース
ナスターシャ・キンスキーの赤ドレスが鮮烈。

64.台風クラブ 日本(ATG) 1985 相米慎二
台風が来るたびに観たくなるちょっと歪んだ青春映画。

65.ドレミファ娘の血は騒ぐ 日本(ディレクターズ・カンパニー)1985 黒沢 清 ゴダールを意識した異色ピンク映画。

66.サクリファイス スウェーデン・仏1986 アンドレイ・タルコフスキー
必ず眠くなるのがタルコフスキー映画の醍醐味。

67.ダウン・バイ・ロー 米・西独 1986 ジム・ジャームッシュ
トム・ウェイツ、ジョン・ルーリー、ロベルト・ベニーニとくせ者揃い。

68.ゆきゆきて、神軍 日本(疾走プロ)1987 原 一男
主演・奥崎謙三の業の深さ。アクションドキュメンタリー。

69.さよなら子供たち 仏・西独 1987 ルイ・マル
監督の少年時代の体験が描かれる感動もの。

70.殺人に関する短いフィルム ポーランド 1988 クシシェトフ・キェシロフスキ
この作品を含むTV版『デカローグ』は大傑作!必見!

71.動くな、死ね、甦れ! ロシア 1989 ヴィタリー・カネフスキー
ヌーベルバーグ ミーツ ネオリアリズモ ソ連版。

72.3-4X10月 日本(松竹) 1990 北野 武
たけしが映画作家と認知される以前の傑作。

73.ワイルド・アット・ハート アメリカ 1990 デヴィッド・リンチ
リンチの映画にしては単純明快。ケイジ、ハジケっ放し!

74.グッドフェローズ アメリカ 1990 マーチン・スコセッシ
ギャング映画の傑作。ジョー・ペシが超ハマリ役。

75.レザボア・ドッグス アメリカ 1991 クエンティン・タランティーノ
映画オタクによる革命。オープニングからしてカッコ良すぎ!

76.ポンヌフの恋人 フランス 1991 レオス・カラックス
ホームレスの恋物語。醜さと、美しさのバランスが秀逸。

77.ソナチネ 日本(松竹) 1993 北野 武
キタノ映画の最高峰。これ以降はちょと・・・・

78.パルプ・フィクション アメリカ 1994 クエンティン・タランティーノ
サミュエル・L・ジャクソンがとにかくクール!トラボルタも好演。

79.レオン アメリカ 1994 リュック・ベッソン
ナタリー・ポートマン萌え!ジャン・レノの唯一のあたり役?

80.スモーク アメリカ 1995 ウェイン・ワン
静かで味わい深く、なんとも居心地の良い映画。

81.アンダーグランド 仏・独・ハンガリー 1995 エミール・クリストリッツァ
ラストは希望と絶望がごった煮となった音と映像の大洪水!

82.デッドマン アメリカ 1995 ジム・ジャームッシュ
ニール・ヤングの音楽がいい!スピリチュアル!

83.憎しみ フランス 1995 マチュー・カソヴィッツ
お洒落フランス映画好きに見せたい、これがパリの現実。

84.パンと植木鉢 イラン 1996 モフセン・マフマルバフ
イラン映画得意のメタフィクショナルな構成が斬新。

85.スターシップ・トゥルーパーズ アメリカ 1997 ポール・ヴァーフォンヴェン
巨大昆虫襲撃!悪意に満ちた戦争映画。痛快です。

86.修羅の極道 蛇の道 日本 1998 黒沢 清
神経をやすりで削られるような怖さが味わえます。

87.マイ・ネーム・イズ・ジョー イギリス 1998 ケン・ローチ
労働者階級の悲哀を描かせたらローチの右に出る者なし。

88.ハピネス アメリカ 1998 トッド・ソロンズ
タイトルとは裏腹に不幸な人々の物語。人の不幸は楽しい!

89.フルスタリョフ、車を! 仏・露  1998 アレクセイ・ゲルマン
何がなんだかわからないが凄い映画。混沌への招待。

90.ファイト・クラブ アメリカ 1999 デイヴィッド・フィンチャー
反社会的メッセージに満ちた精神的R指定映画。

91.素敵な歌と舟はゆく 仏・スイス・伊 1999 オタール・イオセリアーニ
仲間とお酒と歌があれば、もうなんにもいらない!

92.ユリイカ 日本 2000 青山真治
やたら長い映画だけにラストのカタルシスがたまらない。

93.A2 日本 2001 森 達也
「A」に続くオウム真理教のドキュメンタリー。視点が面白い。

94.マルホラント・ドライブ アメリカ 2001 デヴィッド・リンチ
リンチの映画に特別な意味を求めないこと!ただ感じるのみ。

95.害虫 日本(日活) 2002 塩田明彦
あの瞬間の宮崎あおいを記録しているだけで価値のあるフィルム。

96.ボウリング・フォー・コロンバイン カナダ 2002 マイケル・ムーア
カメラ片手にアポなし突撃取材。最大の武器はユーモア。

97.シティ・オブ・ゴッド ブラジル 2002 フェルナンド・ロドリゲス
バイオレンス映画だが、視点を変えればある少年の青春物語

98.アレックス フランス 2002 ギャスパー・ノエ
イタリアの宝石モニカ・ベルッチのレイプシーンが衝撃的!

99.21グラム アメリカ 2003 アレハンドロ・ゴンザレス・イリャリトゥ
ショーン、ベニチオ、ナオミの演技合戦、パズルのような編集。

100.下妻物語 日本 2004 中島哲也
土屋アンナのヤンキーっぷりに惚れた!正統派青春友情物語。


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  • By harpobucho / Dec 11, 2005 2:32 pm

タビー的

携帯電話を持ってない、いわんやmixiをや、なゲットースタイルの友人が、「銀座でキング・タビー級の絵画展やってるんだよ!」と興奮気味に言うので、高円寺ゲットーでお茶をして十分にリラックスした後、銀座バビロンに向かった。

かっとばされた。確かにそこには、キング・タビー級のブっとび絵画が並んでた。仕掛けているのが資生堂(「資本主義を生きる!」と書く)ってゆーバビロンな企業ってとこも気に入った。ここの文化事業部はバビロン内部からバビロンを利用しつつ、スーダラな革命を我々に仕掛けている、と感じた。無料ってのもいい。

「Passion and Action-生の芸術 アール・ブリュット」展

アール・ブリュット(Art Brut:フランス語で「生の芸術」の意)は正規の美術教育を受けていない人々が、精神的な衝動に従って創作した絵画やオブジェなどの、様々な美的所産物を指す。作品の多くは、精神病患者や幻視者などにより制作されたものだ。

街の電気技師、オズボーン・ラドックが精神的な衝動(ハーブの力も手伝って)に従って創作したダブという手法が、ジャマイカの音楽シーンを一変させただけでなく、結果的に世界中のクラブシーンに革命をもたらした。彼はキングを名乗り、王冠を被りながら、無数の音源を世に送り出した。

ダブこそが音楽におけるアール・ブリュットだ。正規の音楽教育を受けていない者のヒラメキが世界の音楽をキラメかせた。キング・タビーは、リー・ペリーなんかより実は断然、キチガイだと思う。ダブを深く聴けば聴くほどそう思う。あれが街の電気屋が作った音楽だぜ!信じられん。狂ってる。

ジミ・ヘンドリックス、キング・タビー、ラリー・レヴァン、この3人がボクの中での20世紀ポピュラー音楽の最重要人物なんだけど、キング・タビーだけ記録が少なすぎる!ジミヘンの映像はいっぱい残ってるし、最近レア映像入りのDVDが発売されたばっか。ラリーには『マエストロ』とゆー関係者のインタビューばっかの退屈なドキュメンタリー映画がある。なぜ、タビーだけ映像がないのか?ボクは動くタビーを観たことないし、インタビューも読んだことない。英国の国営放送は何をやってたのか?ボブ・マーリーよりもキング・タビーをしっかりおさえとけよ。当時、タビーの重要性を認識できる人間がいなかったのだろうか?

『トラック野郎』シリーズでお馴染みの東映を代表する映画監督に鈴木則文がいる。彼の作品に『徳川セックス禁止令 色情大名』とゆー最高傑作があるのだが、これもキング・タビー級にヤバい。

この作品はアレハンドロ・ホドロフスキーの諸作品と比較されるべきだと個人的に思っているが、ホドロフスキーはハプニング、前衛演劇あがりの生粋のアーチストであるのに比べ、鈴木則文は、プログラムピクチャーの職人監督である。しかし!鈴木の『徳川セックス禁止令 色情大名』の方が『エル・トポ』よりも『ホーリー・マウンテン』よりも『サンタ・サングレ』よりも断然アートしてるんだよお。エロと笑いが画面全体を支配していて、最高に楽しいわけだが、実は政治的にもすごくラジカルなんだ。セックス禁止とゆー荒唐無稽な設定を現代の管理社会に当てはめてみると面白い。公権力の介入が市民生活のレベルまで降りてくるのは危険だ、というメッセージを声高に唱えることなく、最高にバカバカしく描いている。この路線でボクも行きたいなあ。エロ+笑い+反権力。

キング・タビーの音楽の快楽性/政治性ってのにちょっと似ていると思う。


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  • By harpobucho / Dec 01, 2005 2:38 pm

スーダラスタ宣言

スーダラスタ.jpg


スーダラスタは、レゲエをこよなく愛すが、ラスタファリズムを支持しない。ハイレ・セラシエは、とんでもない反動野郎であり、そもそもなんでエチオピアの国王を日本人である我々が崇拝しなければいけないのか。「ああ、諸君、人の人生のなんと短いことか!どうせ生きるなら、王を踏みつけて生きよう。」(シェイクスピア『ヘンリー四世』より)
我々が崇拝するのは、平均(たいらひとし)である。彼こそが我々のジャーである。「だれかを崇拝しすぎると、ほんとうの自由は、得られないんだよ。」(スナフキン『ムーミン谷の仲間たち』より)
でも平均は人間ではない。植木等が演じる表象であり、我々の希望が具象化されたスクリーンの中の光影だ。


スーダラスタは状況主義者である。バビロン=スペクタクル社会(会社)の内部から、スーダラに抵抗する。天性の不真面目さを持って、ゴマをすり、ホラを吹き、ペルークをし、ときには労働を拒否し、遊びながら、新たな状況を構築する。スイスイスーダラスタ、スラスラスイスイスーイと下流社会を成り行きまかせに水平にデリーヴしてみせるが、けっしてそれは受動的態度ではない。あくまで能動的に、だ。映画『ロッカーズ』を見よ、貧乏なくせに余裕感たっぷりの似非ラスタたちが街をギラギラと漂流しているだろう。「オレは歩くカミソリだぜ。近づくと危ないぜ」(ピーター・トッシュ『Stepping Razor』より)
スーダラスタは、街の似非ラスタ=ルードボーイの根拠なき楽勝感を愛する。江原啓之もまだ指摘していないが、平均は、ウェイリング・ウェイラーズ時代のボブ・マーリーにオーラが似ている。


スーダラスタは、ラスタファリズムの転用である。ラスタファリズムはキリスト教の転用である。だからスーダラスタはキリスト教の転用の転用である。グルグルである。またスーダラスタは、仏教の転用である。「分かっちゃいるけど、やめられない」とは浄土真宗の教えである。我々は煩悩具足の凡夫/梵夫(ぼんぶ)なのだ。さらにスーダラスタは、ヒンドゥー教の転用である。「スーダラ」とはサンスクリット語の「シュードラ」、つまりカースト制度の最下層からの革命的転用である。このように既存宗教のおいしいとことだけを剽窃し、自分だけの新しいスーダラ・スピリチュアリズムをつくりだせ。そして誰とも共有せず、自分の心の中でこっそり育てよ。


スーダラスタは、スチャラカンナビストである。「スチャラカ」と「スーダラ」の相性は抜群だ。ラジカル・ガジベリビンバ・システムの宮沢章男によって、この言葉は「スチャダラ」に合成され、3人組のヒップホップクルーによって世に広められた。ラスタがカンナビスを求めるように「スーダラ」は「スチャラカ」を求めるのだ。よって、スーダラスタは、ジャーのガイダンスに従って、ガン・ジャーをスチャラカに肯定し、吸うダラに実践する。ジャー(Jah)の頭文字で繋がるジャパンとジャマイカは、同じ神の草を共有するわけだが、ジャーとはあくまで平均であり、決して皇帝や天皇ではない。


我々のジャー、平均には二人の父がいる。青島幸男と植木徹誠だ。「スーダラ」のコンセプト・メーカー青島幸男の功績は都知事になった瞬間、崩れ落ちたが、植木等の実父、植木徹誠の影響力は、スーダラスタ思想に深く根付いている。若い頃はプロの義太夫語りを目指した蕩児であり、やがて大正デモクラシーの影響でキリスト教の洗礼を受け、社会主義者として労働運動に参加したかと思いきや、一転して僧侶になって部落解放運動に尽力した人物。同様にスーダラスタ思想は、「主義」に縛られない。重要なのは常に現実社会の出来事だからだ。それに対応するためなら、いかなる「主義」をも利用する。原理主義以外なら。スーダラスタ主義というものがあるとすれば、それは原理主義の対極にある。スーダラスタは、潔癖な理論家ではなく、しなやかな実践家である。


スーダラスタの教えで大事なことは、タイミング(JAH GUIDANCE!)にC調(POSITIVE VIBRATION!)に無責任(EVERYTHING’S GONA BE ALRIGHT!)。


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  • By harpobucho / Nov 23, 2005 2:45 pm

スーダラスタ節

スーダラスタ節
(C.J.ハーポ作詞・萩原哲晶作曲)

ちょいと一服のつもりでキメて
いつの間にやらマンチー状態
気がつきゃクラブのソファーでストーン
これじゃ世間にいいわきゃないさ
分かっちゃいるけどやめられない
あソレ
吸い吸いスーダラスタ スラスラ吸い吸い吸い
スーラスーダラスタ スラスラ吸い吸い吸い
吸い吸いスーダラスタ スラスラ吸い吸い吸い
吸い吸いスーダラスタ スーダラスタ吸いー吸いっと

狙った収穫見事に外れ
頭カッときてアムスに直行
気がつきゃ財布はスッカラカンのカーラカラ
梵好きで金持ってる奴ぁないさ
分かっちゃいるけどやめられない
あソレ
吸い吸いスーダラスタ スラスラ吸い吸い吸い
スーラスーダラスタ スラスラ吸い吸い吸い
吸い吸いスーダラスタ スラスラ吸い吸い吸い
吸い吸いスーダラスタ スーダラスタ吸いー吸いっと

一目見た娘にたちまち惚れて
よせばいいのにすぐ刈り取って
捕まえたつもりが逆に捕まった
俺がそんな量持てる訳ぁないさ
分かっちゃいるけどやめられない
あソレ
吸い吸いスーダラスタ スラスラ吸い吸い吸い
スーラスーダラスタ スラスラ吸い吸い吸い
吸い吸いスーダラスタ スラスラ吸い吸い吸い
吸い吸いスーダラスタ スーダラスタ吸いー吸い


  • HarpoBucho
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  • By harpobucho / Nov 23, 2005 2:41 pm

芝浜ロッカーズ

立川志らく落語会、面白かった!「死神」と「芝浜」というキラーチューンにやられた!特に「芝浜」はいいね~。寒い時期の話なんだが、ボクの頭の中ではなぜか暖かいイメージ。登場人物はちょんまげじゃなくて、ドレッドロックスだ。落語ってのは、受け手が妄想で遊ぶ娯楽だ。たとえばこんな感じ。


ンチャ!ンチャ!ンチャ!と裏打ちの出囃子。


キングストンのゲットーに住むドラマーのホースマウス。

腕はいいし人間も悪くないが、ガンジャ狂いで怠け者。

金が入ると片っ端から質入して梵をキメ、仕事もろくにしないから、年中裏店住まいで店賃(たなちん)もずっと滞っているありさま。

今年も師走で、年越しも近いというのに、ホースマウス、相変わらず仕事を十日も休み、ガンジャを吸って食って寝てばかり。

女房の方は今まで我慢に我慢を重ねていたが、さすがにいても立ってもいられなくなり、真夜中に亭主をたたき起こして、このままじゃ年も越せないからスタジオに行ってドラムを叩いてくれとせっつく。

亭主はぶつくさ言って嫌がるが、やり手プロデューサー、ジョー・ギブスに頼み込み、仕事をブッキングするという用意のよさだから文句も言えず、しぶしぶドラムスティックを担ぎ、追い出されるように出かける。

外に出てみると、まだ夜は明けていない。

カカアの奴、時間を間違えて早く起こしゃあがったらしい、ええいめえましいと、ホースマウスはしかたなく、鍵の開いていたスタジオに入り、時間をつぶすことにする。

薄暗いスタジオでぼんやりとガンジャをふかし、便所で糞を垂れる。

手を洗おうと洗面台に手を入れようとした瞬間、白い粉があたり一面に落ちていることに気付く。

上を見上げると、ボロボロのアタッシュケースがあり、指で中をさぐると白い粉の入った袋が何十個も。

コカインだ。これを売り捌けばだいたい四十二両。

さあ、こうなると、太鼓叩きどころではない。

当分は遊んで暮らせると、家にとって返し、あっけにとられる女房の尻をたたいて、極上のガンジャ「Shiva」を買ってこさせ、グレゴリーや、スライや、ロビーや、ダーティー・ハリーや、食いしん坊のジェイコブ・ミラーやら、そこら辺のゴロツキをたくさん集めて、特大サウンドシステムでダンス・パーティ。そのまま酔いつぶれて寝てしまう。

不意に女房が起こすので目を覚ますと、年を越せないからスタジオに行ってくれと言う。

金の卵、コカインあるじゃねえかとしかると、どこにコカインなんかある、おまえさん夢でも見てたんだよ、と、思いがけない言葉。

聞いてみるとずっと寝ていて、昼ごろ突然起きだし、友達を呼んでドンチャン騒ぎをした挙げ句、また酔いつぶれて寝てしまったという。

コカインを拾ったのは夢、大騒ぎは現実というから念がいっている。

今度はさすがにホースマウスも自分が情けなくなり、今日からガンジャはきっぱりやめて仕事に精を出すと、女房に誓う。

それから3年。

すっかり改心して商売に励んだホースマウス。ドラマーの仕事だけじゃ食っていけないと安いバイク一台で始めたレコードの流通業が大当たり。

得意先もつき、金もたまって、今は小さいながらスタジオも構えている。

大晦日、片付けも全部済まして夫婦水入らずという時、女房が見てもらいたいものがあると出したのは紛れもない、あの時のコカイン。

実は亭主が寝た後、思い余って丘の上に住むラスタの賢者、アシュレー・ハイヤー・ハリスに相談に行くと、スタジオから盗んだコカインなど売り捌けば、すぐ足がつき、ジョーが雇っているマフィアに命を狙われる。あと3年もすればダンスホールという新しいジャンルの音楽が流行るので、そのときにコカインは、もっと高い値で捌ける。それまで、どこかに隠しておけ。そして亭主には、とりあえず夢だったの一点張りにしておけという忠告。さすが預言者だ。

おまえさんが好きなガンジャもやめて懸命に働くのを見るにつけ、辛くて申し訳なくて、陰で手を合わせていたと泣く女房。

ついでにおまえさんがバリバリ働けたのは、わたしが塩と間違えて、隠したつもりのコカインを毎日、料理の中に混入させていたためと告白。とんだ粗忽者だ。

「とんでもねえ。おめえが夢にしてくれなかったら、今ごろ、おれの命はなかったかもしれねえし、塩とコカインを間違えてくれなければ、こんなに働き者になれなかった。手を合わせるのはこっちの方だ」

もうおまえさんも大丈夫だからコカインを売り捌いておくれ、そして大好きなガンジャを毎日吸っておくれ、と女房。

ホースマウスは、突然コカインの袋を破き、窓から空高く、投げ捨てた。コカインは雪のように空を舞う。

「日本の大晦日の風景みたいだな。雪見ガンジャとシャレこもうか」

おまえさん、コカインで大儲けするんじゃなかったのかい?

「よそう。……夢心地から醒めるといけねえ」

バビロンビジネスとはおさらばだ。毎日、気持ちよくジャーのガイダンスに従って、自由に楽しく生きていくラスタ。

ガンジャの煙を勢いよく吸い込み、一言。

「やっぱShiva、ウマー!」

※Shiva
●インドア専用
●インディカ
●多いクリスタル
●大きいバッズ
●低い躯体
●アフガンと似た香り
●開花まで8週間
●メローなハイ
●インドア
●小さな温室にお勧め



DJ寄席評

マルボロ内親王が「平岡正明のDJ寄席」の感想を日記で書いてくれました。ありがとう!


平岡さんの話はパッケージされていない、というかされえない。これは本質の問題です。企画者ハーポ部長は、「寄席」の公式の責任者でもありまたパブリシティー上の都合もあるからトピックやタイムテーブルを設定し、それなりの方向付けを試みていたみたいですが(「猛獣使い」と自称していました)、そういったパッケージ的な期待という点では、ほぼ裏切られていたんじゃないんでしょうか、「DJ寄席」?いや、それでいいんです。

平岡さんの語りを形容する言葉なりイメージなりを自分なりに探しましたが、とりあえずいま思いつくのはひとつ、安直だけれど、星座。「宝石箱を撒き散らしたような夜空」なんて表現がありますが、これは同時に平岡さんを形容する表現でもある。まき散らされた星々は、それ自体はもちろん星座ではありません。星座なんてのはその時々の感傷が空に投影されたものであり他にどのようなものでもありえますし同じ星の組み合わせでも名前はどうにでもつけられる。つまりそういうことなんです。

平岡さんの二つの源泉、記憶力と妄想力。それらはもちろん絡み合ってはいますが、さしあたり記憶力が宝石をまき散らし、妄想力がその時々の感興に乗って星座を描き出す、と言ってみます。そしてそれらはシャワーです。星空は、理科の資料集みたいに星座の輪郭だけで構成されているのではなく、まずはシャワーとして、撒き散らされた宝石の錯乱として全身に降り掛かって五感を震撼させ、その震撼からおずおずと星座が浮かび上がってくる。とはいえ平岡正明の星座はおずおずなんてしていないけど。

原初には火だか水だかわからないがとにかく混沌があり、そこから光と闇が分かれ大地と空が分かれ昼と夜が分かれつまり星空の領分が生まれます。とすると平岡正明は、さしずめ毎回混沌から始める、毎度生まれ直す宇宙と言ったところか。その度にぼくらは宇宙の生誕を目撃しまた散らばった宝石の錯乱からそのつどの星座の浮かび上がるのをみる。イメージばかりで書いていますが、しかし平岡正明の照準先を考えるならば、これらのイメージは幾らか正当なのだ。というのも平岡さんは、まぎれもなく原初に宇宙を産出したであろうあの混沌からエネルギーを得、そしてまた星座を通してまさにその地点をこそ名指そうとしているからです。

さしあたりは大地だ。それが平岡さんを黒人的なものへと結びつけます。とりわけジャズ。ジャズにうとい僕は平岡さんがジャズの名において浮かび上がらせる一くさりの星座をちゃんと把握できはしませんが、しかしその星座がなにを希求しているのかはわかる。つまり原初の混沌。それは過去へと回帰してきえてなくなることを願っているのではけっしてありません。つまりジャズの名のもとに浮かび上がるひとつの星座の配置が、そのままあの混沌を直接に指し示す形象となっている。いやはや、それはあまりに直接なので、その配置そのものを混沌と呼んでしまうそんな粗忽者がいたっておかしくはないのだ。

しかもひとつの星座はけっしてまとまりをもった完成体ではありません。平岡正明の星座はクラインのつぼのように、その線をなぞっているうちにいつの間にやら別の星座の中に入り込んでいる。たとえば下町は深川遊郭の世界。「DJ寄席」第一回のオープニングはジャズ揺籃の地ニューオリオンズに襲来したハリケーンカトリーナをめぐるブルースから、海抜0メートルという位相空間を通って直接深川へと僕らを導いていったのでした。ここにはすでに二つにして同時に一つである奇妙な星座が浮かび上がっているのですが、驚くべきことにこのアマルガム的星座は単にジャズにおいて見られた星座よりも、その輪郭をもってさらにいっそう紛れもなくあの混沌を直接に指し示している。いったいどんな魔法が?

もちろんこれは始まりにすぎなかった。たとえばそれら水辺は、ビリー・ホリデイの”I cover the water front”から横浜のウォータフロントへもつながり、その先には山口百恵の菩薩姿が屹立する。そのわきでは座興のように水戸街道甲州街道中山道東海道といった主要街道に遊郭を構えさせる徳川幕府の狡智なんかがほの見えたり黄河と揚子江の中間に居を構える水滸伝梁山泊の姿がほの見える。それらいっそう錯雑とした星座は、相も変わらず驚くことによりいっそうと混沌の輪郭をぴったりと配置している。こりゃ狂っている。

絶えずより錯雑と増殖しつづけその度にぴったりとあの混沌を名指してしまう奇妙な星座群。こんなものはどう考えても手のひらに乗っかるものではなく、せいぜいシャワーとして享楽するしかない。平岡正明の言葉は絶対的マルチメディアなのだ。たしかに踊ってみせてもくれる。歌ってみせてもくれる。口でラッパだって吹いてくれる。しかしそういうマルチメディアじゃないのだ。平岡正明のマルチメディアはあの星座群でありまたその狂気である。その前では視覚も聴覚も消え失せて、つまり星座の蠢きのみ。それが人間の不可触な根源にとどくから、その残響がぼくらの実際の五感を震撼させる。

そんな平岡さんとハーポ部長の組み合わせというのがやはり面白い。ハーポ部長は文字通りのマルチメディア人間。実際のコンテンツならず「感覚比率」をもジョッキーしてさらには混ぜ合わせて、アドホックなマルチメディアを作っていくコンセプトメーカーです。今回の企画ではそういった点で、二種類のマルチメディアの不可能な出会いとしてロマンティックに語ったりもできるかも。ハーポ部長はハーポ部長で、自身のマルチメディア実践に沿った形での「寄席」というものを明らかに構想していて、たぶん音楽流しながら映像流しながらそこに触発されていわば撒き散らされる宝石群を軽やかにジョッキーしちゃいたい、みたいな野望があったんじゃないでしょうか。最後の部分は分からないが、その前の部分までは間違いないと思う。しかしマルチメディアはもろもろのモノメディアをジョッキーするのであって、平岡正明はもとから異様なマルチメディアであった。そして結論から言ってしまうと、やっぱり平岡正明のマルチメディアがハーポ部長のマルチメディアを飲み込んでしまったっていう感はありますね、正直。しょうがないよ、あの宇宙にはどでかい金玉がついてるんだから。

だらだらと書いちゃうんなあ。きりつけないと。

平岡正明には宿命がある、と僕は決めつける。パッケージにならない平岡さんは痕跡を残さない。いやもちろんそれぞれの星座誕生の立会人であるぼくらのもとには残る。しかしやはりそれでも残らない。だってよ、平岡さんの語りの中ではあの奇妙な星座はその配置そのままで混沌を指し示しちゃうんだもの。そして平岡さんは毎度新たに原初の混沌から開始する。ということはつまり、宝石箱を撒き散らしたあと、平岡正明は丁寧にその混沌をもって帰るのだ。だから毎度あらたに、南京玉すだれを広げてみせる香具師のように、狂った星座群をもって混沌を描き出すことができる。そして束の間魅了されたぼくらは、混沌をもはや指し示さない星座の輪郭だけを胸に残される。高速の巻き戻しを見ているかのように、宝石たちは宝石箱のもとへと帰っていき、そして平岡正明はニヤニヤと帰路へつく。

だから平岡正明には宿命があるのだ。つまりそこには思想的嫡子が生まれえない。あれら宝石どもの狂乱はサーカスの喧噪であり、誰のものにもならない。そしてそのこと自体が平岡正明という資格を形作る。サーカスには嫡子はいない。せいぜいその喧噪をくすねる私生児があるばかりだ。そう、だから僕はいまこうやって平岡正明について勝手なことを書いているというわけなんです。つまり平岡さんの星座群からなにがしかを盗んで、こっそり自分なりの星座を形作る。それは僕の中に生まれたある小さな存在の出生証書となる。そいつは平岡正明の私生児なのだ。ついにはあの騒がしい宝石箱から宝石が飛び出し束の間の星座を描き出すことがなくなってそれ自体がひとつの墓標と化してしまうとき、そこで残りうるのはぼくらがそれぞれくすねて作り上げたちっぽけな私生児的星座群だけなのだから、こうやって必死に自分のどこかに跡を残そうとしているのです。そうしてそれら残された平岡宇宙の跡形のない星座群が、まったく似ても似つかぬ別物であるのに、平岡さんの星座群が原初の混沌をそのままに指し示していたように、ぼくらの知らぬところでぼくらの星座群が、平岡正明という存在を直接に指し示す狂った星座を形作るかもしれないと夢想することくらいは許されてもいいんじゃないでしょうか?


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  • By harpobucho / Nov 06, 2005 3:03 pm

黒人になる方法ってのは?

平岡正明曰く、ラリってホモることだそうだ。チェット・ベイカーのようにね。白人が黒人に対抗するのは、こんぐらいドロップアウトしないといけない。

今後、下流社会に生きるボクらは黒人化していくべきだが、黒人への道を遠い。いとうせいこうは、クリエイティヴィティ・ナウで風営法に触れ、「逮捕されることを悪いことだと考えるな」と主張し、「ニガーになる」ことを提案していたが、ムードマンからデトロイト・テクノの黒人アーチストは結構、逮捕され、刑務所でケツを掘られてる、という話を聞いて、「それはいやだ」と黒人化を断念した。

日本人のボクらが黒人化するにはどーしたらいいか?白人ビートニクたちがラリってホモって、ホワイト・ニグロになったように、イエロー・ニグロになるためにボクらも無茶をしなきゃいけないのか?今回の「平岡正明のDJ寄席」を聴いていて、平岡正明の中にイエロー・ニグロになるヒントが隠されてると直感した。

「オレはマッチョじゃなくて、キンタマ主義なの!」

平岡さんは言う。「ジャズってのはキンタマのでかそうな音楽だろう」。平岡さんが何回もうれしそうに口にした「キンタマ主義」がどのようなイズムなのか、正確に理解はできないが、まあ、黒人の話と関係ないはずがない。平岡さんが黒人の話をするときは、だいたい黒人の股間のモッコリ話がついてくる。

今回のDJ寄席で平岡さんは見事にこちらの期待を裏切った。もちろん、いい意味で。

ボクが用意した映像、サン・ラ→グランド・マスター・フラッシュ→ミスター・ベガス(ジャマイカン・ゲットーのダンス)という、黒人の強烈な部分(神秘アフリカ主義、宇宙志向、ヒップ感、エロさ、カーニバル感)を受けながらも、平岡さんが展開したのは、黒人の「やさしさ」の部分。つまり、愛だ。この側面が普段、見落としがちだ。ボクは黒人にいつも過激なものを求めてしまう。それが映像のセレクトにも繋がっているわけだけど、平岡さんには、ボクがまったく知らない黒人の側面が見えている。

むむ、黒人道は奥が深いぞ。
黒人化への手段として、ジャズをちょっと真剣に聴きたくなった。


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  • By harpobucho / Oct 30, 2005 3:05 pm

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