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ゴシックハートとメンタルヘルス ~今、生きづらさの様式美を巡って~

90年代にはさまざまなサブカルチャーが生まれ、そして消えていった。中でも出版業界においてバブルのように一時期売れまくっていたのが、「危ない1号」「BURST」「GON」「BUBUKA」「別冊宝島」(クイックジャパン)といった雑誌で、そこでは、狂気、精神病、自傷、自殺、ドラッグ、死体、盗撮、アイコラ、異常な性的嗜好性(ロリコン、SM、情死)、フリークス、援助交際、極悪犯罪、極左、極右、爆弾、ヤクザ、そしてアジア各国のこういった混沌とした情報の記事といった、反社会的嗜好性を強調した退廃的文化が何度も特集された。こういった雑誌は主に「鬼畜系」と呼ばれ、新宿にあるロフトプラスワンも、こういったサブカルチャーの流れにおいて非常に大きな役割を果たしていた。

 このような雑誌のライターには、「完全自殺マニュアル」、「完全人格改造マニュアル」を書いた鶴見済、「あぶない薬」、「危ない28号」を書いたり、編集していた青山正明。最近、「自殺されちゃった僕」を書いた吉永嘉明。「ガロ」からその活動をはじめた社会学者、上野俊哉。「ニューエイジトラベラー」を書いた清野栄一、自殺した漫画家のねこぢるがいた。彼らはそのライターとしての活動や、遊び仲間として一定のリンクを保ったひとつの「ある一定のバックグラウンドと、考え」を共通とする集団だった。

 重要なのは彼らが主張していた、ある一種のイデオロギーのようなものだと思う。つまり、宮台真司が援助交際少女をして「終わらない日常」を「まったり生きる」といい、鶴見済が「マニュアル化された薬と人格改造という手段、そしてサイケデリックトランスという超越的な音楽の作り出す、変性意識状態によって、閉塞的な社会をそこそこ楽しく生きる」という「世紀末の処方箋」を提出し、それらが希望をもって受け入れられ、インターネットの登場とともにバブルのように膨れ上がった瞬間が、90年代サブカルチャーの全盛期だった。

 しかし、それも長くは続かなかった。宮台真司が「新現実」の2号において、「高度資本主義的な現実の流動性を軽やかに生きていくはずだった援助交際少女」は、メンヘル少女となり、リストカット、オーバードーズ、自殺未遂を繰り返していると書き、彼女たちの存在を持ち上げた過去を自己批判した。一方、抗精神薬やドラッグ、トランスミュージック、さまざまな人格改造によって自己を変革し、そこそこ気楽に生きていけるはずだった鶴見済の読者や、彼自身でさえ、いまだ精神的健康を取り戻しているとは思えない。薬によって楽にいきるはずの彼らが薬物療法の負の悪循環にはまり込み、さらにその量と種類を増やし、副作用に苦しんでいる。

 結局のところ援助交際ギャルも、イケてるお薬、音楽にノリノリなツルミストも、最初から「生きづらさ」によって主体性を規定されたメンヘラーであり、それがあたかもメンヘラーであること、つまり、薬やセックスという現実逃避の手段を堂々と肯定する、宮台や鶴見の「一見、フーコーやルーマンで味付けされた、高度な社会学的言説」に寄りかかることで、壊れた自分を社会的にアイデンティファイしていく、という作業に夢を見出していたのだけれど、そんな付け刃はあっという間に剥がれ落ちてしまった。最初からメンヘラーだった者が、変な親父と行きずり的にセックスしまくろうが、薬と音楽で意識を飛ばそうが、よけいぶっ壊れるだけに決まっている。そんな、よく考えれば誰にでもわかるような結末にいたっただけじゃないだろうか?(多分、ここで問題にするべきなのはなぜ、そんな幼稚な言説にみんなハマり、薬だ、トランスだ、援助だ、と、集団的躁状態になっていたか、だ。鶴見の本はトータルで250万部も売れ、宮台の本も10数万部は売れているハズ。そして今となっては、そんなものがあったことさえ忘れられている)

 最近、鶴見済の仲間だった吉永嘉明が出版した「自殺されちゃった僕」には、鬼畜系のブームの中でドラッグとレイブにのめりこみ、自分を見失っていく彼とその仲間や、自殺した妻、ねこぢるの厭世感が満ち溢れている。そしてそれらが一巡した現実においては、ひきこもり、ニート、フリーターといった問題が、終わらない不況、長引く戦争によって深刻化し、さらにゴスロリ殺人事件、練炭自殺事件といったメンヘラーの関わる事件が社会問題化している。このいや増す時代閉塞の現状とサブカルチャー、メンタルヘルス、ゴスという3つの流れの関係性において、「まったり」だとか、「ドラッグ」や「「トランス」、「援助交際」という、もはやまったく効き目がないことが証明された「世紀末の処方箋」をごみ箱に叩き込み、現実を直視しなければならない。
 
 メンタルヘルスとゴスの関係性とは何か?ゴスロリ殺人事件に代表されるまでもなく、リストカッターや自殺志願者に、ゴスロリもしくはゴスに対する嗜好性の強い女の子が非常に多いという事実。雨宮処凛のようにヘビーメタル、ヴィジュアル系のおっかけから、右翼パンクバンドへ。もしくは鶴見済、清野栄一、上野俊哉、ねこぢるのように、左翼的なパンクスからサイケデリックトランス(メタルとの類似性がよく強調される。構造的な様式美とその「泣き」を追及するテクノミュージック)へと移行し、細分化した90年代の感性の変化。こういった動きは何だったのか?このような諸所のサブカルチャーの横断的な流れと、高原氏が言う「ゴシックハート」と「メンタルヘルス」について話し合う。もはや00年代においては「メンタルヘルス」と「ゴス」こそがサブカルチャーにおいて重要なキーワードであることは否めないのだから。





 ゴシックハートとメンタルヘルス
~今、生きづらさの様式美を巡って~

 3月6日(日) 午後7時会場、7時半開始 
場所 早稲田大学文学部正門、斜め前、居酒屋「あかね」
地図と電話番号等は下記のコミュを参考にしてください。
http://mixi.jp/view_community.pl?id=60859

 明日は今日よりも幸せであるとか、人間精神は改良できるとか、人は平等であるか、努力すれば必ず報われるといった言葉を信じられなくなったとき、すなわち近代的民主的価値観が力を失ったとき、ゴシックはその力を発揮する。たとえば貧富の差が拡大し、富む奴は富に富み続け、貧しい者はそこから抜け出す術がない、不合理不条理な制度がまったく改まらない、社会的階級がはっきりし、立場のよい者がすき放題に弱者を苛み、やられる奴はやられっぱなし、しかもそれを変更する手段がない。そのための憎悪と軽蔑が剥き出しになり、よりひどい偏見が拡大し、排他的な民族主義や帝国主義が自らを正義と主張し続け、そこから発する暴力を多数が指示している。2004年現在だ。

 こういう場で単純に明るい未来と人類の善性を信じられる人がどれくらいいるのだろう。現実の制度の多くが優位者のためのものであることは既に見透かされている。

 そして実のところ、現実社会という「誰かのための制度」を憎み、飽くまでも孤立したまま偏奇な個であろうとするゴシックは、そういうクズな世界での抵抗のひとつなのである。

                      高原英理 「ゴシックハート」より

  
 時代閉塞の感覚、つまり、この世界を生きづらいと感じることと、ゴシックハートは、決して無関係ではない。そして「健康的な精神」をこの世界で保っていくことができなくなった人々、それを自らの、いや、自分たちの呼び名として名乗った人々、「メンヘラー」「自傷らー」もまた、この感覚とは無関係にはいられない。「ゴシックハート」と「メンタルヘルス」を繋いでいるのは、この世界を生きることの生きづらさ、「世界の不毛性」ではないだろうか?

 この対談では「ゴシックハート」の執筆者であり、澁澤龍彦氏、中井英夫氏の流れを直接受け継いだ高原英理氏と、「BURST」誌上でデビューし、「リストカットシンドローム1、2」を記した、ロブ@大月氏を招いてゴシックハートとメンタルヘルスについて語り合う。そしてこの二つについて語り合うことは、この世界の不毛さをどう生きていくのか?という問いに答えようとすることでもある。高原氏の深く、聡明な知識と知性、それと、数千人のリストカッターや自殺志願者に会い、長年にわたって取材し続けてきたロブ氏の経験から、果たしてどんな光が見えてくるのだろうか?  



「RL」ブランド企画書

  • Intellipunk
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  • By intellipunk / Feb 13, 2005 2:46 am

一秒の世界

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4478870993/249-0353648-1603537


 1秒で人口が2.4人増え、1秒で720トンの二酸化炭素が排出され、1秒で710トンの酸素が減少し、1秒で6000平方メートルの森林が失われる。1秒間に人は93ml×50000000000人の空気を呼吸し、世界に420万tの雨が降る・・・・


 岡崎京子が「リバーズエッジ」で繰り返していた言葉・・・それは楠本マキと同じようにゴダールに影響された彼女らしい、言葉と映像との絡まりあいの中で生かされたいくつものワード。輝いたり、響いたり、そっと触れたり、時に僕らの中の、外の、荒れた都市のような記憶の荒野を走り抜け、ふくらみ、しぼみ、明滅していくような・・・そんな連鎖反応をパっと引き起こしてくれた言葉に・・・・・・




    僕らの短い永遠



             ・・・という言葉が、あった。



 僕たちは想像し続けることができるだろうか?今も降りつづける雨を。黒く塗れ、侵食されていく朽ちたコンクリートを。一万杯の飲まれ行く紅茶。無数の食べ物。吸い込まれ、吐き出される50億の生暖かい空気。その一つ一つの匂い。生まれつづける子らの声。どこかで、誰かがあげる嬌声。性の喜びの声。また、その悲しみの涙・・・・・
 


 目を閉じて、思う、世界は、ココにない。



     暗転(フェードアウト)

 
 一秒で起きている事。この世界のすべての、一秒の動き、関係性、総体の相対性。ミクロな、マクロな・・・・あらゆるモノの絡まりあい。僕らは「それ」らから切り取られ、忘れ去られ、置いてきぼりをくらい続ける。いつも、常に、遅れ、ただ圧倒される。重要なのは世界がとてつもなく巨大で茫漠としているのではなくて、僕ら人類という生物の知覚系統が進化において必要として揃えた器官のスペックが世界に対して矮小であるというだけの事実にすぎない。もちろん、知覚系統は生物によって複雑化しながらも徹底的に必要最低限に簡略化されているのだけれど。

 意識が所与として、まとまった、統覚としての諸所の感覚イメージや内的対話言語として、ちっぽけな丸い骨とその内部の肉の神経線維の複雑な空隙(ニューロン)の間の電気信号と科学物質の明滅から立ち上がるとき、それは与えられた感覚から情報へと生成する瞬間であり、生成された意識自身は、意識を生成しているシステムの無意識的な、もしくは下意識的な構造そのものを意識することはできないだろう。

 意識を生成するシステムとは、情報を、世界というシステムと、システムの関係性の総体の記号的な置き換えの伝達を行うことによってそれを生成するが、その役割のほとんどが情報の削減であり、複雑性の除去にある。僕たちが生き、思考し、僕たち自身を再生産しつづけなければいけないことに、この社会と世界に依存しなければいけない以上、僕たちは・・・・いや、生産された意識だけの・・・膨大な必要のない情報を削り取った残りかすとしての意識としてしか、存在できない僕ら・・・・は、・・・・物自体から疎外されることが「僕ら」の存在理由なのではなく、存在を生産するシステムの構造性によって規定された不可欠な要因であることを認識する。

 1秒の、たった1秒の・・・僕らの短い永遠。



 1秒の世界すべてを知覚すること、認識することの、絶対的な不可能性とその神秘。僕たちの愛すべき僕たちの矮小性と、世界の尊大性。



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