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サウンドデモ。この、快楽のプロパガンダとプロパガンダの快楽について。

長文を読むのが面倒な人は予告編PV↓だけ見てね。

2006/9/16 家賃をタダにしろ!中野→高円寺一揆!予告編1

2006/9/16 家賃をタダにしろ!中野→高円寺一揆!予告編2

06年9月16日家賃廃止要求デモのよびかけ #1

9月16日家賃廃止要求デモのよびかけ #2

 今週土曜のサウンドデモの準備のためにいろいろ動き回ってる。僕はいつもDJや観客、サウンドカーやサウンドシステムの準備に携わってきたのだけれど、今回のは関係省庁とのネゴシエーター担当。んでもって、いきなり愚痴から始まるんだけど、警察も区役所もこんなに見え透いた大嘘!!ばかりついてデモの邪魔をするとは思ってもみなかった。あたかも法的に正しいかのような大嘘ばかり大ナタで振るってきて、その法的根拠を問いただすと大抵は無かったり、慣習だったり、警察や役所の都合が悪いからという、とても正統な理由にならない理由でどんどんこちらのやりたいことを規制してくる。このやり取りに何時間もかかる。向うはこれが仕事でお金が出ているからいいのだが、こっちは仕事の合間に来ているボランティアだからなあ。カフカの小説を地で行く官僚組織の厭らしさってやつ?

 やれやれ。

 酷かったのは中野区の区役所でいきなり「公園は集会用につかえません」とありえないことを言われ、ちょっとごねたら「ちょっと調べてきます」と、なり、帰ってくると「どうやら使用可能なようです」、と・・・(おいおい、最初の一言は大嘘かよ!!だいたい公園や広場がデモや集会に使えないなんて欧米人が聞いたら驚くぞ!!)

 警察ではいきなり「車の上に乗ったら逮捕するからな!!」と言われ、「じゃあ、アキバのデモでDJが注意も逮捕もされずに車の上に乗って交替できたのはなぜですか?」と、聞くと「そんなのはアキバの管轄だからわれわれは知らない。とにかく、車の上に乗ったら逮捕する」の、一点張り。おいおい、こんな恣意的な基準で逮捕するかしないかを決めてていいのか?いつから権力の法治じゃなくて放置国家になったんだ?おまけに最悪なのは前回のミーティングではまったく触れなかった祭(デモのコースを山車が通る)があるから、デモのコースを半分以下にしてくれと言われた時。そんなことできるわけないだろ!!それだったら中野区内でデモが終わっちまうじゃないか!!主催は高円寺ニート組合なのに!!


 ま、始終こんな感じでとりあえず妨害と邪魔ばかり。そこでしつこく食い下がって弁護士だとか、法的根拠だとか、前例だとかを持ち出すと彼らは苦い顔をしてすごすごとこっちの要求を受け入れる。ま、その繰り返し。それにしても面倒というか、役所や警察がデモをどう考えていて、どうやって準備、申請段階で対処(規制)してくるのかよくわかって面白かった。この他にも酒を売るな、ちゃんと隊列を組め、サウンドカーの前には出るな、お前たちのデモはとてもじゃないがデモじゃない。もっとマジメにデモをやれ!!と、くる。過去のデモを考えればなんで警察にデモをマジメにやれと説教されないといけないのか、わからないでもないのだが、法的根拠もないのにこれらのほとんどにこれを破ったら「デモは出発させない」だとか「すぐに逮捕する」だとか脅迫をどんどん並べてくるので、もう、うんざり。こんな些細なことで逮捕するのは無理(もしくは酷く強引な別件逮捕にしかならない。もちろん起訴は無理。)だし、いったいなんの権限で規制してくるのかわからない。とりあえず「安全でスムーズな交通とデモの行進のため」と言ってはいるが、警察の言うデモとおりのデモなら、まるで自衛隊か北朝鮮の閲兵式のような風景になっちまう。

 はっきり言いたいがデモは高速道路を進む車でもないし、ベルトコンベアーを流れる商品でもないし、歩く歩道の上の歩行者でもない。まして行軍してるわけでもないし、交通整理に協力するのが目的なわけがない!!なんで警察のためにお行儀良くしないといけないんだ?バカか?むしろ交通状況を妨害し、路上を開放し、その機能性を変更することにデモそのもののアイデンティティがあるんじゃないか。もちろん、彼らののたまう、いわゆるスムーズな、それこそサービスであり、商品流通システムのような「速さ」「滑らかさ」「心地よさ」が「売り」の、人間運搬システムである交通事情を確保することこそが、「最大多数の幸福のため」っていういつものお題目なんだろう。ナチスだって同じことを言ってたな。だけど、通常は誰も気にしない路上を快楽の生産システムにし、複雑なコミュニケーションのノイズの渦を生み出していくサウンドデモだって「最大多数の幸福」に貢献していないと、誰がいえるのか?


 確かカスタネダのドン・ファンシリーズだったと思うが、ヤキ・インディオのドン・ファンが弟子であるカスタネダにこう言うシーンがあったと思う。それは道に関してで、カスタネダはある目的地に行くために道を歩いているのだが、ドン・ファンはカスタネダに「お前は道の上にはいない」と言うのだ。カスタネダはその意味がわからない。道を通って目的地に向かっているのだから道の上にいないわけがない。怪訝に思いつつも彼は道を歩きつづける。目的地に着いたときドン・ファンはカスタネダに道のことを聞く。道について考えていたカスタネダは、途中、その道に何があったのかほとんど覚えてはいない。


「だからお前は道を知らないし、無視している。道はお前にとって存在しないに等しい。道について考えることと道について知ることと、その道を行くことはみんな違う。お前はいつも独り言ばかり言って言葉の壁と世界に閉じこもっている。お前の世界は意味と目的だけで構成されたわずかな点でしかない。そこには道は無いし、その存在を知らないなら、お前はそこに存在しない。道が存在しないんじゃない。お前が道に対して存在しないんだよ。」


 道に対して存在しないこと。まるで何も見ないかのように、気がつかないかのように、どうでもいいものをどうでもよく放置して過ぎ去っていくことが最上の経済法則や商品の流通システム。ノイズがそこに入ることは許されない。これは商品だけではなく、人間の交通意識にも当てはめられた至上の原理で、コレを公共性と勘違いしてるヤツが多すぎる。公共性はいつから効率性になった?効率性がいったいいつから幸福になったのだろう?マックのセットが3分で出てくるという程度の幸福の破壊のために、僕らは逮捕されるのか?なぜ路上で「存在」してはいけないのか?それがルール?公共性ってやつなのか?


 OK. くだらないヤツらの幸福、存在しないことに依拠した矮小な幸福ってヤツをぶち壊してやろう。存在することが罪になるならば、逮捕上等!! なぜなら、逮捕されれば僕らははより「存在」することになるのだから。ストリートからメディアへ、メディアからストリートへ、僕たちははみ出し、増殖する。増殖は路上に存在しないことを必死で守らせ、路上で存在することを許さないルールに対して抵抗するだろう。

 

 だから僕らはデモにおいて以下の行動の権利を主張する。だってこれこそがデモなんだもん。



 路上で酔っ払う。まっすぐに歩かない。座り込む。寝込む。たたずむ。立ち止まる。爆音を出す。踊る。はしゃぐ。号泣する。車線を守らない。はみだす。爆笑する。談笑する。キスする。セックスする。ストリップする。生活する。炬燵を出して鍋会をやる。etc・・・・・



 え、こんな見苦しいし、めちゃくちゃな交通妨害は止めろって?さっさと逮捕しろってか?お前、バカか?これが快楽のプロパガンダであり、プロパガンダの快楽なんだよ!!見ているやつに苦痛や違和感、不快感を与えるか、快楽を与えるか?それを決めるのはデモを見てるヤツ、テメーだろ。デモが深い不快感やヤベー快楽を生み出すんじゃない。それを見たり参加してるテメーのアイデンティティやライフスタイル、聞いてる音楽や学歴、履歴、サブカルチャーやメインカルチャーにおけるキャリアと蓄積、経済的な立場がソレを無意識に決めてるんだよ。デモ見てその程度の快楽や不快感を引き出せない程度ならその程度の人間ってことかい?いやあ、ま、デモのやり方ももちろんあるんだけどね。とりあえず吐き気がするくらい嫌われるようなリアルシットな本物だったら反感くらうのも当然だろ?ってことでめちゃくちゃイリーガルが最高!?逮捕上等!!ネットでくだらねー感想書いてシコって満足?路上に出てくる勇気もないのか?ナードなクズだな。一生植物人間みたく回線に繋がってろよ。ブログや掲示板だけがお前の存在の全てじゃないだろ?わかってるならこっち来て踊って騒いでかき混ぜてやれよ、お前のくだらないリアルってやつを、さ。一緒に楽しもーぜ!!んじゃ、16日に!!



家賃をタダにしろ!中野→高円寺一揆
9月16日(土)

出発地は囲町公園(サンプラの裏手で、中野区役所の真向かい)
http://map.yahoo.co.jp/pl?lat=35%2F42%2F15.573&lon=139%2F39%2F58.392&layer=1&ac=13114&mode=map&size=s&pointer=on&sc=2

15時集合→16時出発!

出演者
radiomaroon(http://radiomaroo.exblog.jp/)
deepthroatX(http://sound.jp/deepthroat-x/)
YOSSY(cosmo)(http://studiodom.web.fc2.com/cosmo.html)
and 某HCバンドら出演予定!!!!!!
集合から出発までもかなり盛り上げるぞ!!!!!



サウンドデモ。この、快楽のプロパガンダとプロパガンダの快楽について。

長文を読むのが面倒な人は予告編PV↓だけ見てね。


2006/9/16 家賃をタダにしろ!中野→高円寺一揆!予告編1
http://www.youtube.com/watch?v=rQUmxHbIO5Y
2006/9/16 家賃をタダにしろ!中野→高円寺一揆!予告編2
http://www.youtube.com/watch?v=zzKWwWOL3ns
06年9月16日家賃廃止要求デモのよびかけ #1
http://www.youtube.com/watch?v=e3D7aheYQ9Q&mode=related&search=
9月16日家賃廃止要求デモのよびかけ #2
http://www.youtube.com/watch?v=urpMkqrzvFk


 今週土曜のサウンドデモの準備のためにいろいろ動き回ってる。僕はいつもDJや観客、サウンドカーやサウンドシステムの準備に携わってきたのだけれど、今回のは関係省庁とのネゴシエーター担当。んでもって、いきなり愚痴から始まるんだけど、警察も区役所もこんなに見え透いた大嘘!!ばかりついてデモの邪魔をするとは思ってもみなかった。あたかも法的に正しいかのような大嘘ばかり大ナタで振るってきて、その法的根拠を問いただすと大抵は無かったり、慣習だったり、警察や役所の都合が悪いからという、とても正統な理由にならない理由でどんどんこちらのやりたいことを規制してくる。このやり取りに何時間もかかる。向うはこれが仕事でお金が出ているからいいのだが、こっちは仕事の合間に来ているボランティアだからなあ。カフカの小説を地で行く官僚組織の厭らしさってやつ?

 やれやれ。

 酷かったのは中野区の区役所でいきなり「公園は集会用につかえません」とありえないことを言われ、ちょっとごねたら「ちょっと調べてきます」と、なり、帰ってくると「どうやら使用可能なようです」、と・・・(おいおい、最初の一言は大嘘かよ!!だいたい公園や広場がデモや集会に使えないなんて欧米人が聞いたら驚くぞ!!)

 警察ではいきなり「車の上に乗ったら逮捕するからな!!」と言われ、「じゃあ、アキバのデモでDJが注意も逮捕もされずに車の上に乗って交替できたのはなぜですか?」と、聞くと「そんなのはアキバの管轄だからわれわれは知らない。とにかく、車の上に乗ったら逮捕する」の、一点張り。おいおい、こんな恣意的な基準で逮捕するかしないかを決めてていいのか?いつから権力の法治じゃなくて放置国家になったんだ?おまけに最悪なのは前回のミーティングではまったく触れなかった祭(デモのコースを山車が通る)があるから、デモのコースを半分以下にしてくれと言われた時。そんなことできるわけないだろ!!それだったら中野区内でデモが終わっちまうじゃないか!!主催は高円寺ニート組合なのに!!


 ま、始終こんな感じでとりあえず妨害と邪魔ばかり。そこでしつこく食い下がって弁護士だとか、法的根拠だとか、前例だとかを持ち出すと彼らは苦い顔をしてすごすごとこっちの要求を受け入れる。ま、その繰り返し。それにしても面倒というか、役所や警察がデモをどう考えていて、どうやって準備、申請段階で対処(規制)してくるのかよくわかって面白かった。この他にも酒を売るな、ちゃんと隊列を組め、サウンドカーの前には出るな、お前たちのデモはとてもじゃないがデモじゃない。もっとマジメにデモをやれ!!と、くる。過去のデモを考えればなんで警察にデモをマジメにやれと説教されないといけないのか、わからないでもないのだが、法的根拠もないのにこれらのほとんどにこれを破ったら「デモは出発させない」だとか「すぐに逮捕する」だとか脅迫をどんどん並べてくるので、もう、うんざり。こんな些細なことで逮捕するのは無理(もしくは酷く強引な別件逮捕にしかならない。もちろん起訴は無理。)だし、いったいなんの権限で規制してくるのかわからない。とりあえず「安全でスムーズな交通とデモの行進のため」と言ってはいるが、警察の言うデモとおりのデモなら、まるで自衛隊か北朝鮮の閲兵式のような風景になっちまう。

 はっきり言いたいがデモは高速道路を進む車でもないし、ベルトコンベアーを流れる商品でもないし、歩く歩道の上の歩行者でもない。まして行軍してるわけでもないし、交通整理に協力するのが目的なわけがない!!なんで警察のためにお行儀良くしないといけないんだ?バカか?むしろ交通状況を妨害し、路上を開放し、その機能性を変更することにデモそのもののアイデンティティがあるんじゃないか。もちろん、彼らののたまう、いわゆるスムーズな、それこそサービスであり、商品流通システムのような「速さ」「滑らかさ」「心地よさ」が「売り」の、人間運搬システムである交通事情を確保することこそが、「最大多数の幸福のため」っていういつものお題目なんだろう。ナチスだって同じことを言ってたな。だけど、通常は誰も気にしない路上を快楽の生産システムにし、複雑なコミュニケーションのノイズの渦を生み出していくサウンドデモだって「最大多数の幸福」に貢献していないと、誰がいえるのか?


 確かカスタネダのドン・ファンシリーズだったと思うが、ヤキ・インディオのドン・ファンが弟子であるカスタネダにこう言うシーンがあったと思う。それは道に関してで、カスタネダはある目的地に行くために道を歩いているのだが、ドン・ファンはカスタネダに「お前は道の上にはいない」と言うのだ。カスタネダはその意味がわからない。道を通って目的地に向かっているのだから道の上にいないわけがない。怪訝に思いつつも彼は道を歩きつづける。目的地に着いたときドン・ファンはカスタネダに道のことを聞く。道について考えていたカスタネダは、途中、その道に何があったのかほとんど覚えてはいない。


「だからお前は道を知らないし、無視している。道はお前にとって存在しないに等しい。道について考えることと道について知ることと、その道を行くことはみんな違う。お前はいつも独り言ばかり言って言葉の壁と世界に閉じこもっている。お前の世界は意味と目的だけで構成されたわずかな点でしかない。そこには道は無いし、その存在を知らないなら、お前はそこに存在しない。道が存在しないんじゃない。お前が道に対して存在しないんだよ。」


 道に対して存在しないこと。まるで何も見ないかのように、気がつかないかのように、どうでもいいものをどうでもよく放置して過ぎ去っていくことが最上の経済法則や商品の流通システム。ノイズがそこに入ることは許されない。これは商品だけではなく、人間の交通意識にも当てはめられた至上の原理で、コレを公共性と勘違いしてるヤツが多すぎる。公共性はいつから効率性になった?効率性がいったいいつから幸福になったのだろう?マックのセットが3分で出てくるという程度の幸福の破壊のために、僕らは逮捕されるのか?なぜ路上で「存在」してはいけないのか?それがルール?公共性ってやつなのか?


 OK. くだらないヤツらの幸福、存在しないことに依拠した矮小な幸福ってヤツをぶち壊してやろう。存在することが罪になるならば、逮捕上等!! なぜなら、逮捕されれば僕らははより「存在」することになるのだから。ストリートからメディアへ、メディアからストリートへ、僕たちははみ出し、増殖する。増殖は路上に存在しないことを必死で守らせ、路上で存在することを許さないルールに対して抵抗するだろう。

 

 だから僕らはデモにおいて以下の行動の権利を主張する。だってこれこそがデモなんだもん。



 路上で酔っ払う。まっすぐに歩かない。座り込む。寝込む。たたずむ。立ち止まる。爆音を出す。踊る。はしゃぐ。号泣する。車線を守らない。はみだす。爆笑する。談笑する。キスする。セックスする。ストリップする。生活する。炬燵を出して鍋会をやる。etc・・・・・



 え、こんな見苦しいし、めちゃくちゃな交通妨害は止めろって?さっさと逮捕しろってか?お前、バカか?これが快楽のプロパガンダであり、プロパガンダの快楽なんだよ!!見ているやつに苦痛や違和感、不快感を与えるか、快楽を与えるか?それを決めるのはデモを見てるヤツ、テメーだろ。デモが深い不快感やヤベー快楽を生み出すんじゃない。それを見たり参加してるテメーのアイデンティティやライフスタイル、聞いてる音楽や学歴、履歴、サブカルチャーやメインカルチャーにおけるキャリアと蓄積、経済的な立場がソレを無意識に決めてるんだよ。デモ見てその程度の快楽や不快感を引き出せない程度ならその程度の人間ってことかい?いやあ、ま、デモのやり方ももちろんあるんだけどね。とりあえず吐き気がするくらい嫌われるようなリアルシットな本物だったら反感くらうのも当然だろ?ってことでめちゃくちゃイリーガルが最高!?逮捕上等!!ネットでくだらねー感想書いてシコって満足?路上に出てくる勇気もないのか?ナードなクズだな。一生植物人間みたく回線に繋がってろよ。ブログや掲示板だけがお前の存在の全てじゃないだろ?わかってるならこっち来て踊って騒いでかき混ぜてやれよ、お前のくだらないリアルってやつを、さ。一緒に楽しもーぜ!!んじゃ、16日に!!



家賃をタダにしろ!中野→高円寺一揆
9月16日(土)

出発地は囲町公園(サンプラの裏手で、中野区役所の真向かい)
http://map.yahoo.co.jp/pl?lat=35%2F42%2F15.573&lon=139%2F39%2F58.392&layer=1&ac=13114&mode=map&size=s&pointer=on&sc=2

15時集合→16時出発!

出演者
radiomaroon(http://radiomaroo.exblog.jp/)
deepthroatX(http://sound.jp/deepthroat-x/)
YOSSY(cosmo)(http://studiodom.web.fc2.com/cosmo.html)
and 某HCバンドら出演予定!!!!!!
集合から出発までもかなり盛り上げるぞ!!!!!




このインテリパンクさんの日記もイイ!!
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=218342756&owner_id=40221



なんかおいらのmixi日記のサウンドデモ告知が2chにさらされちゃって、宴会を待つ輪は広がってるみたいだね~。

hatenaの方も含めて色んな人が意見しているみたいだけど、あんまり的確な評が少なくて残念だな。
完全にツリであったりネタ100%だったりと思い込むことで冗談世界観を保つ方、やるなら本気で国会まで行けとかデモやる根性あるのならニートやめられると説教モードの喜び(JOY)を理解出来ない方、デモ自体迷惑だとか五月蝿いとかウザイだとか通報(何罪だよ!)だとかと脳内Gentrificationなネオリベどっぷりな政治がわからない土人な方。大別するとこんなかな。







さーて、と。もう一発ぶちかますか。

 4月30日のサウンドデモでDJが不当逮捕されたことを受けて、やられた分はちゃんと払ってもらおうってことで、なんと秋葉原でサウンドデモをやります!!今回はロリータ(メイド)デモ!!になる予定。ゴリラや虎といった猛獣にメイド服を着せ、頭にはロリロリ萌えキャラの被り物を被せてアキバを大暴走、大破壊します。バックトラックはハードコアなヒップホップ、テクノ、トランス、ハウス、ノイズ、インダストリアルです。(大ウソ。動物は出てきません)ちなみに今回は僕もDJ参加です。逮捕覚悟なんで、その時はよろしくー 差し入れはカントの「純粋理性批判」の岩波文庫版の中と下、ドストエフスキーの「作家の日記」と「死の家の記録」と、あとはブランキの著作を何冊か希望。みんなよろしくー!!


 ってことで、メイド服を持っているロリータちゃんを募集中です。デモに参加しませんか?路上で踊りませんか?また、服は無くてもレンタルします。甘ロリ、花ロリ系らしいです。


 (注 ロリータ服をメイド服と言ってしまうには個人的には躊躇がある。特にアキバ辺りで消費されているメイド文化は男根中心主義的というか、本気でロリータ好きな人から見ると「ちょっとアレは・・・」といった文化なので。少なくともロリータ服は耽美的なパンクロックの象徴であって、サドマゾ的服従のサインでは無い。こういった微妙な差はフェミニストがいろいろ言ってるのかな?)

 






————————————————–
メーデー!メーデー!メーデー! 4.30弾圧を許すな
     8.5 プレカリアート@アキバ
~やられたままで黙ってはいないサウンドデモ→集会~
————————————————–

○集合:8月5日 14:30
○場所:総評会館(千代田区神田駿河台3-2-11)
http://www.sohyokaikan.or.jp/access/index.html
○交通:【地下鉄】千代田線・新御茶ノ水駅、丸ノ内線・淡路町駅、都営新宿線・小川町駅 いずれもB3出口(徒歩0分)【JR】御茶ノ水駅 聖橋口(徒歩5分)
●サウンドデモ:16:00‐18:00(予定)●集会:総評会館18:00‐21:00(予定)

不安定さを強いる社会を転換させよう。生きることがこれほどにも大変なのは、言われるほど自分のせいではない。おかしいのは仕事も住居も、からだもこころも、日々の暮らしのすべてを不安定さに晒すこの社会だ。

なるほど目の前には「自由」が吊り下げられている。際限のない生き残り競争の果てに、互いの生を貶め合う「自由」だけが与えられている。しかし見るからにそれは自由ではない。偽物はいらない。

プレカリアート(不安定さを強いられた人々)が自らのものとした声は、人がつながりあう場へと街路を取り戻すサウンドデモとして表現された。これを封じ込めようとして、警察は恫喝と盾と不当逮捕を持ち出した。だが、すでに発せられた声をかき消すことなどできない。誰もやられたままで黙ってなどいないからだ。

私たち自らが望むものをはっきりさせようと思う。それはただここに出会い、話し、驚かされ、喜び、生きることである。欲しいのは、考え、動き、表現することの中に、互いの生を交錯させる自由である。これらを奪うことを許さない。そのために力を尽くそう。

2006年7月
実行委一同

※「8.5サウンドデモ→集会」に賛同する団体・個人、そして何よりもこの取組みを成功させるために動いてくれる仲間を募集しています。ぜひ連絡を!
※連絡先:mayday06q(at)yahoo.co.jp(メーデー救援会)/paff(at)sanpal.co.jp(フリーター全般労働組合)/war_resisters(at)yahoo.co.jp(戦争抵抗者の会)/070-5587-3802(抵抗電話)



マジ最低で最悪なサウンドデモ。

上の写真を見て欲しい。デモ隊のプラカードに「TOKYO REAL発売中」とあるのが見えるだろうか?これはこのHPが売り出している小説のタイトルだ。

 いったいいつからサウンドデモはチンドン屋に成り下がったんだろう?しかも小汚いギャル・ギャル男のチンドン屋に。(もちろん、チンドン屋の素晴らしさ、音楽性のクオリティを軽蔑するつもりはない。そういった意味でこのデモはチンドン屋以下だ。)とにかく、ドラッグ反対とか主張しつつ、本当は小説の宣伝が目当てとは・・・・汚いにも程がある。資本主義の矛盾を資本主義が商業的に回収する見本をアンダーグラウンドカルチャーが自分から進んで隷従するいい見本。

 それにしてもギャル・ギャル男の運動(のフリした宣伝活動)のダサさはなんだろう?私たちはイイ子ですよ。ドラッグやりませんよって媚びてるだけ。イベンターだとか小説家だとか集英社がオーガナイザーで絡んで金儲けですか?果たしてこいつらにサウンドデモのやり方を吹き込んだのは誰だ?宮下公園に集まってからデモってのは完全な渋谷反戦サウンドデモのパクリじゃないか。ギャル、ギャル男がデモ申請に警察署に行っているのは想像すれば間抜けで笑えるが、それが商業主義の宣伝だとわかった今は笑えない。最低で最悪なデモだ。

 さて、と。渋谷で遊んでいる一般人はこういったギャル・ギャル男達がサイケやユーロ、サイバーなトランスを聞いていることや、エクスタシーやKというドラッグが蔓延してることすら知らないだろう。なんでわざわざ「やってませんよ」と宣伝して「やってますよ」と臭わせるのだろう?とりあえずバツに関してはヨーロッパのダンスセーフやいろんな運動を知った上でこういった見かけだけのドラッグ反対運動(実はイベンターと集英社の売名行為)はいかに民度が低く、くだらない運動かよくわかる。この国のクラブカルチャーがダサい商品でしかないし、そこに集まってるやつらのバカさのいい証明だよ。ホント。つくづく吐き気がするね。



クラシュダウンザシステム!!

http://news.www.infoseek.co.jp/topics/business/uniqlo.html?d=09kyodo2006050901006046&cat=38

ユニクロにサイトから大量注文、4千着のムダ在庫発生 (読売新聞)

 「ユニクロ」を展開するファーストリテイリング(FR)のショッピングサイトで不正な注文操作をして大量の在庫を発生させたとして、警視庁捜査1課は9日、長崎市御船蔵町、無職二口慎太郎容疑者(29)を電子計算機損壊等業務妨害容疑で逮捕した。調べによると二口容疑者は、昨年7月1日~翌8月10日、FRが開設したショッピングサイトで、1着1000円の女性用タンクトップを注文した際、大量の注文操作を繰り返しFRの在庫管理を誤らせ、約4000着の在庫を発生させるなど業務を妨害した疑い。FRは余ったタンクトップを半値で販売せざるを得なくなり、約250万円の損害を被ったという。調べに対し、二口容疑者は「迷惑を掛けた」などと容疑を認めているという。同課は、二口容疑者が不正なソフトを使って一度に大量の注文を行っていた可能性もあるとみて、パソコンの解析などを進める。

[ 2006年5月10日0時26分 ]

「画面の在庫、減るの楽しかった」=逮捕の男供述-ユニクロ不正注文 (時事通信)


 「ユニクロ」を展開するファーストリテイリングのショッピングサイトへの不正注文事件で、逮捕された長崎市御船蔵町の無職二口慎太郎容疑者(29)が、警視庁捜査一課の調べに対し、衣料品の不正な注文操作を繰り返した動機について、「画面上の在庫数が減っていくのを見るのが楽しかった」と供述していることが、11日分かった。また、短時間に不正な操作を連続的に行うため、パソコンに特殊なソフトをインストールしていたことも判明した。

[時事通信社][ 2006年5月12日1時24分 ]








 システムに過剰な負荷をかけてクラッシュダウンさせること。システムを暴走させ、普段では絶対に生まれない臨界現象を生み出すこと、の、快楽。ハッカー達がメールボムといって膨大な量の架空のメールを加速度的に、それこそ、核融合のように分裂し、増殖するシステムとして組まれたプログラムを使って、癌細胞のように正常なレベルを超えて処理すべき情報を異常発生させ、サーバーを内部から暴発させる。資本主義的なシステムの純粋培養。この場合、それがサーバーではなく、発注と在庫管理システムに対して行われ、膨大な量の在庫が増殖した。オンライン上で増殖した記号は現実にダンボールの山となり、半額セールの山となった。記号とリアル、リアルな記号と記号のリアル、の、記号、の、リアルな事件を伝えるこのテクストを今。君は読んでいるってわけだ。そして僕は書きつづける。過剰で逸脱したソフトによる、違法な、異常な、システムの畸形児達の生成と培養哲学について。そこから生産される快楽の行方。コードの暴走。その接続点を目指して。深い闇を進む。

 なぜ、普通ならありえない膨大な注文をシステムは発注し、在庫を自動的に貯め、そのために不利益が生じたのだろう?「そんな事態はプログラム上想定されえないから」というのは答えにならないような気がする。現に、なってしまったのだから。この犯人は「画面上の在庫数が減っていくのを見るのが楽しかった」とこの犯罪の快楽を語っている。はっきり言ってしまえば、この犯罪は何の利益も生み出さないことはわかりきっている。そもそも、この男が注文したのは女性物のタンクトップであり、しかもこのタンクトップを盗んだわけでもないし、横流ししたわけでもない。はじめから手に入れることや現実的な利益は考えられていない。

 つまり、これは純粋なシステムにおけるいたずらであり、ありえない操作でバグを生み出すという遊びなのだ。

 僕たちが問いつづけなければいけないのは、システムに対するハック、過剰な、もしくはズレたインプットとそれを無条件に増幅してしまうアウトプットが、笑いとカタストロフを生み出すことの必然性なのだと思う。つまり、遊びとは何か?ということだ。そして遊びが犯罪になぜ繋がるのか?ということだ。遊びは全て禁じられている。お金を生み出さない遊びはどんどん消されていく。なぜならお金とはルールであり、欲望の調整システムだからだ。上手く生産し、うまく消費する。ある程度のルールにしたがって。それがお金であり、経済システムなのだ。遊びはルールに飼いならされたら死んでしまうだろう。しかし、お金を、システムを、経済を、食い殺す遊びがあることを、僕たちは忘れてはならない。飼いならされるな。コードに服従するな。欲望を閉じ込めるな。遊び倒せ。ルールに従って遊ぶのではなく、ルールそのものをかき混ぜて遊べ。ルールをごちゃごちゃにしろ。すり抜けてはみ出し、乗り越えて逃走しろ。全て引きずり出すために。


全ての犯罪は革命的である。   

平岡正明



5月革命広報室広報部よりみなさまへのお知らせ。

今、ここに、ぞくぞくと終結した全国の最も先鋭的、前衛的、革命的な学生、労働者、フリーター、ニート、引きこもり、だめ人間、ジャンキー、クラバー、レイバーのみなさん!!90年代以降、不況とグローバリゼーションへの適応を通じてますます突き進む権力と資本家の策動が、われわれ無産者階級(お金も土地も会社も持ってなくて毎日誰かの下で働かないと飯が食えない膨大な数の人々!!)を新しい「勝ち組み経済システム」に適応できない無能力な貧乏人へと追い詰め、安い賃金とかなえようの無い馬鹿げた理想(勝ち組みセレブ!!)で搾取しているのはもはや自明となった!!

 全球レベルで進む資本の統合と集積はフランスで100万人規模のデモを起こし、ロシアでネオナチを復活させ、中国を巨大な工場に作り上げ、子供の学費を払えない足立区の主婦に売春をさせる。増加する100円ショップに、企業名の載ることの無い求人フリーペーパー、100円のハンバーガーや、無料で配布される消費者金融のポケットティッシュに、インターネットのルーターといった街中のアイコンの群れが静かに僕らの欲望を包囲し、やさしく、だけど、残酷に包み込んでいる。

 「全ては消費者のため、あなた個人のために」と謳われる。時に無料で。しかし、企業の広告料によってまかなわれるTV番組のように、本当に無料で配られているもの、提供されているものなど何一つとしてない。収益や利率を上げるためだけに、より搾取される人々を企業と消費に結びつけるためだけに、厚顔無恥な顔をして「無料」といいつつ、労働力とお金を吸い上げていくシステムが、網の目のように僕らを取り囲んでいる。

 恋愛もセックスもオナニーも暇つぶしも仕事も、友達や同僚との思いでも、家族との団欒も葬式も大学生活も老後の楽しみも、新しい生命の誕生も、全て商品とサービスの消費の組み合わせの中で行われる。それはこの網の目の中で、僕らが作り出すもの、吐き出すもの全てが有用に交換され、利潤を生み出し、戦争好きの企業と国家の元へ!!と吸い上げられていくということだ。ゴミを出すことや排泄すること、病気になることさえ無数の交換(下水道の整備、維持や、医者の給料、保険、製薬会社)を発生させる。自殺でさえ膨大なコストを発生させ、お金を動かす。逃げ出す場なんかどこにもない。徹底的にITによって効率化された、出口無しの交換と剰余価値のシステム。安心と安全と最高のサービスを選択可能だと思い込まされた奴隷達によって増えていくリスクとカオス。自分を取り囲んだ無数の商品の主人だと勘違いしないと生きていけないこの世界の虚無。実は商品の奴隷にすぎないのに。老後まで全てぴっちりと詰め込まれた商品とサービスと退屈な労働の線路。これが「本当の豊かさ」なのかい?決まりきった奴隷の日常の反復。そこからはみ出して生きることなどできないのだろうか?

 僕らがマックのバリューセットを選ぶように、僕らの葬式や結婚式、マイホームや余暇のプランもバリューセットのように組み合わせられる。それは人生が、生が、それ自体を創造する自由な主体性の結果として存在するのではなく、あらかじめ用意された組み合わせからしか主体性が生成しないということだ。商品とサービスの多様性がそれを覆い隠しているが、商品とサービスと労働に関わらないで生きていけない以上、もはやこれは否定できない。にも関わらず、それが「自由」だと、その資本制経済の可能性だけに限定される「自由」が、自己責任と自己努力に結果すると信じなければ生きていけないという、徹底した不自由な主体。この不自由な主体を疑うこと。そこから逃げ出すこと。消費や生産やシステムから。もしくは、その場をめちゃくちゃにかき乱してやること。全て壊れてしまう前に。


 ちょっとシリアスすぎたのかもしれないけど、僕とハーポ部長(http://mixi.jp/show_friend.pl?id=125281)とインテリパンク(http://mixi.jp/show_friend.pl?id=40221)でやっているRLL(Radical Left Laughter)http://mixi.jp/view_community.pl?id=206778というれレヴォリューション・ポップ・ユニットが目指していることは、こういったつまらないし最低な世界を、音楽やTシャツやレイブやクラブやハーブや路上や笑いによってかき乱していくことだと思う。POPでラディカルな抵抗。カウンターカルチャーという、文化に、文化で抵抗する文化を、もう一度取り戻すこと無しに僕たちは生きていけない。


さてさて、そんなRLLの一大イベントが一ヵ月後くらいにあるのでみんな遊びに来て!!いろいろ話しましょう!!


☆スバラシキナカマ─ Come Together! Common Rockers! ─

東京藝術大学のマルコム・マクラーレン!?
野田努とRLLが音楽×サブカル×思想×政治でtalk about!!!
presented by RLL(Radical left laughter)
TOKYO-GEIDAI 26 MAY (FRI) 2006

RLLが東京藝術大学にて『スバラシキナカマ ─Come Together! Common Rockers!─』と題して、世界的音楽雑誌『remix誌』編集長で宇宙的名著『ブラック・マシン・ミュージック』の著者としても知られる野田努を迎え、オーガナイズ・イベントを開催。現実のグローバリズムと現代思想のマルチチュードを繋ぎ、パーティピープルやフリーターの日常に引き下ろして、いかに想像/創造的に生きるかをトークセッション。サウンドデモなど政治的サブカルチャーを映像や漫談で紹介、文化政治における〈悦び〉の重要性について語ったり、語らなかったり。またプレ・セッション「東京皐月革命茶会」としてお茶会もホッコリ併催。ゲストに漫読家の東方力丸、高円寺オルタナティヴ・ショップ「素人の乱」などなど、マルチチュードな面々! ポップ・ストリート政治のギャザリング・パーティを見逃すな!!

2006年 5月26日(金) 18:00─
@東京藝術大学 音楽学部 上野キャンパス 5-401教室
(当日15:00─17:30@藝大上野キャンパス 不忍荘1F大広間(正門入って右手奥)一服プレ・セッション「東京皐月革命茶会」)
出演:野田努(remix)、RLL(Radical left laughter)、毛利嘉孝 (東京藝術大学・コーディネート)
Guest:東方力丸(漫読家)、松本哉 (素人の乱)、山下陽光(素人の乱)、aya(茶事)
ENTRY:Free \0
INFO:
RLL 080-5380-6865 http://www.rll.jp/
音楽学部音楽環境創造科 毛利嘉孝 mouri@ms.geidai.ac.jp


RLL:
Radical:intellipunk
Left:∞+∞=∞
Laughter:Harpo Bucho
ラジカル・レフト・ラフター。「wearable idea」コンセプトTシャツを制作する3人組。日本におけるカルチャー・ジャミングの第一人者。自称「中央線マルチチュード」として、生政治概念を用いたオルタナティヴな生き方を提示。文化政治ユニットとしてネットラジオ「レヴォリューション・ポップ・ラジオ」、出版編集、イベントオーガナイズ等で活躍中。
HP■http://www.rll.jp/
e-mail■radical_left_laughter@yahoo.co.jp
Mixi■http://mixi.jp/view_community.pl?id=206778



『2006東京五月革命』と題して藝大-東大を連続でBomb!
RLLの26日藝大ギャザリングの後は、FRUTHが27、28日に東大本郷キャンパスの五月祭で「KOMAMORPHOSE06 “Spring”」フリー・パーティを開催。藝大で悦び東大で踊れ!
FRUTH:イベントオーガナイズするクリエイター集団。昨年11月は東大駒場キャンパスでフリー・パーティを敢行。
http://www.geocities.jp/komamorphose/

『2006東京五月革命』

移動、労働、移動、睡眠…/試験=屈従、社会的昇進、階級的社会/形式的な行動は感情を殺す/我々は飢餓で死なない代償が退屈であるような世界を拒否する/我々は生きたいのだ/退屈しているのに気付いた時、人々は退屈するのを止めるだろう

教授、あんたはおれたちを年寄りにしちまうよ/あんたはあんたの言う「文化」と同じくらい古くさいぜ、あんたのモダニズムとやらは単なる警察の近代化にすぎない/教師を変えるのではなく、生き方を変えよう/死んだ時間なしに生きろ/官僚が君の中にいる/君の頭の中から警官を追い出せ/今、この時を生きろ!

芸大生よ── 芸術は死んだ。死骸なんかにカネを払うな/ゴダ-ルは何も変えられなかったのさ/壁に耳あり。君の耳に壁あり/まずは君自身に異義を申し立てろ/我々みんなが好ましからざる者/身を隠せ、そして反対しろ!/コート&ネクタイ野郎の革命に「ノー」を/自由の敵に自由を許すな。

東大生よ── 人はバカか利口かじゃない。人は自由かそうじゃないかだ/君が学んだすべてを忘れてしまえ、踊ることからはじめよう/踊れ、仲間よ、古き世界が君のすぐ後ろに迫っている/君のズボンのファスナーを開くように、君の頭脳を開放せよ/想像力が欠けていると、欠けていることが想像できない/想像力は贈り物ではない。獲得するものだ/想像力を権力に。


1968年パリ五月革命は、革命を成し遂げられなかったが、その代わり、街頭に美しい詩を残した。上記の文章は若干のアレンジがあるものの、当時の有象無象による落書きによって構成されている。そして今、世界を注意深く見渡してみよう、68年以来の大きな祭の季節がやってきている! 芸大と東大で連続して行われる一連のギャザリング&パーティは、68年に複数の何者かによって書かれた詩を新しく更新する試みである。とりあえず肩の力を抜いて楽しもう! 喜びは新しいアイデアだ。



一粒の向日葵の種まきしのみに荒野をわれの処女地と呼びき

泣いてばかりいた。

  路上で。

 なぜだかよくわからない。

 昨日、会社の知り合いからアラーキーの作品全集のうちの2冊をもらった。全20巻のうち最も欲しかった2冊をもらったのだ。1冊は物語15「死、エレジー」もう1冊は物語16の「エロトス」。特に昨日の夜は「死、エレジー」ばかりを、じっと、見ていた。深夜の二時くらいまで。巻末の写真家本人の説明によればこの写真集は1967年から72年までに撮られた写真だけで構成されており、当時森山大道の伝説的写真集「写真よさようなら」と同じシリーズとして同じ版元から出版されるはずだったらしい。

 内容はいかにもアラーキー的なのだが、明らかに80年代の「写真時代」とは違う。明らかに。性と生と政と聖がいくつもの断片となって重なり合い、モザイク状に散らばり、複雑に響きあっている。猥雑で混沌としていて、熟しきったフルーツのように、皮一枚穴が開いてしまえば中の芳醇な液体が全て溢れ出してきそう、なのに、どこか完全に冷め切っていて、砂漠で風化してミイラ化したか、風葬や鳥葬であらゆる生物につつかれ、舐め取られ、風と雨と雪と時に溶かされ、きれいさっぱりした白骨死体みたいに、完全に死んでいる。写真の中に散らばったいくつものパーツ。新築のアパート群の前の荒野でオナニーする全裸の鈴木イズミや、午前5時の青い光の中で乳房をわしづかみにされる天井桟敷の女優。謝国権の性の教科書。サルトルのようにゆがんだ眼球が本物の路地を彷徨っている。さびが浮いてボロボロの電話ボックス。電通のスタジオ。女陰の裂け目が作られた国旗。三島由紀夫のポスター。絡まりあう無数の男女の肢体。繰り返される暗転と溶暗。

 


 轟音。


 僕の横をとてつもない勢いで、しかもピーピーと笛を吹きながら突き抜けていくやつがいると思ったら、TASKEで、あっという間に箱の店員に捕まって怒られてやんの。渋さ知らズのライブは絶好調でアゲアゲ。今日は「SAVE THE 下北沢」のデモ。そのままライブハウスを出てデモカーの後に並ぶ。だいたい200人くらい。この前の反PSEデモと同じくらい、か。参加者はさすが下北とあってこじゃれた若い男女が多い。みんな小物使いや古着の重ね着が上手いね。プラカードや古布で作った吹流し?みたいな飾りもいいし、デモカーの風船もよかった。流れてくる音楽だってフィッシュマンズやくるりだもんね。

 もっとびっくりしたのは警官と公安がほとんどいないということ。いやあ、暴力的で極左なデモばかり行ってたのね。僕って。本当に気抜けするっていうか、ここまでピースだと「パレード」って呼び方にまったく違和感がないよ。ただ、歩き出してしばらくしてから渋さ知らズのメンバーと、デモ参加者の伴奏が始まると事態は一変。もう、みんな踊りだすは、騒ぎ出すは、白塗り舞踏家の人たちも大活躍。これがすごいの、なんの。渋さのライブはいくつも見たけれど、ここまで客と演者とダンサーが一体化したものは見たこと無い。まるで中世の阿呆船か巨大なチンドン屋集団としか思えない。しかも全てが流れていく。路地の上を。

 途中でスズナリの前で音を落として、さらに細い道へ。なんと道幅が3mくらいしかないからデモの人たちでいっぱい。警察官も何も言わないの。もう、それをいいことに路上で好き勝手踊る踊る踊る。手を広げ、大声を出して。ちょうど、渋さお得意の「ラーラーラー、ラーララー」っていうメロディが繰り返されて、大合唱。夕日が差し込んでくると哀しくて切なくて、それがうれしくてやりきれなくてボロボロ踊りながら、泣く。暖かい光と、轟音、踊ったり笑ったりしている人々。ただ、それだけ。

 「闇市の跡を消すな!!」のプラカードを持った、自分と同じくらいの歳の人を見て、笑う。どう見てもサイケデリックトランス好きのデリッカーギャル男っぽい人が、渋さのフリージャズみたいなトランペットでへろへろ踊って、「10年前はここに住んでたんだよ」と、話し掛けてくる。

 何もかもが新しく、何もかもが懐かしい。

 よく考えれば、白塗りの人たちは山海塾やダイラクラカン?といった寺山修司や土方巽直系の人々なのだ。そんな人たちと一緒に踊っているのかと思うと、またちょっと泣けた。ゴールの公園に入る。ここでも音楽は止まない。楽隊を中心に人々は円を描き、声を合わせる。その声は透明な渦となって春の大気の高みへと吸い込まれ、遠い遠いどこかで、青く青く哭いた。




 



ゴダールの「兎と亀」にまつわる物語

確か信州から東京に帰る日だったと思う。松本に出て街中を歩いていたときに、先生がフっと立ち止まったのだ。先生はかなり痩せて頬がこけ落ちた瀕死の司馬遼太郎というか、水木しげるの書くガイコツキャラのような顔なのだが、酔っ払っていないノーマルモードの時は、じつにすこやかでやさしげな表情で、いかにも精神科医といった声の肌理を持って空気を振るわせる。そんなちょっと高く澄んだ声で「私が学生の時によく行ったジャズ喫茶があるから行ってみましょうよ」と、言った。お気に入りの口笛の一小節でも吹くかのように。

 ちょっと前には先生が通っていた信州大学の医学部の寄宿舎の話を聞き、フェンス越しに大学を見てきたところだから、流れとしては悪くない。「もう無くなってしまったもかもしれません・・・」と悲しそうにつぶやく先生についていく。繁華街の裏通りに入り、フィリピンパブの女の子の写真なんかを横目で見つつ、そぞろ歩いていると「あった、あった、ありました。まだ残ってました!!」という先生のうれしそうな声。

 かなり古くてボロいビルの入り口に、これまた小さくてボロい看板が出ている。店の名前は忘れてしまった。薄暗い階段を上るたびにくぐもった低音がゆっくりと僕らの耳や体を浸していき、扉を開けた瞬間に、その洪水があたりを駆け巡った。かなりの爆音が小さな店にあるこれまたバカでかいスピーカーから容赦なく注ぎ込まれ、あふれかえっている。客はサラシーマン風のおじさんが一人。しかもそのおじさんはずーーーーっと、手をあごに乗せた姿勢で目を閉じ、ジャズに集注して聞いているのか、ピクリともしない。事前に先生から説明を受けたのだが、そのおじさんがいるスピーカーの前は「会話禁止エリア」であって、会話をしてはいけないのである。

 先生はなじみの店が残っていてかなりうれしいのかホクホク、ゆでたてのサツマイモにかじりつくような勢いで席に座ると、さっそくウォッカか何かを注文し、僕はそれについてきたピスタチオをつまんでごまかすことにした。先生は学生時代いつもここにきてジャスを聞いていたらしい。フイに立ち上がると、どこからか本を一冊持ってきて、僕に見せてくれた。

「これなんですよ。僕が高校生の時にずーっと、ここで読んでいたのは」

 と、先生は言った。タイトルは「倫敦巴里」(ロンドンパリ)イラストレーター和田誠の書いたもので、66年から77年まで「話の特集」に載せていた連載を単行本にまとめたものだった。この連載、簡単に言ってしまえば一種のパロディの集大成で、たとえば冒頭には当時相当な部数を誇っていた消費者啓蒙雑誌の「暮らしの手帳」をパロった「殺しの手帳」から始まる。これまたこの雑誌のデザイナー、兼、編集者であった花森安治のスタイルを絵からテクストまで全部ちゃんとぱろっているからすばらしい。ちなみに「暮らしの手帳」と花森については「spectator」のちょっと前の号で特集が組まれているから目を通してほしい。記事を書いたのはあの「クイックジャパン」の創始者の赤田祐一だったと思う。

 ちなみに、僕がかなり長い批評を書いた吉永 嘉明の「自殺されちゃった僕」という本も飛鳥新社から出ていて、赤田さんが編集者だったと思うし、作中に出てきて吉永さんを励ましていたいたような気がする。ちなみに僕はこの女の子の友人つてに「最近のサブカルは以前のように面白くもないしひどい状態になってしまった。あなたはこの現状をどう思っているのか?」と赤田氏に聞いてもらったのだが、返事は「関係ないし、どうでもいい」というようなものだった。

 吉永さんに本を書くようにすすめたのはどうやら赤田氏らしいし、600万円も自費を負担してはじめたクイックジャパンのこともあるのだから、もうちょっとサブカルチャーというシーンに対して気を使っているのかな?と思ってたんだけれど・・・・どうなんだろう?まあ、このことはよくわからないことが多いのでおいておこう。

 さて、その和田誠の本は60年代カルチャーを知る上で本当にすばらしい本で、当時の文学、漫画、絵画、政情、風俗をあますことなく横断的にパロったスタイルは今読んでも非常にキレててすごいと思う。これを読むと古谷兎丸の「パレポリ」が味気なく思えるからスゴイ。ただ、本人が「これは時流にあやかったパロディだからいずれわからなくなる」と書いているように僕にも何をネタにパロったかさっぱりわからないものも多い。たとえばこれは同時代のつげ義春の漫画なのだが、確か温泉もので「オンドル小屋」の一夜をすごす主人公が若いバカな客によって散々な目にあうシーンがあった。このバカ騒ぎをする若い客が温泉に浮かんでいた巨大な男性器の張り方を股間からおったてて「大きいことはいいことだ!!」というコーラスをやるシーンがる。実はこの「大きいことはいいことだ」というのは当時流行ったCMの文句で、僕はそれを昭和全記録68年の、話題のCMコーナーで初めてしったのだ。

 もちろん、こういった例は数知れないし、時代の空気や、雰囲気としてあっという間に消えていくものなのだと思う。手塚治の漫画にもこういった時事ネタ部分が多く、単行本化された時点で古くなったものが挿げ替えれられている。つまり、オリジナルなものではなくなっているというワケだ。もちろん、ある意味で改良されているわけでもあるのだが・・・・

 まあ、こういった理由によって「倫敦巴里」をちゃんと読みこなすことは本当に難しいと思う。誰だったか忘れたけれど「今の若い人はテクストそのものではなく、行間、つまりテクストの暗黙のコンテクストを読む力がない」と言っていた。こういった時代の雰囲気や情景・・・・あっという間に消え去っていくようなモノのかすかな手触りの古さ・・・・を、僕たちは記憶と想像力によってどれだけ「再現」できるのだろう?「大きいことはいいことだ!!」というCMを普通に生活していて見たことの無い僕は、ある意味で100パーセントつげ義春の漫画を読みこなすことができないのだろうか・・・・・・・

 話をもとに戻そう。

 この和田さんの本の中に「雪国」をぱろったシリーズがあって非常に面白い。もちろん、当時川端康成がノーベル章を受賞したことによって始まったシリーズで、雪国の冒頭・・・・「国境の長いトンネルを抜けると・・・・」に始まる部分を著名な作家達が書いたらどうなるだろうか?という遊びで文体パロディをやるのである。これまた大江健三郎から村上龍、井上ひさし、五木寛之・・・と、著名な作家の似顔絵と彼、彼女が書いたらかくなるであろうという雪国によって成り立っている。またまたこれが読んでいれば読んでいる人にわかるパロディで、村上龍なんか最後に「ところでハシシュなんかないの?」と、駅長さんに女の子が聞いている部分なんかが笑える。はては、これまた「ねじ式」式というねじ式風の「雪国」まであって、これが絵がそっくりだからたまらない。

 さてさて、僕はこれまた今度は世界の著名な映画監督がもし「ウ兎と亀」を撮影したらどんな配役でどんなシナリオになるのか?という「兎と亀」のパロディが大好きなのである。かんりうまくゴダールが表現されていて、とてもパロったとは思えない。うまいのでる。ジーンときてしまうのである。


ジャン・リュック・ゴダール
「兎と亀」

舗道に兎(アンナ。カリーナ)と亀(ジャン・ポール。ベルモント)がいる。

字幕 兎と亀が出会ったこと。

兎 「私のこと好き?」
亀 「好きだ」
兎 「耳が好き?」
亀 「好きだ」
兎 「毛皮も?」
亀 「好きだ」

字幕 競争すること

兎 「私がほしい?」
亀 「欲しい」
兎 「むこうの山のふもとまで駆けていって、あなたが先についたらあげるわ」

字幕 シートンの動物記

亀 「昔、野ばらにとげはなかった。ところが牛は角をぶつける。フクロネズミはしっぽで花をもぎとる、鹿はひづめで蹴落とす。野ばらは花を守るために痛いとげをいっぱいつけて、動物たちと仲良くしないことにした。だが、兎は野ばらを傷つけたことがなかったので、野ばらは兎だけは友達だと思っている。だから兎に危険が迫ったときは、野ばらのしげみに飛び込めば、野ばらが兎を守ってくれる」

亀、本を置く。

字幕 競争が終わってからのこと。
ベッドの上で兎を亀がもつれ合っている。
シーツが大きく揺れる。
亀の頭、クローズアップ。
兎の頭 クローズアップ。
兎の頭に亀の手が触れる。
亀 「わざと負けたのか?」
兎 「さあ?」
亀 「俺が気に入ったのかい?」
兎 「わからないわ」

字幕 明日は明日であること。

舗道に亀が一人で歩いている。
 
                 終



 いやー すごいね。さすがゴダールの「兎と亀」って感じ。フランス映画だなあって思ったでしょ?あとはクロード・ルルーシュとかサム・ペキンパーとか黒澤明とかヒッチ・コックとかジョン・フォードとかそれぞれの「兎と亀」があって面白いんだよね。

最後にこの本はなんと絶版で僕もたまたま早稲田の古本屋で見つけたから持ってるだけなんだよねー だけどここで投票すれば復刊するかもしれないので、よろしくー

http://www.fukkan.com/vote.php3?no=10471



ROCK IS・・・・

美術手帳1970年10月号特集 「ROCK IS・・・ 原始性への回帰 日向あき子」より抜粋。



 ロック共和国。

 それはロックの響きが流れるところに生まれる。ロックにしびれる世代が作る無形のコミュニティーである。ジャズから来たこの音楽は、国の垣根を取り払い、霊妙な魔力でもって若い層の心をひとつにする。

 ロック世代。彼らは知覚の充足の中に神々の国が宿ることをフィーリングによって知っている。彼らの祖先はには、カミュの自然人ムルソーがいる。「ボニーとクライド」やコクトーのアンファンテリブルがいる。

 あるいはむしろ、彼らは文明の中の憂鬱な野蛮人、この人工の荒野の中の聖なる原始人だ。彼らの奇装、彼らの音、彼らの遊びは、その共和国のための儀式であり、儀式はしばしば創造のドラマにかかわる・・・・・ ロックミュージック。それは地球を単位とした人間、グローバル人間の感じ取り方と在り方を知らせる響きだ。

 いま、ロックシーンに立ってみると、あのころ(50年代のビートニクのころ)から無署名の巨大な意思とでも言ったものが歩き始めたのがわかる。それはその都度いろんな風に姿を変え、いろんなシーンを通ってきた。それらの変化するシーンはすべてこの巨大な意思の自己実現のためのものであった。

 ビートニク、ポップ、そしてロックまたはプレスリーや、文化人類学の復活や、原始に帰れや、マーシャルマクルーハンや、フランツ・ファノンや、反戦や、ヒッピーと、網の目のように結ばれている。それはまたドラッグ・カルチャーや環境芸術化、複製文化。イデオロギーの終焉、禅や老荘思想、黒人文化、コミュニケーションの迅速、情報社会と呼ばれるものや大学問題や新しい性の考え方や、ニューファッション、アンダーグラウンド・シネマ、テレビ、漫画、都市化、ビートルズ、感覚型全人性、テクノロジー、等々の貴重な財産目録を持ち、これらは奇妙な網の目で結ばれている。だからこのうちのどれひとつをひっぱってきても、鋭敏にすべての部分が振動し、からまりあってくるのである。


    美術手帳1970年10月号特集 「ROCK IS・・・ 原始性への回帰 日向あき子」より抜粋。




 いやー 久しぶりにかなりアゲアゲなテクストに出会ったんだけれど、やっぱりそれが70年代の文献というのには無意識的にか、欲望的にか、どうなのかよくわからないのだけれど、漠然とした理由があって、この激しく揺れ動いていた時代の手触りやにおいといったものがテクストにまで沁み付いてしまい、同じような感覚や感性や衝動をもった読者にとって、過去のテンションを再生産することができるからなのだろうか・・・・・もちろん、想像的な領域だけなのだけれど・・・・

 不思議なことにこのテクスト、今読んでみるとROCKのことを語っているとは思えない。もちろん、それは現在が2005年だからこそであって、35年も前のテクストがウソをついていると非難される筋合いはないのだ。それでも、このROCKという言葉をTECHNOやダブやレゲエ、ヒップホップに置き換えたとき、こんなにもすんなりと収まってしまうのはなぜだろう?そして、この35年前のROCKらしい2005年のテクノではなく、2005年のテクノらしくなくなってしまった35年後のROCKに、僕たちは何を求めてきたのだろう?この二つの間にできてしまった溝は何だろうか?そしてテクノもまた35年後には今のロックのように商品となり、古びていくのだろうか?時の澱みの中で・・・・

 これはちょっと気になるところだ。

 ROCKの政治性、実験性という前衛性が失われ、それがテクノという新しいジャンルに移っただけ・・・・と、簡単に処理できるのもある程度は確かなのだろうけど、どうも、いくつもの違和感が残る。初期ROCKの魅力は初期のテクノとは違うだろうし、だからといってまったく似ていないわけでもない・・・特にこのドラッグと音楽とシャーマニズムによる知覚のグローバリゼーション・・・もしくは、アンチグローバリゼーションをグローバルに共有するというグローバリゼーション・・・・・そんな部分だろうか?だとすればROCKとは・・・テクノとは・・・・いったい何だろうか?



ROCK IS・・・・



ゴシックハートとメンタルヘルス ~今、生きづらさの様式美を巡って~

90年代にはさまざまなサブカルチャーが生まれ、そして消えていった。中でも出版業界においてバブルのように一時期売れまくっていたのが、「危ない1号」「BURST」「GON」「BUBUKA」「別冊宝島」(クイックジャパン)といった雑誌で、そこでは、狂気、精神病、自傷、自殺、ドラッグ、死体、盗撮、アイコラ、異常な性的嗜好性(ロリコン、SM、情死)、フリークス、援助交際、極悪犯罪、極左、極右、爆弾、ヤクザ、そしてアジア各国のこういった混沌とした情報の記事といった、反社会的嗜好性を強調した退廃的文化が何度も特集された。こういった雑誌は主に「鬼畜系」と呼ばれ、新宿にあるロフトプラスワンも、こういったサブカルチャーの流れにおいて非常に大きな役割を果たしていた。

 このような雑誌のライターには、「完全自殺マニュアル」、「完全人格改造マニュアル」を書いた鶴見済、「あぶない薬」、「危ない28号」を書いたり、編集していた青山正明。最近、「自殺されちゃった僕」を書いた吉永嘉明。「ガロ」からその活動をはじめた社会学者、上野俊哉。「ニューエイジトラベラー」を書いた清野栄一、自殺した漫画家のねこぢるがいた。彼らはそのライターとしての活動や、遊び仲間として一定のリンクを保ったひとつの「ある一定のバックグラウンドと、考え」を共通とする集団だった。

 重要なのは彼らが主張していた、ある一種のイデオロギーのようなものだと思う。つまり、宮台真司が援助交際少女をして「終わらない日常」を「まったり生きる」といい、鶴見済が「マニュアル化された薬と人格改造という手段、そしてサイケデリックトランスという超越的な音楽の作り出す、変性意識状態によって、閉塞的な社会をそこそこ楽しく生きる」という「世紀末の処方箋」を提出し、それらが希望をもって受け入れられ、インターネットの登場とともにバブルのように膨れ上がった瞬間が、90年代サブカルチャーの全盛期だった。

 しかし、それも長くは続かなかった。宮台真司が「新現実」の2号において、「高度資本主義的な現実の流動性を軽やかに生きていくはずだった援助交際少女」は、メンヘル少女となり、リストカット、オーバードーズ、自殺未遂を繰り返していると書き、彼女たちの存在を持ち上げた過去を自己批判した。一方、抗精神薬やドラッグ、トランスミュージック、さまざまな人格改造によって自己を変革し、そこそこ気楽に生きていけるはずだった鶴見済の読者や、彼自身でさえ、いまだ精神的健康を取り戻しているとは思えない。薬によって楽にいきるはずの彼らが薬物療法の負の悪循環にはまり込み、さらにその量と種類を増やし、副作用に苦しんでいる。

 結局のところ援助交際ギャルも、イケてるお薬、音楽にノリノリなツルミストも、最初から「生きづらさ」によって主体性を規定されたメンヘラーであり、それがあたかもメンヘラーであること、つまり、薬やセックスという現実逃避の手段を堂々と肯定する、宮台や鶴見の「一見、フーコーやルーマンで味付けされた、高度な社会学的言説」に寄りかかることで、壊れた自分を社会的にアイデンティファイしていく、という作業に夢を見出していたのだけれど、そんな付け刃はあっという間に剥がれ落ちてしまった。最初からメンヘラーだった者が、変な親父と行きずり的にセックスしまくろうが、薬と音楽で意識を飛ばそうが、よけいぶっ壊れるだけに決まっている。そんな、よく考えれば誰にでもわかるような結末にいたっただけじゃないだろうか?(多分、ここで問題にするべきなのはなぜ、そんな幼稚な言説にみんなハマり、薬だ、トランスだ、援助だ、と、集団的躁状態になっていたか、だ。鶴見の本はトータルで250万部も売れ、宮台の本も10数万部は売れているハズ。そして今となっては、そんなものがあったことさえ忘れられている)

 最近、鶴見済の仲間だった吉永嘉明が出版した「自殺されちゃった僕」には、鬼畜系のブームの中でドラッグとレイブにのめりこみ、自分を見失っていく彼とその仲間や、自殺した妻、ねこぢるの厭世感が満ち溢れている。そしてそれらが一巡した現実においては、ひきこもり、ニート、フリーターといった問題が、終わらない不況、長引く戦争によって深刻化し、さらにゴスロリ殺人事件、練炭自殺事件といったメンヘラーの関わる事件が社会問題化している。このいや増す時代閉塞の現状とサブカルチャー、メンタルヘルス、ゴスという3つの流れの関係性において、「まったり」だとか、「ドラッグ」や「「トランス」、「援助交際」という、もはやまったく効き目がないことが証明された「世紀末の処方箋」をごみ箱に叩き込み、現実を直視しなければならない。
 
 メンタルヘルスとゴスの関係性とは何か?ゴスロリ殺人事件に代表されるまでもなく、リストカッターや自殺志願者に、ゴスロリもしくはゴスに対する嗜好性の強い女の子が非常に多いという事実。雨宮処凛のようにヘビーメタル、ヴィジュアル系のおっかけから、右翼パンクバンドへ。もしくは鶴見済、清野栄一、上野俊哉、ねこぢるのように、左翼的なパンクスからサイケデリックトランス(メタルとの類似性がよく強調される。構造的な様式美とその「泣き」を追及するテクノミュージック)へと移行し、細分化した90年代の感性の変化。こういった動きは何だったのか?このような諸所のサブカルチャーの横断的な流れと、高原氏が言う「ゴシックハート」と「メンタルヘルス」について話し合う。もはや00年代においては「メンタルヘルス」と「ゴス」こそがサブカルチャーにおいて重要なキーワードであることは否めないのだから。





 ゴシックハートとメンタルヘルス
~今、生きづらさの様式美を巡って~

 3月6日(日) 午後7時会場、7時半開始 
場所 早稲田大学文学部正門、斜め前、居酒屋「あかね」
地図と電話番号等は下記のコミュを参考にしてください。
http://mixi.jp/view_community.pl?id=60859

 明日は今日よりも幸せであるとか、人間精神は改良できるとか、人は平等であるか、努力すれば必ず報われるといった言葉を信じられなくなったとき、すなわち近代的民主的価値観が力を失ったとき、ゴシックはその力を発揮する。たとえば貧富の差が拡大し、富む奴は富に富み続け、貧しい者はそこから抜け出す術がない、不合理不条理な制度がまったく改まらない、社会的階級がはっきりし、立場のよい者がすき放題に弱者を苛み、やられる奴はやられっぱなし、しかもそれを変更する手段がない。そのための憎悪と軽蔑が剥き出しになり、よりひどい偏見が拡大し、排他的な民族主義や帝国主義が自らを正義と主張し続け、そこから発する暴力を多数が指示している。2004年現在だ。

 こういう場で単純に明るい未来と人類の善性を信じられる人がどれくらいいるのだろう。現実の制度の多くが優位者のためのものであることは既に見透かされている。

 そして実のところ、現実社会という「誰かのための制度」を憎み、飽くまでも孤立したまま偏奇な個であろうとするゴシックは、そういうクズな世界での抵抗のひとつなのである。

                      高原英理 「ゴシックハート」より

  
 時代閉塞の感覚、つまり、この世界を生きづらいと感じることと、ゴシックハートは、決して無関係ではない。そして「健康的な精神」をこの世界で保っていくことができなくなった人々、それを自らの、いや、自分たちの呼び名として名乗った人々、「メンヘラー」「自傷らー」もまた、この感覚とは無関係にはいられない。「ゴシックハート」と「メンタルヘルス」を繋いでいるのは、この世界を生きることの生きづらさ、「世界の不毛性」ではないだろうか?

 この対談では「ゴシックハート」の執筆者であり、澁澤龍彦氏、中井英夫氏の流れを直接受け継いだ高原英理氏と、「BURST」誌上でデビューし、「リストカットシンドローム1、2」を記した、ロブ@大月氏を招いてゴシックハートとメンタルヘルスについて語り合う。そしてこの二つについて語り合うことは、この世界の不毛さをどう生きていくのか?という問いに答えようとすることでもある。高原氏の深く、聡明な知識と知性、それと、数千人のリストカッターや自殺志願者に会い、長年にわたって取材し続けてきたロブ氏の経験から、果たしてどんな光が見えてくるのだろうか?  



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