「悲しき南回帰線」レヴィ・ストロース氏、死去。


▼「悲しき熱帯」レビストロース氏死去 「構造主義の父」
http://www.asahi.com/obituaries/update/1104/TKY200911030404.html

 朝、朝食を食べていると同居人から不意に聞かされたニュース。彼女はツイッターで知ったらしい。届いたばかりの新聞を開くと記事が出ている。ミクシのマイミクの日記にもちらほら・・・ポスト構造主義の大御所達の多くが・・・バルトやドゥルーズ、ガタリ達が・・・かなり衝撃的だったり、不幸な死を迎えたのに比べれば、100歳までほぼ健康で、旅行にも出かけていたらしいという氏の晩年は、静かで構造的に安定した余生だったのだろうか?最近ようやく「悲しき南回帰線」に手をつけて、軽妙で洒脱な、しかし悲しみによって静かに抑制された語り口に惹きこまれているのだけれど、探検や冒険の跡に広がった「開拓」と「搾取」とが、同じ「exploitation」で表現されるように、大航海時代からグローバリゼーションに晒され、失われていく文明の確かな手ごたえだけを感じて、静かに哀しみを増していたような気もする・・・  


悲しき南回帰線」の冒頭で彼はこう書いている。


>幻想は綾を織り始める。未だ安売りも、汚れも、呪われもしていない光景が燦然と輝きわたっていたときの、真の旅行者の時代に私は生きたかった。

>人間の文化は互いに交流し合い、互いの接触によって腐敗し合う可能性が少なければ少ないだけ、互いの探りあいによってこの多様性の豊富さと意味とを認める可能性も少ないのだ。

>数百年後にはこの同じ場所で、ある旅行者が私のように絶望感に打たれ、私には見ることができたものが、すでに失われているのを見て、おそらく嘆き悲しむだろう。見るもの全てに私は傷付き、十分に見ていないのではないかと、絶えず自分を咎め、私は二重の悲しみにとらわれていた。


 しかし、ゆっくりと彼は過去の亡霊から蘇生する。


>引き潮の中に私の思い出を巻き込みながら、忘却は思い出を使い古すよりも、また埋葬するよりも以上のことをした。忘却はこれらの断片の中から深い組織を作り上げ、私は安定した平衡感で立ち、もっと明るいイメージが描けるようになった。一つの秩序が他の秩序に変ったのだ。

>人はみな、自分の心の中に、彼が見たり愛したりしたも全部でできている一世界を持っているものだ。そして知らない世界を駆け巡り、そこに住まっていると思うその時でさえ、彼はそこへ戻っていくのだ。       

                        シャトー・ブリアン


 失われ続ける過去にとらわれていてばかりでは、何も見えてこないのかもしれない。奇妙な現代文明との出会いから生まれた新しくもキッチュな文化さえ、あっという間に伝統、つまり、永遠や不変、化石のようなイメージへとすりかわる。例えばスペイン人が大陸に持ち込んだ「馬」を、インディアンが大昔から乗りこなしていたかのような錯覚・・・ 「馬」がヨーロッパから持ち込まれるまではインディアンは素朴な農耕民族か自然採集民族だった。持ち込まれた「馬」が彼らにバッファローの狩猟を可能にし、遊牧民へと進化させ、さらにそこから狩場を巡る縄張り争いや戦争が生まれたのだ。過去も現在も未来も、人々は絶えず交流し、変化し、そして忘れつづける。記憶の地層はそっと堆積し、時に湾曲し、引き裂かれ、隆起する。膨大な時間をかけて。どこに行けば新しい過去が掘り出され、それは未来をどう変えるのだろうか?もしくは何も変らないのかもしれない。森山大道が言うように「過去は常に新しく、未来は常に懐かしい」のだから。



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