「日常が帰ってくる・・・  」と、「イルコモンズ逮捕はBANKSYが予言していたのだ!!」

今月の3日から始まった怒涛の10日間が終わって、今日、久しぶりに職場へ。よく考えたらこの10日はずーっとデモやらキャンプやら移動に追われていて、一人でいる時間や、いつもの決まった空間やら人間関係から遠く離れていたのだった。久しぶりに職場に帰ってきて、ぼんやり本を読んだりTVを見たり、窓の外を見ていると、懐かしさとはまた違った、少しの間途切れていたけれど、現在形で続く、手になじんだ定型があって、そこにすっぽりと納まっているといつもの布団みたいな感じで、のびのびと手や足を伸ばしてマットレスやシーツの感触を確かめるように、時間や空間を確かめ、落着くことができるのだった。窓から零れ落ちてくる、いつもの帰宅途中の子供達の声や、新聞配達のバイクとか、介助している障害者の生活の刻みだすリズムの中で、ぼんやりと痴呆のような幸福を味わう。


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 とはいっても、塀の中の3人にまだまだ日常が帰ってくることは無い。早く彼らにも彼らの居場所でのびのびして欲しいのだけれど・・・ もしくは、逮捕という非日常を日常として生きる強さをすでに身に付けていてくれればいいのだけれど・・・・



 今日は山口昌男の「道化的世界」を読んだ。下記の部分を読んでいると、クラウンアーミーの格好のまま、つまり、迷彩柄の戦闘服にオレンジ色のアフロヘアー、赤色のでかッ鼻という道化姿でサウンドカーから引き摺り下ろされて逮捕されていったイルコモンズさんのことを考えずにはいられなかった。


以下、引用


 時間、空間を越えた秩序の相対性の証しとしての道化は、それ故、絶えず、秩序の内側に眠りこける常人を挑発し、彼の住む世界が相対的なものに過ぎないことを思い知らせることによって、秩序に対する醒めた信頼を取り戻させるよう期待される。勿論、秩序が弾力を失うときに、それは先ず道化的な時間、空間、行為を敵視して、これらを絶滅しようとはかる。中世期末期の西欧に起こったことがそれであった。この時、カーニバル的表現が、革命的エネルギーに転化されることは歴史の示すところである。

                                    「道化と詩的言語」より


 なぜ、太鼓を打ち鳴らし、騒ぐというささいな祝祭が公安禁止条例によって禁止されなければならないのだろうか?なぜ、DJが二人も逮捕されないといけないのだろうか?それらは狂気だろうか?テロだろうか?危険なのだろうか?本当に?わざわざ逮捕までして取り締まるようなものだろうか?本当に権力が強固であり、どっしりと居座っているのならば、それは寛容な王のようにあらゆる批判とあざ笑い、嘲笑を繰り返す道化を放置するだろう。大衆や民衆の不満のガス抜きのために。そころがそんなささいな存在さえ、ガス抜きという権力の相補的な対立項さえ排除するような権力は、もはや弾力性を失い、硬直化したシステムに他ならない。遊びの無いシステムは力をうまく逃したり、泳がせることなく、ぽっきりと折れるだろう。




PS 写真はBANKSYの写真集より。イルコモンズさんは確実にこれを狙っていた!?と、逮捕前のクラウンアーミールックのイルコモンズさんの背中。ちなみに、バンクシーの絵の横には「You told that joke twice」の言葉が・・・ 



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