Death in Venice

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「とにかくね、僕にはね、広いライ麦の畑やなんかがあってさ、そこで小さな子供たちが、みんなでなんかのゲームをしてるとこが目に見えるんだよ。何千っていう子供たちがいるんだ。そしてあたりには誰もいない——誰もって大人はだよ——僕のほかにはね。で、僕はあぶない崖のふちに立ってるんだ。僕のやる仕事はね、誰でも崖から転がり落ちそうになったら、その子をつかまえることなんだ——つまり、子供たちは走ってるときにどこを通ってるかなんて見やしないだろう。そんなときに僕は、どっからか、さっととび出して行って、その子をつかまえてやらなきゃならないんだ。一日じゅう、それだけをやればいいんだな。ライ麦畑のつかまえ役、そういったものに僕はなりたいんだよ。馬鹿げてることは知ってるよ。でも、ほんとになりたいものといったら、それしかないね。馬鹿げてることは知ってるけどさ」
『ライ麦畑でつかまえて』J.D.サリンジャー 訳:野崎孝


「ブラック・アトランティックの歴史とは、あらゆるアイデンティティが不安定で移ろいゆくものであり、つねに未完成で、つねに作り変えられているものだということについて、さまざまなことを教えてくれる源泉なのだから。」
「音楽とその儀礼は、アイデンティティを理解するためのひとつのモデルを形成するために用いることができるが、このモデルでは、アイデンティティは、固定化された本質としても、審美家や象徴主義者や言語ゲーム理論家の意志や気まぐれによって再創造されるような曖昧で完全に偶発的な構築物としても理解されえない。」
「ディアスポラ概念の真価は、人種的共通性という係争点について、二項対立の窮屈な枠——特に本質主義と多元主義を対置するそれ——の外部で思考しうるような形で、差異化とアイデンティティを見定めていく企図にある。」
「できるかぎり単純な用語で言えば、人種的非従属者が世界にそうあってほしいと願うとおりに、世界自身に抗う世界として世界を措定することによって、この音楽という文化は、現在を生き延びていくために必要なたくさんの勇気を与えてくれる。」
『ブラック・アトランティック 近代性と二重意識』ポール・ギルロイ


「創造するということは、決して多少にかかわらず浮薄な遊びではない。創造者は、彼の創造した者たちが冒す危険をとことんまで自分自身に引受けるという恐ろしい冒険に身を投げ入れたのだ。その起源に愛が存在しないような創造は考えることができない。人はどのようにして自己の面前に、自己と同じほど強いものとして、軽蔑あるいは憎悪すべき者を置くことができるだろうか。しかしそのとき、創造者は彼の人物たちの罪の重みをみずから背負うであろう。イエスは人間と化った。彼は贖罪する。神と同じく、彼は人間たちを創った後、彼らをその罪から解放するのである、——彼は鞭打たれ、顔に唾され、嘲弄され、釘づけにされる。これが、「彼(主)はその肉身において苦しみたもう」という表現の意味なのだ。神学者たちの言うことなどかまうまい。「この世の罪の重みを担う」とは正確に次のことを意味するのだ、——すなわち、あらゆる罪を、潜勢としてまた顕勢として、その身に感じること、すなわち、悪を身に引受けたこと、である。すべて創造者は、このように、彼によって与えられ、彼の創造した者たちが自由に選びとるところの悪を背負う——この語は弱すぎるだろう——それを自己のものとすべきなのだ。それが彼を構成する質料であり、彼の血管の中に流れていることを意識するまでに、それを自己のものとすべきなのだ。この点に、私は「創造」と「贖罪」というあの慈悲深い神話の数多い活用の一つを見たいのである。あらゆる創造者は、その人物たちに自由意志を、自己を自由に処理する権能を付与するとしても、心の中ではひそかに、彼らが「善」を選びとることを願っているのである。あらゆる恋人が、相手から、他の顧慮からでなしにただ自分自身として愛されることを願うのは、これと同じことなのである。」
『泥棒日記』ジャン・ジュネ


「繰り返しますが、女の人にえらそうにすると、戦争が起きます。女の人にえらそうにさえしなければ、戦争はなくなるのです。」
『正しい保健体育』みうらじゅん


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  • By intellipunk / Sep 29, 2007 2:26 am

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