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続・存在の耐えやすい軽さ

ある深さを持つ人間にとって人生に堪えうるには一般には一つの可能性しか存しない。即ちある程度の浅薄さということである― ゲオルグ・ジンメル

さすがジンメル先生、社会学なんて奇特な学問を思考した人間だけあって、社会のことがよくわかってますな。「もののあわれ」を知っているというか、人の道に通じているというか。デュルケムやウェーバーの影に隠れがちだけど、社会学オリジネーターのなかでボクは彼の考えたことが一番好き。なんて元社会学徒として一応言ってみたが、実はジンメルを引用でしか読んだことがない。冒頭の言葉も『現代思想』で連載していた酒井隆史「通天閣」(単行本化に期待!)からのエピグラフ泥棒。

なぜに大阪の話にジンメルなのか? 大阪の作家、織田作之助に川島雄三が宛てた書簡に引用されていたのがジンメルのこの言葉だった。「戦中ってなんか空気重いよねー、こんなときってあえて軽さだよねー」と二人は意気投合して、あの有名(?)な「日本軽佻派」が結成されたという。この二人の天才を繋げたのがジンメルだっていうのがオシャレ関係ないい話(森繁や山茶花に繋げることだってできる)。

ジンメルの関係についての考察が面白いのは「虚言」や「秘密」に社会形成における積極的な意味を与えていた点だろう。簡単にいってしまえば、嘘ってのは方便だし、秘密ってのは関係に奥行きを生じさせるってことなのだが、嘘も秘密も一切ない関係ってのを考えてみると確かに恐ろしい。そんな完全に溶け合ってしまうような関係であるならば他人である必要なんかないわけだし。

攻めの「嘘」と守りの「秘密」を駆使し、人は伝達される情報を極力、自分のコントロール化に置こうとし、(特に職場で!)他者との適切な距離感を保とうとするわけだが、実はこんな恐ろしい落とし穴があることをジンメルは指摘している。

人間の全交流は、より明瞭でない微妙な形式において、つまり断片的な萌芽を手がかりとして、あるいは暗黙のうちに、各人が他者についてその他者がすすんで明らかにするよりもいくらかはより多くのことを知っているということにもとづいている。しばしばその多くのことは、それが他の者によって知られるということをその本人が知れば、本人には都合が悪いことなのである。このことは、個人的な意味においては無配慮とみなされるかもしれないが、しかし社会的な意味においては、生きいきとした交流が存続するための条件として必要である。

ジンメル『社会学』第5章

今度は管野仁『ジンメル・つながりの哲学』(NHKブックス)からの孫引きではあるが、プロがセレクトした文章を読むのは無駄がなくてよい。とても深い言葉だが、簡単に言ってしまえばこっちが伝えたい以上についうっかり情報は伝わってしまうということだ。もう一発、ジンメル『社会学』第5章から。

心理学的に敏感な耳をもつ者には、人間は幾度となく自己の最も秘められた思考や性質を漏らす。

だんだんと新しい職場に馴染んできて一番ボクが危惧しているのは、そろそろいろいろと漏れているんじゃないかということだ。まあ、この漏れが交流を活性化するらしいので心配はしないが安心もできない。存在を耐えがたくするような軽率な言動は慎みたいと軽率ながら思う。

オダサク.jpg
オダサクの死により日本軽佻派、解散。

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ラフターこと、Harpo Bucho

ラフターこと、
Harpo Bucho

コンセプト・メーカー。プレ・モダニスト。
エピソード・ハンター、もしくは見立て狂いの偏集者。情報剽窃と文化混淆と概念捏造と逸話収集が我がライフワーク。その他のことは印象操作と半笑いで別になんでもいいアナルコ・スーダラスタ(スピノザ派)。基本的に従いながら命じるスタイル。趣味はレアな考え事と身勝手な歓待。ハーポ・マルクス譲りの手癖の悪さでエピグラフ窃盗常習犯。「私は娼婦がドレスを脱ぐようにしてものを考える。永遠なのは、いずれにしても、そのドレスのフリルの方であって、イデアではない」(ベンヤミン/バタイユ・ミックス)、「歓待は撹乱的なもの、反時代的なものである。それは痴愚、狂気として、いたるところであらゆる分別、理性に抵抗する。歓待はまず何よりも国家理性に抵抗するのである」(ルネ・シェレール)。