希望は戦争。行徳哲男をひっぱたきたい。

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行徳哲男はこんな人

スティグレールはこんな人

行徳先生オーガナイズの箱根山中BE訓練の洗礼を受けたセミナー講師による、2日間のネオリベスピリチュアル研修を終えてぐったり。目標設定をして常に成功をイメージして暮らせば鬱病になんかならないだって。それを聞いて今鬱病が流行ってる原因がよくわかった。本人には自覚ないようだ。

行徳哲男の頬をスティグレールの手でひっぱたいたら、さぞや気分が晴れることだろう。実際、研修の休憩中には『象徴の貧困』を読みながら「人間であることが恥ずかしい」というスティグレールの想いに同感していたのだ。「感性の条件付け」に対しては戦争をしかけなければならない。

なん~って物騒な気分を高めているのは、本日下記のようなイベントをやるからです。強盗から始めよう、ただし、常にユーモアを忘れずに相手と方法を間違えないこと。あー全然予習できてないや。感性のチャンネルを合わせなければ!

強盗から始めよう!
〜ベルナール・スティグレールの監獄的現象学〜
日時:2008年3月1日(土) 20:00〜
場所:気流舎

ゲスト:マルボロ内親王
ホスト:ハーポ部長
参考文献:『象徴の貧困』『愛するということ』『現勢化』の三冊のスティグレール本

無料。投げ銭制。

以下は、マルボロ内親王本人の告知日記。

来たる三月一日の20時から、下北沢にある「対抗文化専門古書」という古本カフェバー気流舎にて、知り合いのHarpobucho主催の「カルチャーショッキングVol,2」というイベントがあり、なぜかそこで僕が話しをすることになっています。で、その宣伝です。

僕が理解するところによれば、「カルチャーショッキング」っていうのはいわゆる「異文化交流」というものよりもうちょっとゆるくて、とりあえず自分の知らないことを知ってたりやってたりする人を呼んで話を聞いたり質問したりして、「へぇー、そんな世界もあるんですねぇ」と三回から四回程度うなずいてみるくらいの距離感でとりあえず未知のものに接してみようという、シャイで引っ込み思案でありながらそれなりの好奇心を持っている、そんなあなたにやさしい企画です。

で、この企画を可能としているのが、一年ほど前に下北沢にできた気流舎という空間です。ロッジ(フリーメイソンじゃない方の)風の入り口から入ると、四畳半ほどの空間のまんなかに大きな柱と机があって、それを本棚が取り囲んでいる。入り口の右手にはかわいらしい台所があって、そこでお茶を沸かしたりしている。お酒もいろいろあって、とくに「よなよなビール」というとてもおいしい地ビールがあります。とにかく、このほっこりと親密な感じのする空間が、「カルチャーショッキング」という企画を支えています。

ホームページもあります。

場所

上のホームページにも載っていますが、僕が話すのは、フランスの思想家、ベルナール・スティグレールという人についてです。この人は技術の哲学ということを考えている人で、僕が中心的に勉強している人でもあります。若い頃、なんと銀行強盗の罪で五年間服役をしていたことがあるという異例の経歴の持ち主で、Harpobuchoもその辺のエピソードが面白そうだと思って僕に声をかけてきたようです。

「ショッキングかつキャッチーな感じでよろしく」という話だったので、相談の結果、とりあえずつかみとしてはその監獄エピソードを前面に出していくことにしました。スティグレール自身が、その入獄体験を自分の哲学の道の出発点に位置づけているので、この演出にはそれほどやましさを感じなくてもすむのです。

このスティグレールさんは、たんに哲学における一つの分野としての技術の哲学というのではなく、哲学の根幹としての技術の哲学というものをプラトンにまで遡る壮大な射程で議論している人なのですが、今回はそんな話は胃にもたれるだろうということと、またその辺の議論を展開している本の邦訳がまだ出ていないということもあり、もう少しわかりやすいトピックに焦点を当てることにしました。おおまかにいうと、マーケティング批判とか、そんなやつです。

そこに、センセーショナリストであるHarpobuchoが、同じく入獄体験をもち、また近く来日することになっているアントニオ・ネグリという人を挟み込んで来るそうです。このHarpobuchoという人は類まれなるエピソード・ジョッキーであり、今回は監獄と思想家といった軸を中心にしながら、面白そうなエピソードを集めてきてくれるようです。これは僕としても楽しみなところです。

おおまかな感じとしては、僕が一方的に話すというのではなくて、できるだけその場にいる人とやりとりしながら進めていく、という風にしたいとHarpobuchoが言っていたので、そうなるといいなと思っています。気流舎自体が、15人も入るとロフトも含めてかなり窮屈になるような場所なので、そういうゆるい流れが適していると思います。長さは、一時間から長くても一時間半くらいになるのじゃないかと思っています。

入場はもちろん無料ですが、気流舎さんはなかなか経営が厳しいということなので、できれば積極的にお茶やお酒を注文したり、また本を買って行ったりしてもらえれば、気流舎さんが一日でもながくつづいていくことができるようになります。また、最後にはカンパ箱を回すので、もしよろしければそちらの方にもご喜捨をお願いできればと思います。

不特定多数の人の前で話すという機会は普段はないのでうまく行くか心配ですが、でもとりあえず気流舎という場所は一度は来てみる価値があると思います。なお、そんなにたくさんの人は来ないと思いますが、もしかしたらいっぱいになってしまったり座れなかったりという可能性もあるので、確実に座りたかったらお早めにどうぞ。

最後に、書けといわれて書いた宣伝文を貼っておきます。

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1831年、26歳のチャールズ・ダーウィンはビーグル号に乗り、進化論のヒントを彼に与えることになるガラパゴス諸島へと出発する。1905年、26歳のアルバート・アインシュタインは「特殊相対性理論」、「ブラウン運動の理論」、「光量子仮説」を発表し、人びとに「奇跡の年」と呟かしめる。そして1978年、26歳のベルナール・スティグレールは武装強盗を決行し、彼の哲学の揺籃の地となるトゥールーズのサン=ミシェル監獄に収監される。

ラカンは言った、「原因はうまくいかないところにしか存在しない」、と。なにかが故障するとき、われわれはまなざしの向きを変え、それまでは自明であった世界の方へと向き直ることを余儀なくされる。それゆえもし哲学が自明であると思われている世界のその根源を問うものであるとするならば、その哲学はすべからく一つの故障から出発しなければならない。そして哲学がその問いを極限にまで高めようとするならば、その哲学は必然的に、極限の故障から出発しなければならない。

犯罪とは、世界の世界性の故障にほかならない。犯罪において世界は根本から頓挫する。しかし世界はその頓挫からの回復方法を発明した。それは監獄である。そして世界は犯罪者をその監獄へと送り込む。ただし断っておくが、これは決して犯罪者を罰するためなどではない。それは思索のため、犯罪者が具体化した世界の故障のその原因を深く思索させるためにこそ、世界は犯罪者を監獄へと送り込む。あまり知られていないことだが、監獄とは哲学者の養成所であるのだ。

外界から切り離された独房のなかでは、世界は完全に宙吊りにされる。囚人はその世界の純然たる不在のなかで、ほかならぬ世界そのものについての思索を迫られる。ベルナール・スティグレールもまた、彼が「実践的エポケー」と呼んだこの監獄的な世界の宙吊りのただなかで、その独自の哲学の歩みを開始した。それは監獄で磨き上げられた監獄的現象学だ。

人は犯罪という思いもかけぬ故障を通して、監獄で哲学者に生まれ変わる。そして哲学という名に磨き上げられた世界の故障は監獄から持ち出され、世界を新たに組み替えるための武器になる。

哲学はすべからくミニチュア化された監獄である。それ自体が監獄に起源をもつ哲学は、僕らを束の間あの世界の不在という独房のなかに閉じ込める、持ち運び可能な監獄である。哲学が語られるたびごとに、そこには監獄が、世界の故障が繁殖する。ここに、そこに、いたるところに、監獄が繁殖する。さあ監獄から始めよう!監獄から監獄を持ち帰ってきたベルナール・スティグレールとともに!


  • HarpoBucho
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  • By harpobucho / Mar 01, 2008 12:33 am

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