RLL22

remember Seattle 1999

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LINER NOTES

1999年11月30日シアトルで開催された、WTO閣僚会議に、世界各国から「反グローバリズム運動」として10万人の群衆が結集した。アメリカのクライストなアナーキスト集団やゲイ・ビアン系セクシャルマイノリティー、環境・人権保護団体の活動家、チベット解放運動支援者にメキシコサパティスタ民族解放軍支援者、はては共和党青年組織までもが加わった、もうわけわからん大同団結が起こった。アメリカ緑の党で大統領選にも出た消費者運動家のラルフ・ネーダーが呼びかけ、全世界からNGOや個人が集まり平和的な抗議が行われたのだ。会議会場は「人間の鎖」が幾重にも張られ、WTO会議に参加する各国団体代表は車では辿り着くことができなかった。

これは様々な問題を生み出したWTOによる非公開密室でのグローバル・ルール取決めへの反発だった。しかし、これが新世代のデモンストレーションの発表会の様だった。レイブの如き踊る群衆と爆音のダンスミュージック、色とりどりの衣装と派手なパフォーマンス、風刺に満ちた横断幕に笑えるコール&レスポンス。DJのFILASTINEも「THE INFERNAL NOISE BRIGADE」で行進を鼓舞する鼓笛隊を活躍させた。これらの新しいお洒落運動については毛利嘉孝著『文化=政治』に詳しい。

しかし一部のグループが、文化侵略/児童就労/第三世界搾取/不当労働規約の象徴であるグローバル企業のマクドナルド/ナイキ/スタバ/GAP等の店舗を襲撃すると州は非常事態宣言を発令。警官がバッジを外して無抵抗の参加者にボコボコ暴行、機動隊が非暴力のデモ隊にゴム弾を水平撃ち、催涙ガスやペッパー・スプレーを噴射して突入、州兵が出動し大勢を逮捕、後に伝説として「バトル・オブ・シアトル」と呼ばれるようになるデモ隊への市街戦が行われたのだった。

しかしインターネットが駆使されデモ隊の正当性が明らかにされると、当時の大統領クリントンに「街頭におけるNGOの声は尊重されねばならない」「デモ隊も交渉に参画すべきだ」と語らせ会議は頓挫した。「反グローバリズム運動」はシアトルで勝利し、ここにシアトル以後という転換点を歴史に刻み込むこととなった。今じゃ68年の5月革命以上に大事ねコレ。

[REMEMBER SEATTLE 1999]は9.11以後の管理社会の中で、かの勝利の歴史と情熱的連帯、そして何よりも官憲の催涙ガスを忘れず伝えるため、ガスマスクをモチーフとした。(そして実はこのガスマスクの画は、RLLクルー∞+∞=∞が韓国で買ってきた日本の某ストリートブランドのタグの付いたバッタ物Tシャツの絵柄!パクリのパクリ!これぞ反グローバル!?)

ボディの色はチャコール・グレーとゴールデン・イエロー。勝ち癖を着けろ!

sold out!!



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