RLL70
Black Power
ブラックパワーは、60年代アメリカにおける公民権運動の熱いうねりのなかで生まれた新しいエネルギーのことだ。発明者はSNCC(学生非暴力調整委員会)議長ストークリー・カーマイケルだといわれているが、事実はたぶんこうだ。彼が街中で「ブラックパワー!」と力強く叫んでみたら、人々が集まり、同じ叫びを繰り返すようになった。この概念の発明者はコールにコールを重ねた名もなき民衆たちだといえるだろう。このようなコール&レスポンスの文化は、ブラックパワーのエネルギー増幅装置として機能している。
このブラックパワーという新種のエネルギーが持つ潜勢力を恐れたマスメディア(白人権力機構!)は、巧妙なイメージ操作により、この言葉を暴力と強く結びついた物騒なモノに変換する作戦に出た。たとえばこんな感じだ。テレビにカーマイケルを出演させ、挑発的な発言を引き出し、都合よく編集する。その後にブルジョワ層の黒人指導者が現われ、解説のふりをして嘘をお茶の間にばらまく。このアンジェラ・デイビスの涙目の訴えを聞いてほしい。
[youtube]http://www.youtube.com/watch?v=eYHnwjIMXgE&feature=player_embedded[/youtube]
現実に起こっていることと、マスコミが流す情報とのあまりのギャップに怒り心頭。みんなで路上に繰り出して声をあげようとしたら、テンションがファンキー過ぎて暴動になってしまった。そんな長くて熱い夏もあった。
今日、日本においてブラックパワーとは何なのか。暴動はそれなりに意味はあったが、やはりブラックパワー発電における事故だったといえよう。これを繰り返してはならない。ブラックパワーの効用は、なによりもその自己肯定力にある。「ブラック・イズ・ビューティフル」ってやつだ。この言葉の意味にそれほど価値があるわけではない。大勢が自信をもってこの言葉を声に出して発したということが重要だったのだ。自分を肯定すると同時に仲間を肯定すること。
ブラックパワーは、暴力ではなく、むしろその真逆にある世界を肯定する。愛、エロス、連帯、贈与、陶酔、自由、感謝、感激、歓喜・・・・脱魂(フリーソウル!)
こころとからだが交差する深いレベルで自分を肯定できたとき、はじめて魂は解放される。何も持ってないこと、すべてを失ったこと、絶望的に悲しいこと、をひとつひとつ受け入れた後は、すでにある大切なものを全力でひとつひとつ高らかに肯定していこう。ただそれだけだ。ニーナ・シモンは、そのやり方を歌で教えてくれる。
[youtube]http://www.youtube.com/watch?v=apdmD-5rFjQ[/youtube]
Nina Simone/Ain’t Got No… I Got Life
わたしには家がない 靴もない
金もなければ 品もない
友達もいないし 教育もない
仕事もないし 職もない
金がないから 居場所もない
父はいないし 母もいない
子どももないし 兄弟もいない
土地もなければ 運命もない
頼る教会もないし 祈る神もいない
誰にも愛されてない
ワインもないし タバコもない
服もなければ 祖国なんてない
品もないし 生徒なんていない
友達はいない
何もない
神様なんかいない
大地もなければ 水もない
食べ物もない 家もない
服がないって言ったよね
仕事もない
なんにもない
誰にも愛されてない
じゃあ、私には何があるの?
私はなんで生きてるの?
誰も私から奪えないものって何?
私にはこの髪がある
頭がある
脳味噌もあるし 耳もある
目もあるし 鼻もある
口があるから 微笑むこともできる
私には舌がある 顎もある
首もあるし おっぱいもある
ハートもあるし ソウルもある
背骨もあるし セックスもある
腕が 手が 指がある
脚も 足も 足の指もある
肝臓もあるし 血も通ってる
命がある
私は生きてる
頭痛もするし
虫歯も痛む
調子が悪い時もある
あなたと同じよ
私には髪がある
頭がある
脳味噌もあるし 耳もある
目もあるし 鼻もある
口があるから 微笑むことができる
舌がある 顎もある
首も おっぱいも
ハートも ソウルも
背骨も セックスも
腕が 手が 指が
脚が 足も 足の指もある
肝臓もあるし 血も通ってる
命がある
私には自由がある
心がある
私は生きている!
牙が剥き出しなのは、噛みつきたいからじゃない。歌いたいのだ。黒豹の生の讃歌を! がぉ~!!!
いつも心にブラックパワーを!
- Demo&Protests | Respect | Term
- By harpobucho / Jul 11, 2012 11:24 pm