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HarpoBucho: March 2009

4/2 ハーポプロ花見

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ハーポ・プロダクション主催による「河原者文化研究会」お花見を善福寺川沿いにある和田堀池周辺で開催します。平日昼間からお酒が呑める逆特権階級たちが集い「しのぎ」や「加齢」などの人生の問題についてトークして知識を共有したり、しなかったり。まあ、フツーの花見なので暇な方はお気楽にご参加ください。

場所はカワセミが生息するまさに市中の山居的スポット。桜も満開のことでしょう。生前の丹波哲郎が糸を垂らしにきていたといわれる釣り堀も異界度高くてオススメ!

日時:4月2日(木)14:00~日没
場所:和田堀公園内和田堀池周辺
↓旗の立っているあたり。ラジカセが目印。
http://standard2.pmx.proatlas.net/p4589j29/user_page.php?id=p4589j29&c=35/40/56.158,139/38/34.611&layer=2&t=%E5%92%8C%E7%94%B0%E5%A0%80%E5%85%AC%E5%9C%92&pos=I1:P35/40/56.158,139/38/34.611

※各自、飲食物持込でお願いします!
※4月1日開催予定でしたが、雨天っぽいので翌日に変更しました。
※事情により場所が急に変更になるかも!
※RLLのTシャツ、リクエストあれば持っていきます(在庫次第)。ご質問あればメッセください。

和田堀公園へのアクセス
http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/access095.html
園内マップ
http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/map095.html

駅から距離あって辿り着くまでけっこう難あるかも。

有罪者、夜まで幽閉

今日は一日部屋に閉じ込められている。ハローワークに行こうとドアをあけたところ、足がとまる。アパートの外廊下にゴム素材の下地を朝一で塗ったため、乾くまで外出できないことに気づく。

たしかに昨日、業者さんが挨拶にきて、この事態を把握していたつもりだが、具体的な作業時間を聞いていなかった。時すでに遅し。さきほど大分乾いていたので恐る恐る靴下を履いた足を地面におろしてみたが、靴下の生地がメリっとが地面にひっついた。まずい。足跡を残してはいけない。完全に乾くには夜まで待たなければなるまい。ハローワークに行けない。夜が待ち遠しい。

鎌倉のお洒落カフェやギャラリーを廻ったり、ハーブやイチゴの苗木を入手してベランダでボタニカル・ライフをはじめたり、週初めからグラスルーツで踊ってみたり、今日なんかは幽閉生活=読書のチャンス、ってことで20世紀の思想の星座を頭の中に散りばめてみたり、なんだが優雅な無職生活なのだ。仕事への切迫感がないのは、「百年に一度の大不況」という言説のせいか。百年の蓄積には敵わない。

本日のエピソードハンティング読書は矢代梓『年表で読む二十世紀思想史』、今村仁司『思想の星座』、青土社の新刊、酒井健『バタイユ』。矢代氏の逸話細部への執着、今村氏の西洋思想家への毒舌、酒井氏の「夜」への探究心に刺激されながら、今後の「しのぎ」問題について考える。あー暗くなってきた。気分が、じゃなくて、外の明るさが。夜は近い。

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「私は、一人のまま、こみあげてくる笑いの潮に溺れていく。海の動きのように穏やかで、屈託のない笑い。私は夜の広大な光のなかに、私の非情な陶酔のなかに、私の不安のなかに、横たわる、すべてを空しいと知ることで、私は耐えているのだ。これほど気違いじみた仕方で戦争を捉えている者は一人もいない。そうすることができるのは私一人だけだ。他の人々は、心身を存分に責めさいなむ陶酔とともに生を愛してはいないし、悪夢の闇のなかで自分を見出すこともできずにいる。幸福な笑いから出口なしの興奮まで続く夢遊病者の道を、彼らは無視している。」
(ジョルジュ・バタイユ『有罪者』第一章「夜」)

師弟愛

女性アシスタントが入る余地のない男の世界・・・

資本主義解体講座
By 地下大学東京
「新自由主義は終わるのか?」
───『金融危機の資本論』(本山美彦+萱野稔人)から

萱野稔人(哲学)+山口素明(フリーター労組)
コーディネート:平井玄

・ 3月28日(土)14時から
・素人の乱12号店 北中ホール
・資料代500円+できたら投げ銭

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貧乏人は生き延びることができるのか?そんな言葉がこの身に食い込む。
今、私たちはかつて経験したことのない「時間」を生きている。
製造業の派遣切りや正社員削減ばかりがメディアで取り沙汰された。
だが彼らの行き着く先、都心部フリーターこそ食えない。
1月から仕事がゾッとするほど激減した。

月10日以上仕事のある者など、周りにはまったくいない。
1月はまだ去年の蓄えがあった。2月になると、ATMが吐き出す
残高記録を見るたびに痩せていく数字が眼に痛痒い。
やってくる春のことなど考えたくもない。彼らのメールで囁かれるのは、
「これがいつまで続くのか?」ということばかりだ。

終電が終わった新宿駅の地下に行けば、まだ油染みの少ないジャンパー
で段ボール1枚持って寝場所を探す人たちに会うことができる。
JRから地下鉄へ向かう通路の脇で、邪魔にならないように縦に並んで寝る。
これまで見たこともなかったその「縦」の列が日ごとに長くなる。
ハウスの作り方を、この元派遣や元フリーターたちが覚えるのは早いだろう。

毎日毎日、アパートの部屋で携帯を握りしめながら就活と失職を繰り返す
女たちや男たち、食い物を探して街の隙間から隙間へと身を隠すように移動する
人間たちの姿を、当局者はどうカウントするというのか?
この国が発表する統計数字は人を騙すためにある。
目の前で地下に流れ込む人間たちの濁流こそが、今起きていることである。

これは大地震や巨大津波のような、どうにもならない「自然災害」なのか。
「百年に一度の大恐慌」とは、そんな「自然循環」の幻に人を閉じこめる言葉。
「恐慌、貧困、危機」とタイトルされた本はみな、企業タワーの最上階でエリー
トたちが自分のために語る言葉か、「這いつくばってどうにかやり過ごせ」とい
う奴隷の言葉で書かれている。貧乏人にはブックオフで買う気も起こらない。

2年前まで院卒フリーターだった萱野稔人が、68年を経験した経済学者である
本山美彦と語り合った『金融危機の資本論』は、この閉じた「時間」をこじ開け
ようとしている。今はちょっとした「調整」の時、と値の下がったネオリベ株に
しがみつく亡者どもと、生き延びるための具体性になかなか手の届かない
「プレカリアート運動」との間に、きわどい「逃げ道」を作り出そうとしている。

この落ちていく「時間」は、どこから来たどんな時間なのか?
貧乏人たちは、この「時間」をどう生き延びたらいいのか?
語られる「アジアに開かれた経済的ナショナリズム」はどんな「迂回」なのか。
そこに危険はないのか。その先にどんな未来があるのか。

萱野稔人によるこうした提起は、新自由主義にぶつかった晩年のピエール・
ブルデューが抱いた強い危機感を思わせる。腹の減った者たちは、このヤバさを
何よりもまず共有するだろう。食えなければ死ぬからだ。
ここから議論を始めよう。

私たちの友人が投げかけたこの貴重な提起について、
フリーター労組を担ってきた山口素明と共にしぶとく語り合いたい。

藍色のブルース

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昨日引用したベンヤミンの元ネタは『すばる』4月号の今福さんの『群島-世界論 特別編』なわけだが、そのサブタイトルが「ふたたび南に還る アメリカという藍色の希望」なのだ。そして今、ボクは強烈に藍色(ブルーブラック)の気分を味わっている。

今日、10年近く務めた職場を退職した。失業や失恋など「失」に最も合う音楽はブルースのほかにない。ロバート・ジョンソン、マディ・ウォーターズ、ジョン・リー・フッカー、アルバート・コリンズ、ブラインド・レモン・ジェファーソン、ハウリング・ウルフ、ボ・ディドリー、ハウンド・ドッグ・テイラー、ライトニン・ホプキンス、レッド・ベリー、リトル・ジョー・ワシントン、ジミ・ヘンドリックス、忘れてはならない偉大なる三大キング、吾妻光良&スインギン・バッパーズ、高田渡、そして何といってもスリム・ハーポ(以上がボクのPCに入ってる数少ないブルースマンのリストである。ブルース筆おろしの恩師エリック・クラプトンはあえて排除)の力強く腑抜けた声が心に染み入る。

ボクが一番信頼しているレゲエという音楽も広義においてブルースである。今福/ヒューストン・ベッカーJrが言うようにブルースとは移動性を凝縮した、極めて洗練された音楽表現なのだ。ある場所からある場所への移動の心象に深く訴えかける音楽がブルースの本質なのだと思う。60年代イギリスの移民音楽レゲエが「ブルー・ビート」と言われる由縁もそこにあるんだな。たぶん。

スーダラスタ・イエロー・ニグロなボクはどう転んでも黒人にはなれないのだが、「変りゆく同じもの」(リロイ・ジョーンズ aka アミリ・バラカ)としてのブラック・ミュージックには恩返しできないほどの負い目を感じている。その負債をどのように返済していくかが今後の最重要な課題なわけだ。

最近、やたら「河原者」という言葉が気になる木。失業という好機に恵まれ、失われた「業」について深く考えてみると、いつも辿り着く源泉が河原者なのだ。芸能のルーツであり、映画(活弁士)のルーツであり、庭師のルーツ。気違い部落としてのブラックカルチャー・アプローチ。

河原者文化研究会明日発足。まずは近所の善福寺川を歩くことからスタート。暇な方は限りなく透明に近いブルーな河原を斜め向いて一緒に歩きましょう。

以上、ブルーブラックな酔いどれ感傷日記でした。

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市中の山居

明日一日お勤めしたらオフィス労働者から失業労働者へ生成変化。やっほー! 有休休暇消化しきってちょい早めに降りる。

変化はすでに始まっている。今日は昼で仕事を切り上げ、新宿の百貨店地下にて職場の人にお別れのプレゼントを物色。今までの感謝と皮肉のメッセージをモノに込めるため、必死にセレクト。百貨店のヨリドリミドリ感にくらくらしながら、ふらふらフラヌールしてるとなんだか今まで体験したことのない世界に迷い込む。おもわず出費が嵩む。次回は財布を持たずに消費の密林に挑もう。街の中に金のかからない獣道を探せ。

「群集のなかに無理やり割り込んで消えてゆく通行人もいたが、自分のまわりにゆとりある空間を確保し、無職渡世を捨てようとしない遊歩者もいた。大多数の人々は自分の仕事に精を出さねばならないわけで、遊歩者が都市をほしいままに徘徊できるのは、彼がまさに無職の渡世人としてすでに社会の枠組みからはみ出している場合だけである。完璧に安逸な金利生活者の世界からも、都市の熱病的な雑踏の世界からもはずれた、彼は文字通りの制外者であった。」(ヴァルター・ベンヤミン『ボードレールにおけるいくつかのモティーフについて』)

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百貨店にて大量に羅列された商品を前にアタマクラクラなベンヤミン

今夜、素人の乱12号店でジェレミー企画「レ・ヴァンピール -吸血ギャング団」上映会。7時間近くある作品なので22時から朝まで。 失業前なので金のかからない娯楽はうれしいし、体験をみんなで共有するのは楽しい。起きていようが寝ていようが。

レ・ヴァンピール -吸血ギャング団- BOX クリティカル・エディション (3枚組)

サイレント活劇映画、伝説の作品。「吸血鬼(ヴァンピール)」という名の犯罪組織と、それを調査する新聞記者フィリップ・ゲランドとの波瀾万丈の闘い。女優ミュジドラが演じた悪の化身の美女「イルマ・ヴェップ」は、グラマラスな魅力をふりまき観客を熱狂させた。シュールレアリストたちの絶賛を浴び、興行的にも成功。画期的な連続活劇であり、スリラー映画の先駆け、アート=シュールレアリズム映画としての側面も持つ。

「スト決行!TBSからアナ消えた」

 TBSのニュース、情報番組に出演しているレギュラーのアナウンサー陣が13日、一斉に番組から姿を消す事態が起こった。TBSの労働組合が同日正午からストライキを行ったためで、組合員であるアナウンサーらも番組への出演を取りやめた。アナウンサーがストのため出演を見合わせるのは、他局を含めてもここ10年ほど例はなく、異例の事態だ。
  ◇  ◇
 「木村郁美アナウンサーは、今日はお休みです」。フリーの福沢朗キャスターが「ピンポン」でこう説明したのを皮切りに、午後から夜にかけて、人気アナウンサーの"欠席"が相次いだ。
 TBS広報によれば、今回のストは春闘の会社側の一次回答に対するもので、13日正午から深夜0時までの時限スト。このため「ピンポン!」のほか「2時っチャオ!」「イブニング・ファイブ」「ニュース23」などの生放送で組合員アナが不在となり、代わりに管理職アナウンサーや外部キャスターが穴を埋めた。また、番組内容も多少変えてしのいだという。
 TBSの労働組合は、TBSとTBSテレビ社員からなるユニオン制で、管理職以外は全員加入する。スト自体は正当な権利だが、ストライキによって番組に影響が出るのは極めてまれ。NHKを含めた他局でも、ここ10年は行われた例がない。TBSによれば「自分がストに入るか入らないかはそれぞれの判断」というが「除外申請」をすれば業務を行うことも可能という。
 TBSのストライキ決行を知った各局も驚きを隠せない。民放局員は「かなり昔はあったみたいだけど、最近はストが成立したことがない」「すごいね。ウチは組合が弱いからそんなことは起きたことがない」「伝説として聞いたことはあるが...」と、口々に驚きのコメント。NHK職員も「かなり昔はありましたが、画面上影響が出るようなことはここのところはないですね」と話した。
 各番組では「○○アナは休み」という事実だけを冒頭で知らせ、理由の説明は行われなかったため、TBSに問い合わせた視聴者もあった。
(3月14日9時37分配信 デイリースポーツ)

タレントなきタレントたちの空気読みあいゲームに疲れ果て、テレビを熱中してみなくなってしばらく経つが、出演者が全員消えたテレビならぜひ観てみたい。植物の成長を延々と映しているようなミニマルな放送を。

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闘争のアサンブレア

退職手続き終えた心情に「ハローワークかアサンブレア(都市住民たちによる近隣住民集会)か。」という帯の煽りは悪魔的に魅力的だが、ボクは欲張りなのでハローワークに通い職を探しつつ、ピケテロス(失業者)としての自覚も膨らませていくことにする。労働能力のある労働者として「失業者」であるという自覚。だからなるべく国から貰えるものはもらっておくよ。

この本は当初『アルゼンチン、社会の実験室』というタイトルで2004年に刊行予定であったが、「派遣村」のニュースで幕を開けた2009年に暮らすボクたちにとってこのタイトルは不適切だということで書名変更。約10年前のアルゼンチンの経験が、もはや純然たる「実験室」と呼べなくなっているのが今の日本の状況だろう。社会情勢の影響を一番最初に受ける失業者は、ある意味時代の最先端で、生き方として魅力的に思えてしまうのは当事者(4月から)だからこそ許される倒錯した考えか。

廣瀬純+コレクティボ・シトゥアシオネス=著
『闘争のアサンブレア』
http://getsuyosha.jp/kikan/asambleas.html

失業の先にあるのは「求職」「再就職」だけではない。
職場を占拠せよ、労働を拒否せよ、偽通貨を流通させよ! 闘いの都市ブエノス・アイレスが、いま、私たちに呼びかける。

政治経済運動の新たなる水平的・自律的集団性(アサンブレア)の構築へ。21世紀の始まりとともに、ネオリベラリズムに抗して立ち上がったアルゼンチンの失業労働者や職場占拠労働者、都市中産階級たちの様々な実践と挑戦を紹介。《生活=闘いのための作業仮説》をめぐる、熱き対話集。

(本文より)
「廣瀬:アサンブレアの試みにおいて興味深いことのひとつは、この運動が自分たち自身で互いに呼びかけ合うことによって出現したという事実にあるということ、政党によるリーダーシップも、労組によるリーダーシップもなしに生まれてきたということです。」
「コレクティボ・シトゥアシオネス:次のようにも言えるかもしれません。アサンブレアが構成したものは、都市部の断片化された空間全体のなかに国家的でも市場的でもないような公共空間を生産するための、潜勢力に満ちたひとつの新たなやり方なのだと。」

目次
まえがき  廣瀬純
第一章 19/20----権力を解任する民衆蜂起
ポジティヴな「NO」/蜂起の背景/新たな社会的主役/アサンブレア、ピケテロ運動、そして銀行預金者たち/略奪行為の意味/「みんな去れ、ひとりも残るな」/アルゼンチンにおいて「階級」を語ることの問題点/各社会階層の変化/ペロニスモ
第二章 ピケテロ運動----自律性・水平性の実践
アルゼンチンにおける社会的諸実践/ピケテロ運動とは何か?/社会プラン/二〇〇一年一二月をめぐる各派のスタンス/二〇〇二年六月二六日の虐殺/「自律性」と「水平性」/「自律性」と「自立」のちがい/運動に対する日常的な攻撃/新しい社会的関係の日常的な構築/アサンブレア的な実践/バリオとの関係性/近隣住民アサンブレアとピケテロスのアサンブレア/教会
第三章  雇用主のいない企業、オルターナティヴ市場
労働者たちによって自主管理された企業/占拠のありようの多様さ/ブルクマンで何が起こったのか?/「生産組合化」と「国有化」/弾圧の意味/工場占拠と女性たち
第四章 都市中産階級の政治化----近隣住民アサンブレア
アサンブレアのダイナミクス/近隣住民アサンブレアの出現と展開/グローバルな抵抗運動との関係/「占拠」に対する政府の態度/キルシネル政権と「民衆」
第五章 正義がないなら、エスクラチェがある----「母たち」と「子どもたち」
エスクラチェと「新たな革命的主観性」/「母たち」と「子どもたち」/新たな革命的主観性/民衆エスクラチェ委員会/アルゼンチンの「錯綜した歴史」/エスクラチェの一般化によってあきらかになったこと
付録  コレクティボ・シトゥアシオネス+サンドロ・メッザドラ
二〇〇四年七月----権力を解任するカーニバル/二〇〇五年一〇月----運動のメランコリー
解説 ブエノス・アイレス報告  廣瀬純
「みんな去れ、ひとりも残るな!」/「脱政治化された消費者」たちの闘争(アサンブレア運動)/失業労働者たちの闘争(1)----運動の震央としての「郊外」/失業労働者たちの闘争(2)----「市場」からの脱出/「我々はみな《五月広場の母たち》の子どもだ」(キルシネル政権)/「制度的正常」と「ふつうの資本主義」とへの回帰/さらば、ブエノス・アイレス
あとがき  コレクティボ・シトゥアシオネス

著者:
廣瀬純(ひろせ・じゅん)
1971年、東京生まれ。龍谷大学経営学部教員。仏・映画批評誌『VERTIGO』編集委員。著書に『美味しい料理の哲学』(河出書房新社)、『闘争の最小回路----南米の政治空間に学ぶ変革のレッスン』(人文書院)、『シネキャピタル』(洛北出版、近刊予定)。訳書にパオロ・ヴィルノ『マルチチュードの文法』(月曜社)、トニ・ネグリ『芸術とマルチチュード』(月曜社、共訳)、同『未来派左翼』(NHK出版)など。
コレクティボ・シトゥアシオネス(Colectivo Situaciones)
1999年、「運動としての調査」グループとしてブエノス・アイレスにて結成。著書に『19と20----新たな社会的主役についての覚書〔19 y 20. Apuntes para el nuevo protagonismo social〕』(2002)、『仮説891----ピケットの彼方へ〔La Hipótesis 891. Más allá de los piquetes〕』(2002. MTDソラーノとの共著)、『季節移動大学----テリトリー、ネットワーク、言語活動〔Universidad Trashumante. Territorios, redes, lenguajes〕』(2004. 季節移動大学との共著)、『高山病----蜂起するボリビアへの旅/証言集〔Mal de Altura. Viaje a la Bolivia insurgente / Testimonios〕』(2005)、『密林へようこそ----EZLN第六宣言から始まる対話〔Bienvenidos a la selva. Diálogos a partir de la Sexta Declaración del EZLN〕』(2005)、『どちら様ですか----コールセンターでの魂の奴隷労働に対する闘い〔¿Quién habla? Lucha contra la esclavitud del alma en los calls centers〕』(2006. ニコ・バラコ、マルソ、クリスとの共著)、『学校にはゾウがいる----郊外の子どもと教師〔Un elefante en la escuela. Pibes y maestros en el conurbano〕』(2008. 土曜アトリエとしての共著)など。詳しくは下記のウェブ・サイトを参照のこと。
http://www.nodo50.org/colectivosituaciones/index.html

本書で紹介されているアルゼンチンの失業労働者グループ
M.T.D. Solano(特技:道路遮断)

『オルタ』特集 恐慌前夜
─世界はいかに再編されていくのか?
http://www.parc-jp.org/alter/2009/alter_2009_01-02.html
main2009_01-02.jpg

『オルタ』最新号の廣瀬純さんのインタビュー「日常生活=運動 ─三つの移行から」もぜひ一緒にどうぞ。 今最も読むべき雑誌です。

生活に困っている人がいたら、大学を占拠してみるのがよい。教育は人間を守るためのものだから。キャンパスは広くて快適。なんてったって図書館付きってのが贅沢だね。

といったお気楽なことはあまり言ってなれないご時勢ですが、何かできることがあったら支援したいです。座り込み、お尻が痛くなりませんように!

大学等非常勤講師ユニオン沖縄★ より

以下、転送大歓迎!!
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座り込みと支援のお願い

 現在、琉球大学では、非常勤講師の大幅な削減とそれに伴う外国語科目のコマ数削減がその根拠や必要性が十分な議論もされないまま、今年の四月から新入生を対象として強行されようとしています。これに対し私たち学生は強い危機感を持ち、二度にわたり琉球大学当局に対話を要求してきました。しかし大学当局は、一度目は文書による拒否、二度目は回答すらせず、学生との話し合いの場を設けないという愚行を重ねました。

 そこで私たちは、正義、自由、権利、抵抗を学んできた学生として、大学当局の暴挙に黙することに抵抗するために占拠を実行しました。沖縄の歴史を振り返ると、座り込みという占拠の一つのかたちもまた、抵抗のアクションとして行われてきたことがわかります。座り込みは、戦後の沖縄にお いて民衆により担われたラディカルな「自己決定」の作法として現在まで脈々と受け継がれてきました。

 座り込みは、圧倒的な軍事力に対し、人々がそれぞれのより良い未来のための話し合いの場を直接的に求めるための手段として、沖縄に脈々と根付いてきました。私たちは、沖縄における抵抗の歴史に学び、座り込みという抵抗のアクションによって新カリキュラム廃止を訴えます。

 今回の占拠は、話し合いを絶えず拒む大学当局の姿勢を前にして、どうしても争点と向かい合わなければならない状況を作り出すためのものです。この喫緊の事態において今回の占拠は、もはや新カリキュラムに対する批判を大学当局が無視し続けることができないよう、争点を劇的に盛り上げようとするものです。あらゆることが学生のために行われるべきである大学において、大学が学生の言葉に全く耳を傾けない危機的事態を打破しなければなりません。

 また、今回の事態は、琉球大学の学生と非常勤講師のみの問題に留まりません。この占拠は琉球大学のネオリベラル化とそれに伴う教育の貧困化といった、個別的な状況へのレスポンスとしてはじまりましたが、今回の問題は、大学自治の崩壊、大学の教育放棄、沖縄県の教育の危機、雇用問題と いったより広い射程を持つはずです。

 この問題は主体が、学生や非常勤講師だけではないことを示しています。新カリキュラムが何の根拠もなく成り立っており、誰のためにもならないことはこれまでの経緯を見ても明らかです。しかし、あらゆるハラスメントが横行する琉球大学で、学生が新カリキュラム廃止の意志を表明することは少なからず恐怖を伴い、それが常態化している状況です。専任教員の大半は沈黙し、共なるものを作るにも難しいこの事態において皆様の支援を切に願うことでしか希望が持てない非常に切迫した状況なのです。

 新カリキュラム廃止に向けてどうか、共闘して下さい。座り込みの参加、teach in、差し入れ、メディアでの発言、なんでも結構です。皆さまのご支援・ご参加を心よりお待ちしております。
  2009年3月9日

  琉球大学学生有志

The Statement of Occupation

The authorities at the University of the Ryukyus in Okinawa, Japan, have decided to lay off its adjunct language faculty members and massively reduce the number of foreign language courses without fully disclosing why such policies were necessary. Alarmed by the situation, we, the students, have demanded direct negotiations with the university officials twice in the past. But the university dismissed our first demand through writing, and decided to ignore our second request. The university officials thus deliberately failed to create a democratic forum where the students and they could openly discuss the issues and seek possible solutions.

We, the students of the university, will start occupying our campus. As the students who have studied justice, freedom, human rights, and resistance and have been trying to apply them to real life conditions, we question and resist the anti-democratic actions taken by the
university authorities.

The aim of this sit-in is to create a situation in which the university authorities must genuinely acknowledge the flawed and problematic nature of its so-called "new language curriculum." If the university still exists for us, the students (as stipulated in its Mission Statement), then the current situation in which it refuses to consider our concerns not only needs to be rigorously critiqued but must be radically changed.

This situation is not the sole concern of the students and adjunct faculty members at the University of the Ryukyus. While the occupation of campus began as a critical response to the neoliberalization of our university and the attendant impoverishment of our educational program, it also aims to shed light upon other related issues such as the breakdown of our "autonomous" university system, crisis of educational system within the Okinawa Prefecture at large, and the issue of unemployment among the residents of Okinawa.

Based upon these conditions and reasons, we demand the officials at the University of the Ryukyus to:

1) Repeal the so-called "new language curriculum."
2) Hold a public meeting about the "new curriculum" that is open to all members of the society.
3) Dismiss president TERUO IWAMASA, and vice presidents KEISUKE TAIRA and SATOHARU SHINZATO.
4) Allow the student representatives to participate, speak, and vote at the Board of Trustees' meetings.
5) Establish the democratic election system to appoint president and all board members.
6) Ensure all the rights of the students involved in the occupation and not impose any punitive measure on them.

This occupation is a protest against the university authorities' irresponsible decision to neoliberalize our university that has rather foolishly foregone its commitment to public education and caused the impoverishment of curriculum. This occupation is also a protest against the university officials who, with their authoritarian mindset, never even thought about offering adequate explanations to the students or inviting them into the decision-making process. We, the students, strongly condemn the university's dismissal of the students' voices and will work to reclaim the student autonomy on our own campus.

Finally, we declare our solidarity with all the others who have been actively working and sincerely hoping to abolish the new curriculum. We act with a hope that the University of the Ryukyus, along with all other universities, will reclaim its status as a "university" in the true sense of the word.

March 9th 2009

占拠声明

 現在、琉球大学では、非常勤講師の大幅な削減とそれに伴う外国語科目のコマ数削減がその根拠や必要性が十分な議論もされないまま、今年の四月から新入生を対象として強行されようとしています。これに対し私たち学生は強い危機感を持ち、二度にわたり琉球大学当局に対話を要求してきました。しかし大学当局は、一度目は文書による拒否、二度目は回答すらせず、学生との話し合いの場を設けないという愚行を重ねました。

 私たちは占拠を実行します。私たちは正義、自由、権利、抵抗を学んできた学生として、大学当局の暴挙に黙することに抵抗します。今回の占拠は、話し合いを絶えず拒む大学当局の姿勢を前にして、どうしても争点と向かい合わなければならない状況を作り出すためのものです。この喫緊の事態において今回の占拠は、もはや新カリキュラムに対する批判を大学当局が無視し続けることができないよう、争点を劇的に盛り上げようとするものです。あらゆることが学生のために行われるべきである大学において、大学が学生の言葉に全く耳を傾けない危機的事態を打破しなければなりません。

 また、今回の事態は、琉球大学の学生と非常勤講師のみの問題に留まりません。この占拠は琉球大学のネオリベラル化とそれに伴う教育の貧困化といった、個別的な状況へのレスポンスとしてはじまりましたが、今回の問題は、大学自治の崩壊、大学の教育放棄、沖縄県の教育の危機、雇用問題といったより広い射程を持つはずです。
 
 以上のような理由から、私たちは琉球大学当局に対して次のように要求します。

① 新カリキュラム撤回
② ①に関する公開説明会
③ 岩政輝男学長、平啓介副学長、新里里春副学長の解任
④ 学生代表の役員会への参加
⑤ 教員、職員、学生による学長及び理事の選挙制度の確立
⑥ 占拠に参加したすべての者の権利を保障し、いかなるペナルティをも科さないこと

 この占拠は、知を創造し共有するべきはずの大学が、自ら教育の場を放棄し、教育を貧困化させ、大学のネオリベラル化に猛進する琉球大学当局の暴挙を阻止しようとする抵抗のアクションです。この占拠は、学生への一切の説明もなく、また学生を意思決定の過程に参加させることもなく、決定事項の一言で強行する大学当局に対話の場を開かせる抵抗のアクションです。

 私たち学生は、琉球大学当局が断行しようとする学生の声の黙殺という暴力に抵抗し、大学の自治権を学生の手に取り戻します。

 最後に私たちは、非常勤講師切り捨てと教育の放棄を恥ずかしげもなく謳い上げた新カリキュラムの白紙撤回を心から願い、行動するすべての人々と連帯する意志を表明したいと思います。

 琉球大学、そして全ての大学が「大学」たらんことを願って。

                  2009年3月9日 琉球大学学生有志

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ラフターこと、Harpo Bucho

ラフターこと、
Harpo Bucho

コンセプト・メーカー。プレ・モダニスト。
エピソード・ハンター、もしくは見立て狂いの偏集者。情報剽窃と文化混淆と概念捏造と逸話収集が我がライフワーク。その他のことは印象操作と半笑いで別になんでもいいアナルコ・スーダラスタ(スピノザ派)。基本的に従いながら命じるスタイル。趣味はレアな考え事と身勝手な歓待。ハーポ・マルクス譲りの手癖の悪さでエピグラフ窃盗常習犯。「私は娼婦がドレスを脱ぐようにしてものを考える。永遠なのは、いずれにしても、そのドレスのフリルの方であって、イデアではない」(ベンヤミン/バタイユ・ミックス)、「歓待は撹乱的なもの、反時代的なものである。それは痴愚、狂気として、いたるところであらゆる分別、理性に抵抗する。歓待はまず何よりも国家理性に抵抗するのである」(ルネ・シェレール)。