バビロン

道の手帖「深沢七郎」と雑誌「スペクテイター」

ハーポ部長です。久しぶりのブログです。
同時期に書いた文章が紙の媒体に乗っかって帰還したのでご紹介します。

まずはKAWADE道の手帖「深沢七郎 没後25年 ちょっと一服、冥土の道草」。
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深沢七郎はずっと気になっていたけど、なんだか避けていた(波長が合い過ぎたらこわい!)作家なので、読む機会が与えられてうれしかったです。そう、恐ろしいことに、まったくの深沢初心者が商業誌に書いてしまったわけです。まあ、これも深沢的といえば深沢的。目次の末席に居座って「自伝群」「日記群」「流浪の日記」について短い文章を寄せました。

団鬼六風の作家顔に変貌している町田康の顔写真や、素敵なエピソード満載の矢崎泰久の語りや、twitterでゴーストライターを募るという斬新な手法で書かれた中原昌也名義の誰かの文章や、ラジオ生放送中に片手間で書かれた根本敬の漫画とか、曲者作家へのみんなのアプローチがタイヘン面白いのでぜひチェックしてみてください。

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「ちょっと一服、冥土の道草」が今回の深沢七郎特集のキャッチコピーだったことを送られてきた本によって知ったのですが、奇しくもスペクテイター最新号のエッセイに書いた内容と一致するものでした。しかしそれが全然「奇しくも」でもないことにも気づいていて、深沢七郎のエッセイを短期間に大量に読み込んだことにより、それが思想模写(昔のタモリの芸)のようなカタチでスペクテイターの紙面に反映された模様です。

「蛇の道は蛇」という諺のダブバージョン「ジャーの道はヘヴィ」を書きたくなったわけです。同類のすることは、同類の者が一番よく知っているというわけです。深沢七郎がマンボやロカビリーのリズムで文章を書いたように、レゲエのリズムに乗って書いてみたかったのです。

ネタバレになりますが、まあ、大したネタでもないし、これからそのネタに関する野暮なことに触れなきゃいけないので書いてしまいますが、エッセイが夢の構成になっているのも『風流夢譚』の影響でしょう。天皇陛下の辞世のおん歌の代わりに、ボブ・マーリーの歌詞、つまり、ジャー(神=ハイレ・セラシエ皇帝)のメッセージを文章の間に挟みました。もうすぐ自分がボブ・マーリーの死んだ年になることを意識したら、なんだか急にボブに親近感が湧いてきて、ボブの歌詞を読み返していたところでした。彼の最新のドキュメンタリー映画もそろそろ日本で公開されるみたいですしね。

このエッセイに深沢七郎的な影響が意外なところに出ていてボクは愕然としました。「風流夢譚」に少しでも影響を受けたなら、事件もつきものです。

<道の手帖>のなかで、丹生谷貴志は「Don’t be cruel」というユニークな深沢論を書いています。ちょっと引用します。

「ほんの束の間、自分は奴隷じゃないと思えても、それこそは詐欺で、裏で社会は自然という王にお伺いを立てて・・・・・病院とお墓と裏約束・・・・・要は「社会的存在」となることは、奴隷の中の奴隷になることでしかないのではないのか? ではどうすればいいのか? 逃げ場は、だぶん、ない。

エッセイ「ジャーの道はヘヴィ」の冠には「バビ論」と銘打ってあって、『花物語バビロン』(空族製作。2作目が近日爆音映画祭でプレミア上映予定!)についてのレアなテクストを引用/分析して、そこからバビロンによる精神的奴隷制度からいかにエクソダス(脱出)するかを提示したつもりでした。しかし、事件は起こりました。

な、な、なんと、信じられないことに、その一行がすっぽりと抜けているのです。

ボクは目を疑い、何度も確認しました。その一行のために伏線を張り巡らせるように物語を紡いでいったので、その一行がないということは致命的なのです。つまらない冗談を言うために、わざわざちゃんと構成を考えて、相手のツボにきっちり入るように語ったつもりが、重要なオチの部分を聞き逃した相手に「え、もう一回言ってよ」と強請られるときのあの感じをいま経験しています。そもそも内容としては大したこと言ってないし、他愛もないボケを聞き返されても困るわけです。さらっと笑い流して欲しいだけなのに。すべては間なのに。

そろそろ野暮も極まってまいりましたので、本来の原稿をここに載せておきます。赤線の部分が本誌では消えていた部分です。

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(正)スペクテイターによるDUB処理前のオリジナルバージョン
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(誤)実際の紙面。DUBは引き算!?
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深沢チューニングで見ると、冗談としてこれは非常に痛快ともいえます。構成した物語がガタガタと崩れていく痛快さ! それを自分自身でお客さんに喜んで売る痛快さ! ボクが本の売り子をしている気流舎という古本カフェでスペクテイター最新号絶賛販売中です。ぜひ手にとって見てください。特集は「これからのコミュニティ」。「どうすればいいのか?」を模索しながら実践している人たちがたくさん紹介されています。

[youtube]http://www.youtube.com/watch?v=Bq7kVInxlPQ&feature=youtu.be[/youtube]

書き手であり売り手である立場からは、アンコを詰め忘れた今川焼を客に売りつけるような気分ですが、そこに新たな痛快さを見いだすという<ポン引き的快楽>を教えてくれたのが深沢七郎なのでした。



今、最も革命的な雑誌は、雑誌『プレジデント』だと思う。

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はっきり言って驚いたというか、目を、疑った。経済雑誌プレジデントの毎日新聞に出ていた今月号の特集の目次を見ていて、である。まさか、と、思った。今日、それを買ってきてさらっと読んだのだが、驚きは確信に変わった。もはや時代は変わったのだと。これまで経済雑誌なんかにまるで興味は無かった。マネジメントがどうだとか、マーケットの動向がどうだとか、クソのような情報しか載っていなかったからだ。ところが、今月号の内容を一言で言えば、こうなる。
 
「年収1500万円の家庭より、300万円の家庭の方が幸せだ」
もしくは
「300万円あれば十分幸福に生きていける」
という、内容だ。

それを捕捉するように、冒頭で、モダンな経済成長を前提とした立身出世型の「未来の目標達成型」の幸福観よりも、後期近代における「今、ここにある幸福に気がつく」幸福観が提示され、年収別の幸福にまつわるデータが統計で叩き出される。その結果がこうだ。


年収別「幸せ実感」調査1000人の本音
300万●4割が「毎日家族団らんできている」円満ファミリー
500万●仕事か家庭か悩み多くとも「相談できる人がいる」
800万●働き盛り、教育費がずしりと重くのしかかる
1000万●同僚と妻に不満、もっと面白い仕事を求める
1500万●2割が「家族と会話なし」、社会貢献がしたい



そしてその後に続くのは……「 コラム▼東大卒独身男が20年続ける「豊かな無職生活」」だとか、「 ▼今の20代はなぜお金がなくても幸せなのか」だとか 「リストラで収入3割減をモノともしなかったワケ 実物公開「300万の家計簿」は最高ハッピー」「フリマ超活用術」「携帯は一家に一台」「 データが語る、なぜか不機嫌な日本人の不思議▼衝撃のデータ! 経済力は世界3位でも、幸福度は先進国最低レベル」「幸福とは、報酬など全然求めていなかった者の所に突然やってくる報酬である アランの幸福論」という記事が続く。これはもう「お金なんか稼がなくてもいいんだよ。立派なモノや家が無くてもいいよ。300万で十分幸福だし、逆に1000万円以上あると不幸だよ」と、言っているようなものだ。(数字は目次だけの印象で、実はちょっと誇張している。幸福度や安心感のインタビューの結果は年収に比例して上がるというデータも掲載されているし、記事をちゃんと読んでいくと年収500万円~800万円が一番不幸ということになる。)

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最初はSPAみたいな内容だなと思った。似たような記事や特集ならすでにそちらで何度もやっているだろう。ところが、これは、かなりお堅い、少なくともサブカルチャーだとかオタクだとかニート、フリーター向けではない、バシっとスーツを着込んで日経新聞を毎朝読むような人々のための雑誌なのだ。そんな「真面目に働けばその分報われるはず」だとか「経済的達成=幸せ」だと信じている人々にむかって、「稼いでも無駄だ」という内容の記事を載せてしまったのである。ついに。この雑誌は。(何度も繰り返すことになるが真剣に働いて正社員を維持して借金して家を買って……と、頑張っている人に「豊かな無職生活」と言ってしまっていいのだろうか? と僕は本気で心配している。だって裏返せば「貧困な正社員生活」なのだし、あなたの努力は報われないと宣言しているのと同じだ)


これはとんでもないことだと思う。革命だと思う。明治時代以降ずっと近代資本主義の精神として傷つくことのなかった立身出世主義、僕らの言葉で言うなら「バビロン」的な考えに対して、ダメ連や素人の乱が主張してきたこと(註1)、つまりハクやウダツといった世間的な経済的達成感にとらわれることの無い、「豊かな無職生活」が、こんな雑誌に、それこそ勝手に載るようになったのだから。知っている人は知っていると思うが、すでにこの国の経済は国民一人あたりのGDPの比較でシンガポールや香港、台湾に追い抜かれている。やがて近いうちに韓国、中国に追い抜かれるだろう。

「アジア経済ランキング」-もうすぐ韓国も日本を追い抜きそう。

日本国民 平均所得291万円! 東京415万円 大阪300万 愛知323万 福岡264万

サラリーマンの平均年収の推移 現在は412万円

 これはもう間違いのない事実だ。平均年収は緩やかに後退し、国民全体では300万円くらいが普通になりつつある。こうなった時にどうお金儲けをするのか?ではなく、いかに限られたお金で幸福に生きるか?と考えること。そうやって思考の根本を切り替えなければいけない時期に来ているのだ。このこと自体、僕は幸福なことだと思う。もう「一億総下流社会」でいいじゃないか。

 ところがところが、まだ、この国が一番でいなければいけないと思い込んでいる人々、そう、思い込みたい人々がいる。残念ながらそれは時代遅れの妄想にすぎない。韓国にも中国にも負けたくない人々。しかし、なぜ中国や韓国と競争しないといけないのだろう? (アメリカはどこにいった?) 経済的な競争に負けると奴隷になるから と、そういった人々は答えるだろう。金=権力であり、それは武力でもあると。しかし、経済的に貧しい国が豊かな国の属国に必ずなるというのはあまりにも無理がある。それに幸福を、つまり安心と達成感を経済力と武力という物差しでしか測れないのもおかしい。

 そういったマイナスの感情を抱きやすい人々のことをこの特集では「近代化によって主流化した達成型の幸福」に苦しめられている、時代に適応できないかわいそうな人々と指摘している。ちょっと引用してみよう。「実際今の日本社会は、「負の感情」にあふれた社会である。格差や現実の理不尽に対する怒り、その半面で「うまくやっている人」への嫉妬、経済危機に起因する将来への不安や非観、様々な「負の感情」が巷にはあふれている。欲求が満たされないことへのストレスと、どこへ向けていいのかわからない怒り、先々への不安などの負の感情が充満する社会、それが今日の日本の姿と言えるだろう

 コメント表を見てみよう。

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 こういった型の時代遅れとなった幸福病を病んでいる人々が嫉妬心から韓国や中国をけなすのだろう。そもそもほとんど誰も行ったことの無いようなちっぽけな島の領有権が僕らの具体的な幸福とどう関係しているというのだろう? この特集ではアランの言葉が載せられている。「悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意志によるものである」と。そろそろ日本が一番強くなくては滅ぼされるというネチネチした妄想にとらわれた人々に「そんな島どうでもいいじゃん」と言える強い意志を持ってもらいたいものだ。そんなメディアの中にしかないどうでもいいイメージ(国家だとか国境だとか国力だとか)ばかりに囚われて今ここにある幸福に気が付けない生き方は明らかに不幸だし、時代遅れだ。








徹底分析!お金に困らない生き方・暮らし方
年収300万父さんは、なぜ幸せなのか


目次

徹底分析!お金に困らない生き方・暮らし方
年収300万父さんは、なぜ幸せなのか

「悩み、後悔、不安」から解放される思考テクニック●奈良雅弘
最新心理学が解明!
頭の中にひそむ「幸せ泥棒」撃退法
▼ブータンにあって日本にはない、「幸せの方程式」とは
▼怒り、嫉妬、悲観……負の感情が生まれやすい人
▼「達成型の幸福」と「遍在型の幸福」の違い
▼タイプ別診断付き!「幸福を感じやすくなる」練習帖
希望とは、人間の義務である
――生きる力をもらえる三賢人の金言

●鎌田 實
「アランの幸福論」笑うからしあわせなのだ

●白取春彦
「ニーチェの言葉」自分自身の主人たれ!

●齋藤 孝
「宮沢賢治の想い」かなしみもみんなおぼしめし
五木寛之 「不信の時代」に響く親鸞の教え

●山田昌弘
年収別「幸せ実感」調査1000人の本音
300万●4割が「毎日家族団らんできている」円満ファミリー
500万●仕事か家庭か悩み多くとも「相談できる人がいる」
800万●働き盛り、教育費がずしりと重くのしかかる
1000万●同僚と妻に不満、もっと面白い仕事を求める
1500万●2割が「家族と会話なし」、社会貢献がしたい

●山崎寿人
コラム▼東大卒独身男が20年続ける「豊かな無職生活」

未婚女性の理想は600万円だが、意外な勝ち組が……●白河桃子
年収300万で結婚できる男、捨てられる男

●白河桃子
コラム▼なぜ年収800万の「Mart主婦」家計は破綻しやすいか

●藤屋伸二
▼もしも、ドラッカーが年収3万ドルだったら

「リストラで収入3割減」をモノともしなかったワケ●北見久美子
実物公開「300万の家計簿」は最高ハッピー
コラム▼「手取り800万貯金ゼロ」vs「300万で貯金1000万間近」お財布比べ

●花輪陽子・俊行
▼夫の出番!
妻が見落とす暮らしの「ムダ・ムリ・ムラ」両断法

●伊藤博之
データが語る、なぜか不機嫌な日本人の不思議
▼衝撃のデータ! 経済力は世界3位でも、幸福度は先進国最低レベル

●古市憲寿
▼今の20代はなぜお金がなくても幸せなのか





 
(註1)だめ連宣言 神長恒一

ほとんど語られることがないように思うのですが、実は私たちの人生において、「ダメな奴にはなりたくない」とか「ハクをつけたい」といった判断が、最初の1歩として大きくあるのではないでしょうか?

 私はここをラジカルにとらえかえしたい。

 例えば就職です。

 どうして人は就職するのでしょうか? それはもちろん正社員になったほうが制度上いろいろ都合のよいことが多い(ナンセンス!)という問題とリンクして、「就職すると決めているから就職する」ということが大きいと思えるのです。

 就職すると決めているから就職する。つまり30すぎて仕事もせずに毎日ブラブラしているというような人生は、最初から選択肢のうちに入っていないということです。

 しかしそのことを、どうしてそうなんだろうとよくよく考えてみると、やはり「ダメな人だとの烙印を押されたくない」ということが大きいように思います。確かに就職しないで生きることと悲惨な人生がセットになって語られることがたいへん多い気がしますが、現実はそうとも限りません。

 仮に就職するとしても、就職すると決めているから就職するのではなく、就職する人生、しない人生どっちも選びうるというなかから就職を選ぶ、という方が面白い(誤解がないように言っときますが、私は就職したらダメと言っているのではありません)。

 これはもちろん、就職に限らず、他のことにもあてはまると思います。

 実は「ハク」や「うだつ」といったものが私たちの人生を大きく限定していて、私たちは想像力や実験精神というものを失いつつあるのではないでしょうか? 「他人と同じ生き方」や「人より優秀な自分」なんて人生ではあまりに寂しすぎるというものです。

 たった1回きりの人生なのですから、「身捨つるほどの祖国」もなければうだつもありません。ハクを捨てて、当たり前だと思い込んでいることを疑ってみる。そんな生き方からこそ何かが起こりうるのではないでしょうか。



緊急トークイベント「震災前後—地揺れするバビロンにて」

毎月1・3金曜日@なんとかバーの美食倶楽部(ペペ長谷川&intellipunk)は毎回好評!
集われる方はペペさんの握り寿司目的が多いんですが(あとペペさんの人徳!)、このタイミングで魚! しかし福島第一の海への放出とは関係なく(?)近海魚の品薄により握りは中止。先週は緊急にスペシャル餃子メニューでした。
行者大蒜をニンニクに代用したスペシャルな餃子は、修験行者由来の滋養とニラ生姜ネギのブレンドした独特の風味が美味い!おまけに蕨揚げ、筍ご飯と、春の山菜づくしってことで中々でした。春の山菜はすぐに消えちゃうので一回限りだね。秋はキノコ山菜つくししよう。


さて地震より前、過日の美食倶楽部、カルスタ界のイケてる兄貴たち小笠原センセイと山本センセイがいらっしゃった折、今年のカルタイに「来いよ!」と強く勧誘。カルチュラル・スタディーズの日本最大の祭典(かつ学会)であるカルチュラル・タイフーン(http://cultural-typhoon.com/2011/)には、毎年お店は出してますが、今年は神戸。行こうか迷ってたんですけど、震災の折に偶然に大阪や神戸に知己を得たりして、今年は関西づく感じな様です。行くかも!って伝えていたらTwitter経由で山本センセイから企画相談がーーRLLさんやりませんか?」




と思ったら、カルスタ事故波紋、もとい自己破門の上野センセイの話を聞くって企画でした。
今、仙台出身の上野俊哉が何を感じているのか? 震災以後そして原発被曝以後のこの世界で何を考えているのか。これは気になる期。
メンツはイアン・コンドリーを囲んだ11月のトークイベント“Cultural Action, Fronteer or Archipelagoes?”と同じだけど、あれ好評だったからだね。
つうことはアフターパーティーあるのかな?
http://www.rll.jp/hood/action/20101119132348.php
http://togetter.com/li/73043








緊急トークイベント「震災前後—地揺れするバビロンにて—」のお知らせ
3月11日の震災がすべてを変えたのではない。もともとこの世界に存在していた様々な矛盾を、震災という出来事が誰の眼にも明らかにしてくれたのではないか。けれども、水脈はあった。震災前の世界で、その水脈を掘りつづけてきた論客たちを招いて、地揺れするバビロンから、この間に起きたこと、「例外状況と日常性」、「理性と放射線のエコロジー」、「原発災害の攻勢下でヒューマニティーがなしうることはなにか」といったテーマ群について語り尽くしたい。震災以前の世界、そして震災後の未来について——

423BABYLONE
■日時 2011年4月23日(土)
    17:00〜19:00(16:30開場)
■場所 早稲田大学16号館305教室
■地図 http://www.waseda.jp/jp/campus/waseda.html

■パネリスト 上野俊哉(和光大学/マギル大学)
       RLL(カルチャー・ジャーマー・グループ)
       二木信(ライター/編集者)
■コーディネーター 山本敦久(筑波大学)+田中東子(十文字学園)

[EN]
On 23 April (Sat), 17:00-19:00@Waseda University,
building 16,room305,talk event will be held.

The subjects would be ‘Earthquake Lightning from Babylon’, ‘State of Emergency
and Everyday Life’, ‘Ecology of Mind and Radioactivity’,’What Humanities could
do under the siege of Nuclear Disaster’,etc.

Panelists, RLL, Shin Futatsugi and Toshiya the tribal
Moderator, Atsuhisa Yamamoto &Touko Tanaka

http://babylon77.blog94.fc2.com/blog-entry-2.html





前日も面白そうなイベントあるよ!

アースデイ・トーク 『三つのエコロジーと東電福島原発事故』
エコロジーとはあくまで「生態学」のことであって「環境問題」のことだけを指しているのではありません。エコロジーを「環境問題」のみに限定してしまうことは、かえってこの世界の生態系を歪んだものにしてしまいます。

福島原発を含めたこの小さな島国にある17カ所・54機の原発の先に、わたしたちはどのような未来を見ていたのかということを考えてみましょう。私たち日本の社会は、オール電化という名の下に、原発が環境を良くするものであるかのような、有害なエコロジーというものをつくり出してしまいました。そして現在、それが有害であることを誰もが認めるであろう、深刻な事態「東電福島原発事故」による被害が進行しています。

1989年にフェリックス・ガタリが世に問うた、環境・社会・精神の『三つのエコロジー』という思想をいまこそ再考し、現実の世界に緊急に応用していかなければならないのです。

アースデイ、4月22日の阿佐ヶ谷ロフトAのイベントでは、環境のエコロジー、経済のエコロジーの実践を行ってきた「未来バンク」の田中優さん、有害なエコロジーをつくり出してしまうような、資本主義の問題点を考察してきた社会学者の毛利嘉孝さん、そして、自殺対策支援に関して精神のエコロジーといえる行動を始め、今回の東電福島原発事故によって、環境や社会のエコロジーにまでその活動を広げようとしている松田美由紀さんをゲストに、3.11以降の『三つのエコロジー』についてのトークを行います。

【出演】
田中優(未来バンク理事長、天然住宅共同代表)@tennenjutaku
毛利嘉孝(社会学者、東京藝術大学准教授)@mouri
松田美由紀(女優、写真家)@MATSUDA_MIYUKI

【進行】上岡誠二(芸術活動家、アースデイJP世話人)@earthdayjp

日 時:2011年4月22日(金) OPEN18:30/START19:30
会 場:阿佐ヶ谷ロフトA
東京都杉並区阿佐谷南1−36−16ーB1
JR中央線阿佐谷駅パールセンター街徒歩2分
http://www.loft-prj.co.jp/lofta/map.html
前売り:¥1,500/当日¥1,600(共に飲食代別)
前売りチケットはローソンチケット【L:38046】ウェブ予約にて発売中!!
ロフトA web予約ページhttp://www.loft-prj.co.jp/lofta/reservation/reservation.php?show_number=638



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