グレイトフル・デッド

迷宮を抜けたらそこは砂浜だった 後編

chuchu

あれ? もう気づいたらあれから1週間以上も過ぎてしまった。なんだか浦島太郎状態。時って不思議。迷宮出口である南伊豆に辿り着いた時期は、ちょうど体感的には夏と秋の境目、中秋の名月という天体イベントもあるナイスなタイミングだった。

つい先日の夏の思い出を振り返ってみよう。九十浜のエメラルドグリーンのビーチでのシュノーケル。今夏の部屋着の定番はアロハに海パンという南国スタイルで家にいて似非リゾート気分を味わっていたのだが、実際にビーチに来たら海パンを忘れるという粗忽ぶり。友人から借りてなんとか今夏ギリギリセーフで初海水浴体験。

umi

珊瑚と熱帯魚と戯れていたら急に波が強くなりびびる。それを境に夏モードが秋モードに切り替わる。
うっすら中秋の名月登場。

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秘湯「昭吉の湯」の露天から眺める名月も乙なもの。この1週間の舎員旅行で6つの違う温泉を満喫。エンドレスサマーならぬエンドレスホットスプリングな気分になってきたが修善寺に途中下車して温泉トリップに終止符を打つことに。

shokichi

夜はススキや団子を準備して月見セッティング。いつもより強い光を発している満月1日前のお月さんを横切る乱暴な雲たち。ラビリンスのときのように天を仰いで陰と陽のドラマに酔いしれていると、地にもまた違った陰陽のドラマが繰り広げられていることに気づく。月の上を雲が横切るたびに砂浜に光の波が走るのだ。「こんなのはじめて〜!!」っとご近所の弓ケ浜のビーチでみんなではしゃぐ。丸い月に影響を受けたのか、みんなで円をつくり座り込んで天体チルアウト。雲がすごいスピードで動いているのだが、雲を固定するように視点を変えると、月が木星を引き連れて空を飛んでいるように見えるから面白い。

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そんな楽しい共同体験の思い出数知れず。個人的体験として印象に残っているのは、スパイスドッグという『スペクテーター』の南伊豆特集でも紹介されているサーファー&デッドヘッズのオーナーがやってるカフェ/カレー屋で過ごした時間。外は大雨で身動きとれず。みんなで円卓を囲んだ食事の後にそのまま思い思いの読書タイム。スパイスドッグの本棚で、一番読みこまれているだろうボロボロの本を手にとる。

『自分の生き方をさがしている人のために』
ジェリー・ガルシア 著 /チャールズ・ライク 著 /片岡義男 訳


前日に行った料理のボリュームが多くて美味しいSouth Cafeの本棚でも出会った本。その昔、グレイトフル・デッドにぜんぜん興味がなかった若者時代に書店で手に見かけたときは、自分探し自己啓発書のようなタイトルに興味が引かれず、出会い損ねた本なのだが、南伊豆で2日間連続出会うなんてなんか縁があるな、と読み始める。めちゃくちゃ面白い。南伊豆のデッドヘッズの店で、幾人もの先達たちが読んできた1976年初版(ボクの生まれた年)の年季の入った本を読んでいるというセッティングがハマったのだろう。

出口をみつけるときは、いまの自分が知っていることすべてからぬけ出していくことが必要なんだ。つまり、自分がなにかになっていけるのと同じように、なにものでもない存在にもなっていけることなんだ。そこに一つの決意が生れる。よし、とにかくとことんやってみようという決意が。       
 ジェリー・ガルシア


迷宮を抜けたらそこは砂浜だった。何かをとことんやってやろう!なんて勇ましい決意はまったく生まれず、心地よい波の音を聞きながら、ドラマチックな空模様に見とれて、素足でキメの細かい白砂を踏みしめる快感を味わいつつ、リラックスして生きていきたいという思いを強くする。

「何もしないで生きてきたよ」 
「15の年にドロップアウトして以来、ずっと遊びの連続さ。いまでも遊んでばかりいるよ」


『緑色革命』の著者チャールズ・ライクのインタビューにジェリー・ガルシアは真面目にそう答える。「何もしない」というのはただ怠けて生きてきたという意味ではまったくない。この旅でボクが持ち歩いていた『老子』(小川環樹訳注 中公文庫)の言葉でいえば「無為自然」ということだろうか。天地宇宙の間を自由自在に飛翔し遊びまわるタオイストのように生きていきたいものだ。

gd
スパイスドッグのトイレ前。パルコのポスターをカルチャージャミング?



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